ドアベルが鳴って、四人がまとめて入ってきた。先頭は、柄に柄を重ねたシャツのルカーノ。その後ろに、袖に糸くずをつけたままのカノンと、裁縫箱を提げたレイ。最後に、小さなキャリーを引いたチアキが、扉を静かに押さえて閉めた。カウンターの端では、ギターケースを壁に立てかけたジンが、先に一人で氷の音を聞いていた。
いらっしゃいませ。四名さまですね。どうぞ、奥から詰めてお掛けください。
Buona sera! カオルさん、今夜は襟の白がいい。この照明に、いちばん映える色だ。
恐れ入ります。照明のほうにも、お伝えしておきます。
ジンはカノンの顔を見るなり、スツールの上で背筋を伸ばした。
……お疲れさまです、カノンさん。今日は、工房の日でしたか。
ジンさん! そうだよ、針の日。三回刺しちゃった。指に。
四回。一回は、私が見てないところで刺してた。
……カノンさん、指、見せてもらっていいですか。絆創膏、持ってます。
チアキは鞄から絆創膏を一枚出して、カノンの人差し指に手早く巻いた。巻き終えると、何事もなかったように自分の手を膝に戻した。
はじめてお見えの方ですね。お水を先にお出しします。
ありがとうございます。昼に劇場で一本観て、明日の朝の新幹線で帰ります。レイさんに、ここを教えてもらいました。
私は、ジンジャーエールをお願いします!
工房でね、カノンちゃんの次の衣装の話をしてたんだ。テーマは恋。そうしたら、誰を思い浮かべて縫うか、で止まっちゃって。
それで、レイさんが「付き合うなら誰か、先に決めて」って。決まらないまま、ここまで持ってきました。
設計の前に要件。誰のための一着か決めないと、型紙が引けない。
でしたら、コースターの裏にお書きになって、皆さまでいっせいにお見せになるのはいかがでしょう。作品の中の方で。
……俺も、ですか。
ジンもだよ。このカウンターに座った人は全員。
待って。ネタバレ、どこまで。先に決めて。
結末まで、でいいと思います。付き合うなら、別れ方まで知らないと選べないので。
わかります! 最後まで、ですね。
カオルがペンを一本ずつ配った。五人はそれぞれ手もとを隠して書き、カオルの「どうぞ」で、五枚のコースターがいっせいに裏返った。カノンは『マリッジトキシン』の下呂ヒカル。ジンは『NANA』の大崎ナナ。レイは『カードキャプターさくら』の李小狼。チアキは『薄桜鬼』の土方歳三。ルカーノは『Paradise Kiss』のジョージ。
カノンの目が、一枚の上で止まった。名前ではなく、字のほうだった。とめのところで少しだけ力の入る、細い字。
……この字。よ、よくぞ遠路はるばる……じゃなくて、あの、いつもお手紙、ありがとうございます!
チアキは口もとに手の甲を当てて、少しのあいだ黙った。
字で、分かるものなんですね。……返事はいりません。今日も。今夜は客席の外なので、ふつうに話させてください。
はい。ちゃんと、ふつうにします。じゃあ、言い出したので私から!
下呂さんは、毒使いっていう殺し屋の名家の、次の当主になる人です。裏の仕事は一流なのに、女の人が苦手。それで、結婚詐欺師のメイさんに婚活を手伝ってもらうんです。お菓子が好きなところも、いいんですよ。[1]
原作・静脈、漫画・依田瑞稀。『少年ジャンプ+』で2022年4月から連載中
可愛い路線に戻した春から、ずっと追いかけてます。あ、付き合うのは、アイドルなので、作品の中だけの話ですけど!
いい選択だ。甘いものを持ち歩く人は、たいてい誰かに分けるつもりで持ってる。
ジンさんは。
……ナナです。『NANA』の、ボーカルのほう。
意外です。店長の工房で何度か会ったとき、ジンさんは拳の話ばかりだったので。
付き合うなら、の話ですよね。拳で語るやつと付き合っても、しょうがねえです。
で、男のほうがでかいバンドに引き抜かれて東京へ行くとき、ナナはついて行かない。そこで一回、切れます。[3]
ついて来いって言われても、自分の足で決めるやつは、ステージでも横に立てる。……それだけです。
ひとつだけ、伺ってもよろしいですか。付き合うなら、横に立つ方がいいんですか。前に立つ方ではなく。
横です。前に立たれたら、相手の音が聞こえねえんで。
私は小狼。最初は敵。香港から、さくらと同じカードを集めに転校してくる。さくらのことも、はじめは「お前」とか「あいつ」。途中から名前で呼ぶ。[5]
ここから私の解釈。呼び方が変わるのは、距離が半歩縮んだ記録。気持ちを台詞で言う前に、呼び方がもう答えてる。
高校で衣装を縫いはじめたころ、中学生になったさくらの続きが雑誌で始まった。それで、子どものころ観たものを、ぜんぶ読み直した。[4]
続編の「クリアカード編」は『なかよし』2016年7月号〜2024年1月号に連載
私の推しは、祈る相手なので。付き合うなら、の土俵には上げません。……作品の中の人なら、土方さんです。
就職した年の秋に、夜勤の休憩でゲームを始めました。選択肢の前で、ずいぶん長く止まってたのを覚えてます。
新選組の副長です。荒っぽい隊士をまとめるために、わざと鬼の役を引き受けてる。それが全部、局長と組のため。……それと、お酒に弱いんです。一合で酔うのに、本人は、飲まない主義なだけだと言い張る。[6]
……そういうお客さまも、存じております。
カウンターの何人かが、そろって自分のグラスに目を落とした。
最後は僕。ジョージ。服飾の学校の三年生で、小学生のころから服を作ってる天才。勉強漬けの女子高生を、仲間たちとショーのモデルにスカウトして、恋に落ちる。[7]
付き合うならの答えとしては、ひどい人だよ。マイペースで、紫を振り回す。自分の考えを持たない子には冷たい。でも、振り回されているうちに、紫のほうが自分の足で立ちはじめる。……服でいえば、着る人の体を甘やかさないドレスだね。[7]
店長、それは振り回す側の言い分です。
ははは。言うと思った。
カノンのジンジャーエールは、いつのまにか氷だけになっていた。
カオルさん。一杯だけ、お酒、飲んでみてもいいですか。二十歳になったので。
ジンの肩が、目に見えて固くなった。
……カノンさん。無理は、しないほうが。
無理じゃないよ。私、強いらしいの。顔にも足にも出ないって言われた。
かしこまりました。いちばん軽いものを一杯だけ、お作りします。お水も、隣に置いておきますね。
Piano piano. ゆっくりね。
水、先。
カノンは水をひと口飲んでから、細いグラスに口をつけた。顔の色は少しも変わらなかった。
論点を一個出します。連絡の頻度。私は毎日じゃなくていいです。着いたら連絡。一行でいい。
私は、その一行も返せない日があります。夜勤明けは、既読をつけるのが精いっぱいで。
それは障害じゃなくて仕様です。先に言ってもらえれば、待てます。
ツアー中は、俺も返しません。……返せません。
返さない、と、返せない。そこは分けてください、ジンさん。
ジョージのまわりには、連絡のつかない人もいるよ。アトリエに使ってる古いバーの持ち主はおじさんなのに、旅に出たら戻らない人で、ちっともつかまらない。[7]
……それは、困りますね。
小狼の話に戻します。ここからは畳みます。
結末・正体李小狼の恋の行方(原作とテレビアニメの結末まで)押すと開きます
レイ「小狼は、さくらを好きになったことに、最初は自分でも気づかない。気づいて、混乱する。アニメでは、そのあと婚約者だった苺鈴との婚約を解く。告白しようとしては邪魔が入って、そのたびに知世に相談してる」
レイ「さくらが雪兎さんに失恋したと知ったときは、一度、言うのをやめようとする。知世に諭されて、もう一回決める。告白して、両想いになって、それでも香港に一度帰る。向こうでやらなきゃいけないことがあるから。何年かして手続きを終えて、中学生になったさくらのところへ戻ってくる」
レイ「私が知ってるのは、帰る、と、戻る、の二つだけ。そのあいだのことは数えない。数えなくていい関係だったから、戻る場所が残ってたんだと思う。私の要件は、急かさない人」[5]
畳んだところ、私、読むたびに息が止まります。
そこです。……今の、長かったですか。
閉店まで、まだだいぶあります。
カオルはグラスを拭く手を止めずに、水のグラスをカノンの手もとへ少しだけ寄せた。カノンのグラスは、半分ほど減っていた。
ねえ、ジンさん。ナナさんの、どこがいちばん、ときめくの?
……ときめくとかじゃ、ねえです。……鍵です。
中盤までナナと蓮の首飾り(原作の中盤)押すと開きます
ジン「ナナは昔、男に南京錠の首飾りを贈ってます。鍵は自分が持ったまま。だから男のほうは、自分じゃ外せない」
ジン「東京に出てきたあと、ナナは全部終わらせるつもりで、その鍵を返しに行く。会って返しに行ったのがきっかけで、二人はまた一緒になります」
ジン「鍵を返すってのは、約束を終わらせるってことです。終わらせに行って、また始まる。……それは契約だろ? ……です」[3]
Bellissimo. 外せない首飾りを贈る話は、作る側としても一度はやってみたい。
私は、外せない、は要件から外したい。鍵は本人が持ってるほうがいい。
……外せないから、意味があるんです。
……終わり方も、畳みます。
結末・正体ナナと蓮の最後(原作の休載前の最新の展開まで)押すと開きます
ジン「最後の電話は、けんかです。ナナのバンドが止まって、ナナは男に、代わりにベースを弾いてほしいと頼む。男は断る。そこから言い合いになって、それが二人の最後の会話になります」
ジン「男はそのあと、事故で死にます。ナナの二十一の誕生日の前の日です。車のギターケースには、ナナへの誕生日の贈り物が入っていて、それはまだ開けられてない」
ジン「何年か先の場面では、ナナは日本の暮らしを捨てて、イギリスにいる。バーのような店で歌っているのを、見かけられてます」
ジン「……だから俺は、けんかしたまま電話を切りません。切るなら、最後の一言は雑にしない」[3]
畳んだところの最後の一行、私は賛成です。病棟でも、それだけは守ってます。
ジンさん、えらい。苦しゅうない。そなたの言うとおりじゃ。
言い直しは、来なかった。カノンは自分の言ったことに気づかないまま、楽しそうに笑っていた。ジンはカウンターの下で、自分の膝を握った。
……カノンさん。水、飲んでください。
飲んでるよ。ねえ、次は私の番。そなたも、この話、最後まで聞いて。
下呂さんはね、自分のために結婚したいんじゃないの。……あっ
カノンは言いかけて、自分の口を押さえた。押さえるのが、いつもより一拍遅かった。
結末・正体下呂が結婚を急ぐ理由とメイの秘密(原作の既刊まで)押すと開きます
カノン「妹さんがね、恋人と一緒に暮らしてるの。でも、当主のおばあちゃんが、家の血を絶やさないために妹さんに跡継ぎを産ませるって言い渡すの。だからお兄ちゃんの下呂さんが、妹さんのかわりに自分の結婚相手を探す。裏の仕事しか知らない人が、慣れない婚活をするの」
カノン「それでね、下呂さん、メイさんに結婚してって言っちゃうの。仕事で狙うはずだった人に、殺す代わりに求婚して、命を守ったの。……そうしたら、メイさん、男の人だった」
カノン「私、そこで笑って、そのあと泣いた。誰かのために、いちばん苦手なことに飛びこむ人。ときめくって、そういうことだと思う」[1]
……カノンさん。いま、言い直さなかった。
それに今夜は、数えてないね。いつもなら礼の秒数まで数えてるのに。
数えないよ。今夜は、目の前の人だけ見てるの。ねえ、付き合うならの話、もうちょっと本当のこと言ってもいい?
ときめくのは、目を見て話してくれる人。子どものころ、まわりの大人がみんな頭を下げるばっかりで、誰も目を合わせてくれなかったの。だから、ちゃんと目を見て、くだらない話をしてくれる人がいい。デートは、コンビニのお菓子を半分こ。金欠だから。
あとね、ライブに来てくれたら、うれしい。いちばん後ろでいいから。
ジンはグラスを持ったまま、しばらく動かなかった。
……そうですか。
私の番、いいですか。土方さんの決め手は、疲れた顔を見せないところです。病棟では、疲れを隠す人を見つけるのが仕事なので。隠す人の隣に、気づく人がいる組み合わせが、いちばん長く続くと思ってます。……これは、私の勝手な見方です。
相手の千鶴は、蘭方医のお父さんを捜して京都に来た子なんです。手当てができる人。だから、この二人は合うと思う。[6]
結末・正体土方歳三の結末(ゲーム・テレビアニメ・劇場版)押すと開きます
チアキ「この人の結末は、媒体で違います。ゲームの本編では、宿敵の風間との決着のあとも生きている。テレビアニメでは、その決着で負った傷がもとで、千鶴の膝の上で静かに息を引き取る。劇場版では、風間も土方さんも命を落とさず、土方さんは千鶴と一緒に生きていく道を選ぶ」
チアキ「夜勤の休憩で選択肢を選んでいたころ、選ばなかった道の先を、アニメと映画で見せてもらった気がしました。私は、選べるなら、帰ってくる結末を選びます」
チアキ「付き合うなら、の答えも三通りあります。私が譲れないのは一つだけ。生きて、帰ってくる人」[6]
畳んだところ、媒体で違うんです。だから付き合うなら、の答えも、どれを観たかで変わると思います。
チアキさん、それ、いい。よかろう、採用!
じゃあ僕の番だ。デートの過ごし方なら、ジョージとは採寸だね。巻き尺を当てて、何も言わずに数字を書きとめる。あれ以上の会話はないよ。
いや、なんでやねん……失礼いたしました。
カオルはグラスを拭く手を、ほんの一瞬だけ止めた。
その返し! ……でも、本気なんだ。
採寸なら、私もデートでいいです。測ってるあいだは、相手が動かないので。
俺はスタジオです。二人で音を出して、走ったら止める。……デートってほど、甘くはないです。
私は、終演後のロビーで一言ずつ感想を言えたら、それで十分です。
みんな、デートが仕事の続きになってる。ふふ、私もか。
皆さま、お休みの日も持ち場を離れられない方ばかりですね。
ジョージのお父さんは大きな会社の社長で、お母さんはその人の愛人だった元モデル。人に寄りかかって生きる人が苦手なのは、たぶんそこからだと僕は読んでる。[7]
結末・正体紫とジョージのその後(原作の最終巻まで)押すと開きます
ルカーノ「紫はお母さんと仲直りして、高校を卒業するのを条件に、モデルの事務所に入る。ジョージとは、お互いのために別れる道を選ぶ。ジョージは、それまでに作った服を紫に譲って、パリへ渡る」
ルカーノ「十年後、紫は、ずっと彼女を気にかけていた同級生の浩行と婚約している」
ルカーノ「僕がジョージを書いたのは、ここ。引き止めないで、相手の道のほうを向いて別れる。一緒にいたあいだに、相手が一人で立てるようになってる。別れ方まで含めて、一着の仕事だと思うんだ」[7]
……俺とは逆です。俺は、畳んだあの終わり方が引っかかって、ナナを書きました。
逆じゃないさ。どっちも、最後の一言を大事にしてる。
ジョージは私の要件を満たさないです。境界を勝手に決める人なので。……ただ、畳んだところの終わらせ方だけは、満点に近いと思います。
私は、畳んだところを読んで、紫さんに一票入れたくなりました。
ははは、そう来たか。……ま、それでもいいさ。
ほかの客が帰ると、カオルは扉の外の札を返して戻ってきた。エプロンの紐をひとつゆるめると、声が半音ほど下がった。
ほな、ここからは店の外の言葉で。……カノンさん、ちょっと夜風に当たっといで。顔はなんも変わってへんけど、言い直しがいっこも来えへんねん。
えっ、私、言い直してなかった?
一回も。そなた、が二回。
……そなた?
外まで、ついて行きます。……偵察です。
カオルさんは? 付き合うなら、誰を書いたの。
私? 書いてへんよ。店の者は、誰の肩も持たへんの。……強いて言うたら、話を最後まで聞いてくれる人やな。いっつも聞く側やから、たまには聞かれたいねん。……おばあちゃんには内緒やで。電話が三十分のびるから。
扉の外は、もう秋の夜の冷たさだった。カノンは路地に出て、夜風をひとつ吸った。ひとつ、ふたつ、みっつ。三つ目で、背中から首までがすっとまっすぐになった。
……あ。
カノンは振り返り、扉のわきに立っていたジンに、舞台の終わりと同じ角度で深く頭を下げた。
ジンさん。さっきまでの私、ちょっと偉そうでした。……ごめんなさい。
……別に。偉そうじゃなかったです。楽しそうでした。
店の中から、ルカーノの笑い声と、氷の鳴る音が聞こえた。
レイさん、昨日の私、そなたって本当に二回言いました?
二回。よかろう、一回。苦しゅうない、一回。
……全部覚えてます。顔から火が出そうです
顔には出てなかった。出てたのは、楽しそうな声だけ
次は一杯目の前に、夜風に当たってから行きます