日常

色校のあと土手で本田透を推す

ネタバレの範囲 結末まで触れます 漫画『フルーツバスケット』本編(全23巻)の最終回まで。続編『フルーツバスケットanother』には触れません

社内報の色校正を見終えた夕方、スイとレンは川沿いの土手を駅まで歩く。清掃の人たちのページが、スイに『フルーツバスケット』の本田透を思い出させた。気持ちで読むスイと、仕組みで読むレン。結末までネタバレありで話します。

この記事は結末までのネタバレを含みます

範囲漫画『フルーツバスケット』本編(全23巻)の最終回まで。続編『フルーツバスケットanother』には触れません

観終えた人が二周目をもっと楽しむための記事です。中盤の展開と、結末・正体のくわしいところは、押すと開く部分に分けてあります。

こんな人に
人の話を聞く側に回りがちな人へ。子どものころに読んだ『フルーツバスケット』を、大人になって読み直そうか迷っている人にも。
話している人
スイ × レン
仕事中 印刷工場の検品室 十月の水曜、午後の終わり

検品室の長い机に、社内報の秋の号の刷り出しが並んでいた。スイがルーペをのぞき、レンは一枚の端に、何も書いていない付箋を貼った。

レン

このページ、写真の白が少し飛んでる。作業着が白いからだと思う。

スイ

うん……。でも、このくらいなら、みんなの顔は残ってる。

そのページは、本社のビルを朝早く掃除している人たちの紹介だった。スイが取材して、一語ずつ直した記事だ。

レン

見出し、前の校正から一語変わってる。

スイ

「裏方」を消したの。取材した人たち、自分のことを一度もそう呼ばなかったから。

レン

呼び方は、本人のほうに合わせる。

スイ

それだけで、写真の顔が少し違って見える気がする。

レン

色はこのまま通す。……スイ、このページで手が止まってた。

スイ

ビルの清掃の人を見ると、透を思い出すの。

レン

とおる。

スイ

本田透。フルーツバスケットの。私の推し。家族を亡くしたあと、ビルの掃除のアルバイトで暮らしを立ててた子。[1]

刷り出しを封筒に戻して、二人は工場を出た。駅までは、川沿いの土手を歩いて二十分ほどかかる。

帰り道 工場から駅までの川沿いの土手 同じ日の夕方

スイの手には、レンの会社の名前が入ったビニール傘が一本あった。先月の打ち合わせの帰り、雨のなかで持ち帰ってしまったものだ。

スイ

これ、返す。先月の。

レン

三本目だね。

スイ

数えないで。

スイ

レン、あれ、最後まで読んだんだよね。結末の話もしていい?

レン

いい。この夏、古本屋で一冊ずつそろえて読んだ。最後の巻の奥付まで見た。

スイ

じゃあ、重いところは少しずつ畳んで話す。

レン

先に一つだけ聞いていい? 推しって言うとき、透のどこを指してるの。一言で。

スイ

……少し考えてから返すね。

レン

うん。駅に着くまででいい。

スイ

最初に好きになったのは、透が昔、十二支の話を聞いて、仲間はずれの猫がかわいそうで、自分が猫の年に生まれたかったって思ってたこと。[1]

レン

入れてもらえなかった側に、自分から行きたがる。

スイ

小学生の私には、それが不思議だった。仲間はずれの動物の側に立ちたい子なんて、まわりにいなかったから。

スイ

最初のアニメは、私が小学校に上がった年の夏から、夕方にやってた。[2]

2001年7月〜12月、テレビ東京系列で放送、全26話

レン

あのアニメ、原作がまだ終わってないうちに放送したから、最終回はアニメだけの結末になってる。[2]

スイ

そう。だから私は、アニメの最終回を観たあとで、漫画の続きを読んだの。結末を二つ持ってる感じ。

レン

推しが透なの、少しだけ意外だった。読み終わってから、夾と由希のことばかり考えてたから。

スイ

二人とも好き。でも二人とも、透に名前を呼ばれて変わっていく側でしょう。私は、呼ぶ側の人が気になるの。

レン

呼ぶ側。

スイ

呼ぶ側の人は、自分がどう呼ばれたいかを、なかなか言わないから。

レン

透が勉強を休まないのは、母親と約束してたからだっけ。

スイ

高校をちゃんと卒業するって約束。透は、自分の約束はあまり人に話さない。[9]

スイ

透って、誰にでも、少しずれた丁寧な言葉で話すでしょう。友だちにも、一緒に住む男の子たちにも。お父さんの話し方を真似た敬語なの。[1]

レン

僕は最初、あれをキャラクターの目印だと思ってた。吹き出しだけで誰の台詞か分かるように。

スイ

私も最初はそう。でも、言葉づかいって、たいてい誰かから来てる。仕事で挨拶文を直してると、その人の口ぐせに、昔の上司の言い回しが混ざってることがある。

中盤まで中盤で明かされる過去(言葉づかいのわけ)押すと開きます

スイ「透がまだ小さいころに、お父さんが亡くなる。お葬式で、お母さんを嫌っていた親戚が、透に聞こえるように、お父さんにちっとも似ていないって言うの。そのあと、まいってしまったお母さんが家を空けて、透は置いていかれる怖さを知る。

少しでもお父さんに近づきたくて、お父さんの口調を真似しはじめた。それが、あの敬語の始まり。

私はここで、透の敬語は壁じゃなくて、手すりだったんだと思った。落ちないように、ずっとつかまってた言葉。」[3]

レン

……そうか。目印だと思ってたものに、わけがあった。

レン

でも、言わせて。わけが分かった途端に、あの話し方が全部悲しく聞こえるのは、少しもったいない気もする。

スイ

それ、少しわかる。透の敬語、楽しいときはちゃんと楽しそうだものね。

スイ

楽しいほうの話もする。私、文化祭の劇の回が好きなの。

中盤まで中盤の展開(文化祭の劇)押すと開きます

スイ「文化祭でシンデレラの劇をやることになって、透は意地悪な義理のお姉さんの役に選ばれる。でも透は、お芝居でも人を怒ったり、ののしったりができない。由希くんに、無理だってすぐ見抜かれる。

王子の役は、由希くんが断ったせいで、投票で夾くんに回ってくる。本番は、咲ちゃんのシンデレラに夾くんが振り回されて、それでもツッコミだけはきっちり入れる。私、ここは毎回声を出して笑う。」[4]

レン

静かな会話が好きな人が、そこで声を出すのか。

スイ

出すよ。疲れた週は、ああいうのがいちばん効く。

レン

僕も、夾のツッコミが毎回きっちり入るところで笑った。

土手の下の野球場で、子どもたちが片づけを始めていた。ボールを入れたかごが一つ、ゆっくり坂を上っていく。

中盤まで中盤の核心(夾の秘密)押すと開きます

スイ「夾くんは、数珠でおさえている本当の姿を持ってる。それを透に見られたとき、夾くんは、どうせ拒まれると思って、自分から透をひどい言葉で突き放すの。

それでも透は、一緒にいたいって言う。夾くんが、ずっと誰かに言ってほしかった言葉。そこから夾くんは、透を名前で呼ぶようになる。

私がここで見てたのは、言葉そのものより、ひどいことを言われたあとも、透がその場から帰らなかったこと。受けとめるって、たぶん、そこに居続けることなんだと思う。」[5]

レン

僕はあの話、並び方で見てた。十二支の一人ずつに、透がその人を受けとめる回がある。その並びの中で、猫のところだけ形が違う。

スイ

どう違う?

レン

ほかの人には、透が何かを手渡す。猫のときだけ、透はそこに居るだけ。……また仕組みの話をしてる。

スイ

いまのは、欲しかった。私が言葉にできなかったところ。

中盤まで中盤以降の展開(透が言わなかったこと)押すと開きます

スイ「みんなを受けとめてきた透にも、ふたをしてた気持ちがあるの。亡くなったお母さんをずっといちばんにしていたいのに、夾くんに惹かれていく。その変わり方を、いけないことだと思って怯えてる。小さいころ、お母さんを連れていかれたくなくて、お父さんを悪者みたいに思ってしまった気持ちも、誰にも言えずにいた。

それを初めて打ち明けた相手が夾くんで、夾くんは、幻滅しないって受けとめる。

受けとめる人だった透が、受けとめられる側に回る。私はたぶん、子どものころからずっと、この一回のためにこの漫画を読んできた。」[6]

スイ

私が人の話を、誰が黙っていたかで読むようになったのは、ここから。

スイ

……私、今日、話が長いね。

レン

いつもより、駅二つぶんくらい。

スイ

測らないで。

レン

……一つだけ、僕の読みを足していい?

スイ

うん。

レン

透が最初に住む場所をなくすのは、土砂崩れなんだ。テントがつぶれて、それで草摩の家に居候することになる。[7]

レン

終わりのほうに、同じ形がもう一度出てくる。ここ、気にならない?

結末・正体結末(終盤の二つの場面)押すと開きます

スイ「その形の前に、私の好きなところを一つ入れさせて。気持ちが通じかけたのに、夾くんは自分を責めて、透を受け入れられないまま立ち去ってしまう。追いかけようとした透の前に、当主の慊人が現れるの。透は慊人に、亡くなったお母さんの姿を重ねて、その人がずっと抱えてきた孤独を知る。置いていかれる怖さ。ずっと変わらない絆がほしいという気持ち。自分と同じ痛みだって気づいた透は、慊人と対等な友達になりたいと願って、隣に寄りそおうとする。

私は、ここがいちばん透らしいと思ってる。いちばん怖かった人の隣にも、座ろうとする。」

レン「僕は、そこは少し急に感じた。あの人に、そこまで歩み寄るのが。」

スイ「私も、最初に読んだときはそう思った。でも透は、許したんじゃなくて、同じ怖さを見つけただけなんだと思う。許すのと、隣に座るのは、別のこと。」

レン「許すのと、隣に座るのは別。……それなら、急じゃないのかもしれない。そのあと透は、雨でゆるんだ崖の崩れに巻きこまれる。命は助かって、退院の日に夾から気持ちを告げられて、二人は恋人になる。

最初は土の崩れで家をなくして、終わりは土の崩れのあとで、一緒にいる人を得る。作者がそう組んだのかは、僕には分からない。後からそう見えただけかもしれない。でも、始まりと終わりで、同じ出来事が反対の向きに働いてる。」[8]

スイ

……そうかも。私、あの場面は、夾くんの顔しか見てなかった。

レン

スイは顔、僕は地面。

スイ

二人で一枚の刷り出し、みたい。

結末・正体結末(最終回まで)押すと開きます

スイ「透が小さいころ迷子になったとき、助けてくれた帽子の男の子がいて、透はその帽子をいまも大事にしてる。その男の子は、由希くんだった。でも帽子は、もともと夾くんのもの。

そして最終回。由希くんが透に、お母さんみたいな人だったって打ち明けて、初めて名前で呼ぶの。

それまで一度も名前で呼ばなかった人が、最後に呼ぶ。呼び方が一つ変わるだけで、それまでの場面が全部、少し違って聞こえてくる。私、そこで本を閉じて、しばらく天井を見てた。

透は、お母さんとの約束どおり高校を卒業して、夾くんと一緒にあの家を旅立っていく。」[9]

レン

透の見てない場所で、もう一本の話がずっと進んでた。視点の外で起きてたことが、一つにつながる。僕が好きな形。

スイ

レンがこの漫画を最後まで読んだの、そこが理由?

レン

半分は。もう半分は、スイの栞が毎回違ったから。何の本か気になってた。

レン

新しいほうのアニメは、原作者の希望で、スタッフも声も全部入れ替えたらしい。絵も原作の絵に寄せないでほしいって頼んだって。[10]

スイ

私は、働き始めて三年目の春に、その新しいアニメで読み直したの。最後の章は、テンがうちに来る前の春に観た。[10]

2019年4月から2021年6月まで、3シリーズで本編の最後までアニメ化

スイ

絵が変わっても、透の言葉のずれ方は同じだった。そこで、この子はこの子だって思えた。

スイ

それに、新しいほうは最後まで作ってくれたから。子どものころ、アニメの最終回で一度別れた透に、やっと最後まで付き添えた。

レン

付き添う、か。読むっていうより。

スイ

私には、そっちのほうが近いの。

レン

作者が自分の手から離してくれって頼むの、僕には面白い。同じ原稿を、別の版で刷り直すみたいな。

レン

スイは、手紙を書く相手ごとに便箋を変えるよね。透に書くなら、どんな紙にする?

スイ

罫線のない、少し厚い紙。何を書いても、ちゃんと受けとめてくれそうだから。

スイ

それで一行目に、返事はゆっくりでいいって書く。あの子、すぐに返そうとするから。

レン

受けとめる人に、受けとめられる側の紙を渡すのか。

スイ

レンなら、透に何を書く?

レン

書かない、と思う。書いたら工程表みたいになるから。何をした、だけ並べて、最後に空欄を一つ残す。

スイ

その空欄に、透は何を書くかな。

レン

知らない。だから残す。

スイ

それ、いいね。いちばんレンらしい手紙。

レンはノートの端に何か書きかけて、ペンの尻を下唇に当てたまま、しばらく止まった。

土手の先に、駅の高架が見えてきた。ホームの明かりが、川の上に細く伸びている。スイは歩く速さを少しだけ落とした。

スイ

さっきの返事。

レン

うん。

スイ

透の好きなところは、受けとめる人なのに、受けとめられる側にも回れたところ。……一言にならなかった。

レン

一言じゃなくていい。ノートに写しておく。

レンは鞄から方眼ノートを出して、余白に一行書いた。スイはそれを見ないふりをして、川のほうを向いた。

レン

次は、透が黙ってる回だけ見てみない? ……あ、それはスイの読み方か。

スイ

じゃあ交換。私は地面の回を探してみる。帰ったら、最後の巻だけ開くね。テンが寝る前に。

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