シオルが持ってきた質問は一つでした。「人間界の人は、みんな物語が好きですよね。でも、物語って何なんですか?」。言葉の定義から始めて、記録に残る古い物語、声で運ばれた物語、紙と電波と画面に乗った物語へ。三人がそれぞれの持ち場から答えます。作品の展開や結末には触れません。
物語とストーリーとプロット
シオルは、一度聞いた物語は一字一句覚えてしまうんです。でも、どこからどこまでが「物語」なのか、自分でもよく分からなくて。
じゃあ、まず辞書みたいなところから行こう。言葉の線引きをしておくと、あとで話がずれたときに戻ってこられるから。
Wikipedia日本語版の「物語」の項は、物語を「主に人や事件などの一部始終について散文あるいは韻文で語られたものや書かれたもの」と説明しています。同じ項では「ストーリー」を、物語世界の中で起きている出来事を起った時間に沿って並べたものとし、作者はその順序を入れ替えて再構成する、と書いています。例として挙げられているのは推理小説で、本当は最初に行われている犯罪のトリックが、再構成されて最後に明かされる、というものです。事実[1]
ここが僕の持ち場なんだ。起きた順番の出来事がストーリー。それをどの順番で、どこを隠して見せるかが語りの側の仕事。同じ出来事でも、並べ方を変えると別の体験になる。解釈
この区別には有名な言い方があります。英語版Wikipediaの「Plot (narrative)」の項によれば、イギリスの作家E・M・フォースターは、プロットを出来事どうしの因果関係として説明し、「王が死に、それから王妃が死んだ」はストーリーで、「王が死に、それから王妃が悲しみのあまり死んだ」はプロットだ、と述べました。事実[2]
これはフォースターが1927年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで行った連続講義をもとにした本『小説の諸相』(Aspects of the Novel)の中の話で、彼はストーリー、登場人物、プロットなどを小説の要素として論じています。事実[4]
違いは「悲しみのあまり」の一言だけ。でも、その一言が「なぜ」なんだ。「それから」は時計の針で、「だから」は人の心。読者は「それから?」と聞くときはストーリーを追っていて、「どうして?」と聞くときはプロットを追ってる。解釈
もっと古くは、アリストテレスの『詩学』があります。Wikipedia日本語版の「詩学 (アリストテレス)」の項は、悲劇の要素の一つ目に「筋」(ギリシア語でミュートス、英語でプロット)を置き、人物、思想、語法、旋律、視覚的装飾と並べたことを紹介しています。全26章のうち第7章は筋の組み立てと秩序と長さ、第8章は筋の統一を扱っています。事実[3]
英語版の「Plot (narrative)」の項は、アリストテレスが劇は一つのまとまった行為をまねるべきだとし、「全体とは、初めと中間と終わりを持つもの」と書いたことを引いています。同じ項には、20世紀初めのロシア・フォルマリズムが物語を、作中世界の年代順の出来事である「ファーブラ」と、その見せ方である「シュジェート」に分けた、という説明もあります。事実[2]
言葉が国ごとに違うのが面白いよね。ギリシア語のミュートス、ロシア語のファーブラとシュジェート、英語のストーリーとプロット、日本語の物語と筋。どれもぴったり同じ意味じゃないのに、みんな同じ場所に線を引こうとしてる。解釈
日本語の側にも似た線引きがあります。Wikipedia日本語版の「小説」の項によると、novelの訳語として「小説」を定着させたのは坪内逍遥の『小説神髄』で、かつては、話の展開に内容から導かれる必然性があるものが小説、内容とは関わりなく偶然のつながりで話を進めるのが物語、という見方がありました。事実[5]
必然と偶然。フォースターの「だから」と「それから」に、ほとんど重なってる。僕はこの古い区別を、今は優劣の話じゃなくて、作品がどちらの力をどれだけ借りているかの目盛りとして使ってる。解釈
アニメで一つ例を挙げると、『葬送のフリーレン』は、Wikipedia日本語版の作品の項で「魔王を倒した勇者一行の後日譚を描くファンタジー」と紹介されています。事実[6]
冒険の本編は、物語が始まる前にもう終わってる。年表の上では一番大きな出来事が、画面では過去として、あとから少しずつ差し出される。ファーブラとシュジェートの差を、これほど正面から設計の柱にしている作品は珍しいと思う。解釈
いちばん古い物語は粘土板の上に
では、いつからあるのか、という話を私がしましょう。記録に残る古い物語として、まず名前が挙がるのはメソポタミアです。
Wikipedia日本語版の「ギルガメシュ叙事詩」の項によると、いま『ギルガメシュ叙事詩』として知られるのは前1300〜1200年頃にまとめられた「標準版」です。現存する最古の写本は紀元前2千年紀初頭に書記学校の生徒たちが書き写したシュメール語版の諸伝承で、紀元前1800年頃に成立したアッカド語の古バビロニア版も、書記学校の生徒による書写で残っています。事実[7]
同じ項には、研究者A・ジョージの説として、アッカド語版は学校のカリキュラムではなく、生徒たちがシュメール語の勉強の息抜きに書き写したもので、そのためフワワ(フンババ)討伐の話が人気で最も多く残っている、という紹介があります。標準版の奥付は、アッシュルバニパルの図書館から出土しています。事実[7]
勉強の息抜きに、怪物退治の場面ばかり写してた生徒たち。三千年以上前の教室にも、好きな場面だけ何度も読み返す人がいたんだね。解釈
私はそこに胸を打たれます。温故知新アトラスという歴史の整理帳に、記録は帝国より長く生き、記録の形式を決めた者が後世の認識を決める、という法則があります。粘土という壊れにくい媒体と、王の図書館という集める力がそろったから、物語は国が滅んだあとも残った。ただ、どの場面が多く残ったかを決めたのは、王ではなく生徒たちの好みだった。記録の形式を決めるのは権力者だけではない、という反例にもなっています。解釈
ふるさとにも、写本師ギルドの見習いがいます。叱られない程度に、竜退治の章だけ丁寧に写すんです。
どこの世界でも、見習いは同じことをするのですね。……また歴史の話にしてしまいましたね。
声で運ばれた物語
文字に書かれる前、物語の多くは声だったはず。日本だと、その手ざわりがかなり後の時代まで残ってるよね。根拠のある推測
Wikipedia日本語版の「平家物語」の項は、現存する諸本の系統の一つとして、琵琶法師(当道座に属する盲人音楽家)が日本各地を巡って口承で伝えてきた「語り本」を挙げ、読み物として整理された「読み本」の系統と区別しています。事実[8]
2022年1月から3月に放送されたテレビアニメ『平家物語』は、古川日出男の現代語訳を底本に、山田尚子が監督し、サイエンスSARUが制作しました。作品の項によると、琵琶を抱えた少女「びわ」はアニメオリジナルのキャラクターで、父親は盲目の琵琶法師とされています。事実[9]
八百年前に声で語られていた物語を、語り手の側にいる少女ごと絵にした、ってところが私は好き。誰が語っているのかが、画面の中に置かれてる。解釈
それって、ふるさとの吟遊詩人と同じですか? 酒場で歌って、次の町へ行く。
近いけど、ちょっと違うかも。琵琶法師は座という組織に属していて、語り方の型を受け継いでいたの。ひとりで自由に歌う旅人というより、ギルドに近い。シオルのふるさとでいう楽師ギルドのほうが、たぶん近いかな。解釈
声の物語は江戸時代にも芸として育ちました。Wikipedia日本語版によると、講談は演者が釈台という小さな机の前に座り、張り扇で叩いて調子を取りながら、軍記物や政談など主に歴史にちなんだ読み物を観衆に読み上げる芸能で、源流には太平記読みがあります。事実[10]
私は花の手入れをしながら、歴史の解説を音声で聞くのが日課です。手がふさがっていても、耳は物語を受け取れる。講談の客も、たぶん同じだったのでしょう。目で読む歴史と、耳で聞く歴史では、覚え方がまるで違います。耳で聞いた合戦は、張り扇の音と一緒に覚えている。年号は忘れても、調子は忘れないのです。好み
分かる。翻訳で読んだ物語を、あとで原語の朗読で聞くと、別の作品みたいに聞こえることがある。中身は同じなのに、リズムが違うだけで、どこで息をのむかが変わるの。好み
落語は、衣装や道具や音曲に頼ることが比較的少なく、ひとりで何役も演じ、語りのほかは身振り・手振りだけで物語を進め、扇子や手拭であらゆるものを表現する話芸だと説明されています。事実[11]
落語は構造の教科書だと思う。登場人物が何人いても、語り手は一人。視点の切り替えを、首の向きと声色だけでやる。アニメのカット割りが担っていることを、身体ひとつでやってるんだ。解釈
日本の物語は竹取から
Wikipedia日本語版の「竹取物語」の項は、この作品を平安時代前期に成立した「現存する日本最古の物語」とし、9世紀後半から10世紀前半ごろの成立、かなで書かれた最初期の物語の一つとしています。『源氏物語』には「物語の出で来はじめの祖なる竹取の翁」とあります。事実[12]
その『源氏物語』は平安時代中期に成立した全54帖の長編物語で、文献初出は1008年。執筆された11世紀初頭は国風文化の最盛期で、紫式部は記述に漢字ではなく平仮名を使っていた、と同じくWikipedia日本語版にあります。事実[13]
日本でいちばん有名な長編物語の作者が、別の物語を「物語の始まりの祖」と呼んでる。物語が物語のことを語る、ってところがもう始まってるんだよね。解釈
その「祖」のほうは、作者が分かっていません。Wikipedia日本語版の項は、作者は不明で、当時の竹取説話群をもとに創作されたと考えられる、と書いています。事実[12]
アトラスには、史料が乏しい者ほど神話化され、実像は後世の欲望に上書きされる、という法則もあります。作者の顔が見えない物語は、読む側がそれぞれの思いを流しこむ器になりやすい。だから千年たっても読み直され、描き直されるのだと私は考えています。もっとも、作者が分かっている『源氏物語』も同じくらい読み直されていますから、これは理由の一つにすぎません。解釈
2013年11月23日に公開されたスタジオジブリ制作のアニメーション映画『かぐや姫の物語』は、『竹取物語』を原作とし、監督は高畑勲です。Wikipedia日本語版によると、高畑が入社した直後の1959年、東映動画で『竹取物語』をアニメーション映画にする企画が持ち上がり、実現しなかったその企画で高畑が創案して没になったプロットが、この作品の大元になっています。事実[25]
一度没になった筋書きが、半世紀あとに映画の芯になる。千年前の物語を描き直すのに、作り手自身の五十年ぶんの「やり直し」が重なってるんだ。解釈
物語は絵とも組みました。Wikipedia日本語版の「絵巻物」の項によると、絵巻は紙や絹を横につないだ長い画面に情景や物語を連続して描くもので、絵とそれを説明する詞書が交互に現れるものが多い形式です。『源氏物語』の「絵合」の帖からは平安時代前期〜中期にも多くの物語絵が作られたことが分かるものの、9世紀から11世紀までの絵巻物は一切残っていない、とも書かれています。事実[14]
絵巻は一点ものです。人間界でも長いあいだ、物語を持つことは高価なことでした。それが変わるのは、写すのではなく刷るようになってからです。根拠のある推測
刷られる物語と借りる読者
英語版Wikipediaによると、ヨハネス・グーテンベルクは活版印刷機を発明したドイツの発明家・職人です。活字そのものは東アジアですでに使われていましたが、彼の印刷機はずっと速い印刷を可能にし、その後世界中に広まりました。事実[15]
日本では、物語を「借りて読む」文化が育ちます。Wikipedia日本語版の「貸本」の項によれば、江戸時代には出版の発展で庶民にも読書の習慣が広まり、本を買って読むより、貸本屋や行商人に見料を払って読むのが一般的でした。事実[16]
江戸の町では、絵の多い読み物も好まれました。Wikipedia日本語版の「草双紙」の項によると、草双紙は江戸時代中頃から江戸で出版された絵入り娯楽本(赤本・黒本・青本・黄表紙・合巻)の総称で、各丁の大部分が絵で占められ、その周りにひらがなを中心とした文が書かれていました。事実[26]
絵がページの主役で、文字が絵のすき間に回りこむ。いまの漫画の吹き出しとは仕組みが違うけど、絵と言葉を一つの面で同時に読ませる、という発想はもうここにある。私はこういう、媒体どうしの遠い親戚を見つけるのが好き。解釈
ただ、親戚だからって一直線の祖先とは限らないよね。草双紙がそのまま漫画になったわけじゃない。似た形が別々に生まれることもある。解釈
うん、そこは大事。だから私は「祖先」じゃなくて「親戚」って言うようにしてる。解釈
曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』は、1814年に刊行が始まり、28年をかけて1842年に完結した全98巻106冊の大作です。馬琴は途中で失明しながらも、息子の妻お路の口述筆記で最終話まで完成させました。読本は発行部数も少なく価格も庶民には難しい値段でしたが、貸本によって多くの人々に読まれた、とWikipedia日本語版にあります。事実[17]
二十八年です。作り手が目を失っても、家族の手を借りて最後まで書き切った。私はこういう話に弱い。約束を守り通した人の話だからです。そして、その約束を受け取った読者の多くは、本を買えない人たちでした。好み
連載の物語には、作り手が途中で倒れる危険がいつもある。読者が次の巻を待つのも、作り手が書き続けるのも、どっちも続きへの信頼でできてる。週刊連載の漫画を待つ気持ちと、根っこは同じだと思う。解釈
動く絵と電波の物語
Wikipedia日本語版の「シネマトグラフ」の項によると、リュミエール兄弟のシネマトグラフの商業上映の初日は1895年12月28日です。年末のパリの大通りに露店や見世物小屋が並んで人が集まる時期に合わせて、クリスマスから元日までの間に設定された、と書かれています。事実[18]
映画は最初、見世物小屋のとなりに並ぶものだったんだね。芸術か娯楽か、なんて区別より先に、人が集まる場所に置かれた。解釈
日本の路上では紙芝居が子どもを集めました。Wikipedia日本語版によれば、1930年ごろ『黄金バット』が大人気になり、同じ年に紙芝居業者が作家や画家を雇って紙芝居屋に有料で貸し出す制度も始まります。テレビは登場当初「電気紙芝居」と揶揄され、白土三平や水木しげる、小島剛夕も漫画を描く前は紙芝居の絵を描いていました。事実[19]
貸本の店では、1940年代末から漫画を中心に貸本の店専用の書籍も刊行され、『墓場鬼太郎』(『ゲゲゲの鬼太郎』の原型)などを生みました。事実[16]
雑誌の側では、『週刊少年サンデー』と『週刊少年マガジン』が、創刊日の繰り上げを重ねた末にともに1959年3月17日に創刊しています。事実[20]
テレビアニメの『鉄腕アトム』(第1作)は1963年1月1日から1966年12月31日までフジテレビ系列で放送された全193話の作品で、日本で最初の本格的な1話30分の連続テレビアニメとされています。事実[21]
紙芝居の絵を描いていた人が漫画を描いて、その漫画の流れの先でテレビの絵が動く。一枚の絵が、だんだん遠くまで届くようになっていったんだね。解釈
ええ。そして届く距離が延びるたびに、語り手は聞き手の顔が見えなくなっていきました。紙芝居屋は目の前の子どもの反応で間を変えられましたが、テレビは変えられません。その代わりに、毎週同じ時間に同じ物語が来る、という新しい約束が生まれた。解釈
遊ぶ物語
家庭用ゲームでは、1986年5月27日にエニックスから『ドラゴンクエスト』が発売されています。シナリオは堀井雄二、開発はチュンソフトです。事実[22]
文章を読み進めることが主体のゲームは、ビジュアルノベル(ノベルゲーム)と呼ばれます。Wikipedia日本語版は、画面に表示される文章に絵や映像、音、選択肢、画面効果などを加えたもので、日本発祥の呼び方だと説明しています。事実[23]
この形式から生まれた『STEINS;GATE』は、2011年4月から9月までテレビアニメとして放送されました。Wikipedia日本語版の項によると、三省堂国語辞典の第八版は、SF用語としての「世界線」の説明に、コンピューターゲームの『シュタインズ・ゲート』から2010年代に広まったことば、と補足しています。事実[24]
ゲームで、フォースターの「なぜ」が読者の手に渡ったんだと思う。選択肢を選ぶとき、僕は「それから」ではなく「だから」を自分で決めてる。物語の一部始終を、自分の指で並べ替えてるんだ。解釈
私はちょっと違う見方。ゲームの物語は、読むより「通る」に近いと思ってる。同じ物語でも、通った道が人によって違うから、感想を交換すると、別の国の旅行記を聞いてるみたいになる。解釈
私は戦記もののゲームを遊ぶと、どうしても指揮官の側から眺めてしまいます。歴史の本では結果を知っている戦いを、結果を知らない者として采配する。物語を読むことと、物語の中で決めることは、同じ物語でも重さがまるで違いました。負けたとき、本なら「そうなったのか」で済みますが、ゲームでは「私がそうした」になるのです。好み
それ、すごく大事な違いだと思う。読者は物語の外から「なぜ」を探すけど、プレイヤーは物語の中で「なぜ」を背負わされる。同じプロットでも、責任の置き場所が変わるんだ。解釈
粘土板から選択肢まで来ましたが、私には、物語の器が変わっても変わらないものが一つあるように見えます。誰かが先に体験したことを、あとから来た人に手渡そうとする気持ちです。器が速く広くなるほど、その気持ちは薄まりやすい。だからこそ、手渡す側の覚悟が問われるのだと思います。解釈
それでも物語とは何か
シオルは今日の話も、一字一句覚えました。でも、三人の「物語とは何か」が、少しずつ違って聞こえたんです。
僕にとっては、出来事のあいだに「なぜ」を置くこと。並べ方で驚きが生まれる仕組み。だから物語は、順番の芸術だと思ってる。解釈
私にとっては、残したいと思った人がいたものです。粘土板も琵琶の語りも、誰かが次の世代へ渡そうとしなければ消えていた。物語は、時間を越えるための約束の形なのだと思います。解釈
私は、器を乗り換えても生き残るもの、かな。声から文字へ、絵巻から紙芝居へ、紙からテレビへ、画面からコントローラーへ。器が変わるたびに少しずつ形が変わるのに、同じ話として受け取られるもの。解釈
三つとも、たぶん正しい。ただ、どこに重心を置くかで、同じ作品の見え方が変わる。今日はそれが分かっただけでも、だいぶ面白かった。解釈
なるほど。一人で抱えているうちは、まだ物語になっていない、ということですね。……耳が痛い。私は自分の昔話を、ほとんど誰にも渡してきませんでした。好み
覚えることと、分かることは違うんですね。シオルは、覚えた物語の「なぜ」を、これから一つずつ聞いて回ります。
次に物語を観るとき、「それから?」と「どうして?」のどちらを自分が聞いているか、少し気にしてみてください。前者ならストーリーを、後者ならプロットを追っています。