昼のピークが過ぎた学食は、半分ほどの席が空いていた。ソウマが日替わりの定食の味噌汁に口をつけたところで、トレーを持ったエマが向かいに座った。トレーの上には、うどんと、文庫本が一冊。
ソウマ、その本。本屋さんのカバーがかかってて、題名が見えないの。
俺の。さっき、席に置き忘れた。
知ってる。だから持ってきたの。で、それ、なに?
ソウマは文庫を受け取って、少し迷ってから、カバーを外して表紙を見せた。
『星界の紋章』。小説。……別に、隠してたわけじゃない。
聞いたことない。教えて?
だろうな。バイト先の本屋の、文庫の棚のいちばん奥で見つけた。俺の周りで読んでるやつ、見たことない。
シフトの最後に棚の並びを直してたら、背表紙が少しだけ奥に引っこんでた。誰かが立ち読みして、適当に戻したんだと思う。直すついでに一ページ目を開いて、気づいたら閉店の放送が鳴ってた。
立ち読みしてたのは、ソウマのほう。
……仕事の一部だ。
どんな話? 宇宙?
主人公はジントって少年。生まれた星が、アーヴの国に攻めてこられる。で、そこの首長だったジントの父親が、降伏する。代わりに、向こうの貴族の位をもらう。[1]
え、なんで? 降伏したのに、貴族になれるの?
なれる。だからジントは、自分の星の人間なのに、侵略した側の貴族の子になる。どっちの側にも、きれいに立てない。[2]
それ、つらいやつじゃん。
つらい。でも、読んでると不思議と重くならない。そこがいい。
私、親の仕事で、子どものころから何回も国を引っ越したの。行くたびに、その国の言葉と、食べ方と、あいさつの順番を覚え直す。ジントって、それをずっと一人でやってる子なんだ。
……そうか。エマのほうが、たぶんジントに近い。
でしょ。だから読む資格、あるよね。
資格とかない。読みたいやつが読めばいい。
ジントは、アーヴの言葉と作法を学ぶために、よその星の学校に送られる。何年もたって、帝都の軍の学校へ向かう。その旅で、迎えに来た見習いの操縦士に会う。それがラフィール。皇帝の一族の娘。[2]
お姫さまが迎えに来るの? Nice。
迎えに来るのは、ドレスのお姫さまじゃない。軍の見習いとして来る。最初の山は、この二人が会うところ。
で、ソウマはどこが好きなの? 帝国?
帝国。
やっぱり。
いい意味で、手触りのある国なんだよ。貴族の位とか、軍の階級とか、細かい決まりが、物語のうしろにちゃんとある。
ルールが細かい国の話?
階級や位に、細かい決まりがある。そういうのを読むだけで、俺は楽しい。
空手の帯の色みたい。私、子どものころ、道場で最初に覚えた日本語、帯の色だったの。
……帯の色、か。それなら、エマはこの話にすぐ入れる。
それと、言葉。アーヴには、アーヴ語っていう自分たちの言葉がある。[2]
待って。言葉ごとあるの?
……それ以上は、読んでから。
それ、最高じゃん! 私、知らない言葉の綴りを見るの、大好き。
エマはうどんを置いて、身を乗り出した。ソウマは目をそらして、味噌汁の椀を持ち直した。
中学のころ、俺もノートに、自分で作った国の言葉を書いてた。国の名前と、階級の名前と、乾杯の言葉。
見たい!
見せない。実家のどこかに封印してある。……今のは忘れて。
忘れない。メモした。
だから、この本を棚の奥で見つけたとき、俺の封印したノートを、ちゃんと大人が本気で書いたやつだと思った。笑われる側の遊びを、最後までやり通すと、こうなるのか、って。
分かる、ちょっと。笑われるくらい本気、ってこと。
……別に。そこまでは言ってない。
言ってた。
壮大な話だけど、戦争で何かを壊す話というより、違う生き方の人間どうしが、隣の席に座る話だと俺は読んでる。生まれた場所も、当たり前も違う二人が、一つの船に乗る。
違う当たり前の二人、か。……転校した初日の私と、クラスの子みたい。
それは、ちょっと分かる。
賞とかは?
アニメは? 私、二時間の映画より、アニメのほうがソウマに向いてると思う。
なってる。長い映画が最後まで観られないのは、関係ない。[2]
関係あるでしょ。
ある。
じゃあ、最初の一冊だけ貸して。読んだら、いちばん好きなアーヴ語の単語、一個だけ言うから。
一冊だけな。続きは、自分で本屋で買え。俺のバイト先で。
商売、上手。
ソウマは文庫にもう一度カバーをかけてから、エマのトレーの端に置いた。昼の学食の音が、少しだけ戻ってきた。
一巻の終わりまでは、たぶん止まらずに読める。……長い映画よりは、ずっと楽だ。