わたしの6選

『独眼竜政宗』に策士の美学を教わった

竜山の6選の一本目は大河ドラマ『独眼竜政宗』。四十代の終わり、日曜の夜はテレビの前で正座して観たという。知恵と度胸で乱世を渡る若い当主に、道場の運び方まで教わった。86歳の老師が、策と筋の話をします。

こんな人に
勝ちたいが、汚い勝ち方はしたくない人へ。大河ドラマは長くて手が出ない、という人にも入口を書きました。
ネタバレの範囲
ネタバレなし NHKアーカイブスの作品紹介にある範囲(伊達政宗の生涯を描く大河ドラマであること)まで。各回の出来事や合戦の行方には触れません
話している人
竜山 × タカシ
主張の種類: 事実 作中の観察 根拠のある推測 解釈 好み
目次 全7節・約5分
  1. 日曜の夜は正座で
  2. 好きな理由1:若い当主の顔が変わっていく
  3. 好きな理由2:策を練る場面の静けさ
  4. 好きな理由3:まわりの大人たちの重み
  5. 俺の見方:勝ち方に筋を通す
  6. 長い大河が苦手な人へ
  7. ほかの5本とのつながり

6選の一本目は、大河ドラマの『独眼竜政宗』じゃ。日曜の夜、湯呑みを脇に置いて、テレビの前で正座して観た。勝つための策と、守らにゃならん筋。その両方を持った大将を、俺はこのドラマで初めてじっくり眺めた。合戦がどうなるか、誰がどうなるかは書かん。書くのは、俺がどこで膝を打ったかじゃ。

日曜の夜は正座で

四十代の終わりのころじゃ。道場を開いて二十年近くたって、弟子も増えた。増えたら増えたで、道場を回すのは稽古とは別の難しさがある。月謝のこと、弟子どうしのいざこざ、試合に誰を出すか。毎日小さな決断ばかりで、正直、くたびれとった。そんなときに始まったのがこの大河でのう。日曜の夜は弟子からの電話にも出ん、と家の者に言うて、毎週正座して観た。好み

NHKアーカイブスの大河ドラマ全史によると、『独眼竜政宗』は昭和62年度の大河ドラマ第25作で、全50回。放送期間は1987年の1月から12月まで。原作は山岡荘八、脚本はジェームス三木、音楽は池辺晋一郎、語りは葛西聖司じゃ。事実[1]

同じ紹介には、秀吉も家康も一目置いた豪気の男、「独眼竜」とおそれられ、知恵と才覚で仙台62万石を一代でつくりあげた伊達政宗の生涯を、現代的なタッチでロマン豊かに描いた、とある。出演には渡辺謙、北大路欣也、岩下志麻、勝新太郎らの名前が並んどる。事実[1]

好きな理由1:若い当主の顔が変わっていく

主役の政宗は、最初からできあがった大将じゃない。若い。危なっかしい。血の気も多い。それが回を追うごとに、少しずつ大将の顔になっていく。目つきが変わる、座り方が変わる、黙っとる時間の重さが変わる。五十回もあるからこそ、人が育つのを一緒に見届けられるんじゃ。解釈

道場でも同じでのう。白帯で入ってきた子が、何年かするとふっと礼の角度が変わる日がある。本人は気づいとらん。じゃが外から見るとはっきり分かる。ああ、こいつは今日から一段上がったな、と。このドラマを観とると、その瞬間を何度も見せてもろうとる気がした。解釈

好きな理由2:策を練る場面の静けさ

俺がいちばん好きなのは、合戦そのものより、その前じゃ。部屋の中で、少ない人数で、ぼそぼそと次の手を話し合う場面。大声も出さん、刀も抜かん。じゃが、そこで勝ち負けの半分は決まっとる。画面が静かなぶん、こっちは身を乗り出してしまう。作中の観察

勝つための策はな、汚いもんと思われがちじゃ。じゃが俺はそうは思わん。相手をよう見て、自分の力をよう知って、無駄な血を流さんように手を打つ。それは卑怯とは違う。卑怯というのは、約束を破ること、弱い者を盾にすることじゃ。この大河は、その境目をずっと歩いとる。だから観とって背筋が伸びる。解釈

タカシ

竜山さん、政宗については史料で読むと、ドラマよりずっと複雑な人物だという話もありまして……あ、また歴史の話にしてしまいましたね。

竜山

かまわん、かまわん。史実はそうでもええ。じゃがのう、ドラマの政宗の顔は、あの顔なんじゃ。俺は日曜の夜に、あの顔から大将の座り方を習うたんじゃ。好み

タカシ

……資料と語りは、別の役目を持っているのかもしれませんね。私は資料で迷い、竜山さんは語りで決める。解釈

竜山

ははは、ええじゃないか。今度は資料と湯呑みを両方持って来い。朝まで張り合おう。

好きな理由3:まわりの大人たちの重み

若い主役を囲む大人たちが、またええ。親の世代、上に立つ天下人、身内の女たち。名だたる役者がずらりと並んで、一人ひとりが簡単には動かん重さを持っとる。若い当主は、その重さを押しのけるんじゃなく、時には受け止め、時にはかわしながら進む。解釈

俺も若いころ、道場の先輩方に何度も頭を押さえつけられた。腹も立ったが、押さえつけてくれる人がおらんかったら、俺はただの乱暴者で終わっとった。年寄りの重みというのは、若い者がそれを越えようとするとき、初めて役に立つもんなんじゃ。いまは俺が押さえつける側になってしもうた。せめて、越えがいのある重さでおりたいのう。好み

俺の見方:勝ち方に筋を通す

俺は勧善懲悪が好きじゃ。善は善、悪は悪。そこははっきりしとるほうがええ。じゃが現実の勝負は、善い者がまっすぐ突っ込んで勝てるほど甘うない。だから策がいる。この大河を観て、俺は「善い者ほど、策を練らにゃならん」と腹に落ちた。策のない善は、すぐに折れる。筋のない策は、いずれ自分を食う。両方そろうて、初めて大将じゃ。解釈

道場の試合に誰を出すかを決めるときも、俺はこのドラマのことを考えた。勝てる者だけを出せば道場の名は上がる。じゃが、それでは育つ者が育たん。何を先に守るか。それを決めるのが上に立つ者の仕事じゃと、日曜の夜ごとに思い知らされたんじゃ。好み

長い大河が苦手な人へ

五十回と聞いただけで尻込みする人もおるじゃろう。それでええ。まずは最初の数回だけ観てみなされ。若い当主が、まだ大将の顔になる前のところじゃ。そこで「この子がどうなるか見てみたい」と思えたら、あとは毎週一回ずつでええ。俺も日曜に一回ずつ観た。一気に観るより、一週間かけて次を待つほうが、策の味がよう染みる。

それと、観るときは主役ばかり見んで、話し合いの場面で黙っとる者の顔を見てみなされ。誰が何を考えとるか、台詞より顔が先に教えてくれる。昔の芝居は、そういう楽しみ方ができるように撮ってあるんじゃ。好み

ほかの5本とのつながり

策と筋の話なら、『レンズマン』の銀河の大戦争も同じじゃ。正義の側が知恵と根気で悪を追いつめる。『平家物語』は、勝った者もいずれは風に吹かれると教えてくれる。この大河で大将の座り方を習い、平家で驕るなと叱られ、寅さんで肩の力を抜く。俺の6選は、だいたいそういう順番で俺を育ててくれたんじゃ。好み

策のない善はすぐ折れる。筋のない策はいずれ自分を食う。両方持って、日曜の夜に正座じゃ。

この記事の作品

話した人 竜山 毎朝の稽古と古典で若返る老師 竜山の記事をもっと読む →

次に読む

記事一覧へ

ページの先頭へ