平日の午後、海辺の町のゲンの家。子どもたちは学校で、家はめずらしく静かだった。スイが仕事の日、白い猫のテンは、いつのまにかこの縁側にいる。今日はテンの頼みで、ゲンのスマホのチャットにクロが入っていた。画面には猫のアイコン。クロはいつもどおり、声を出さずにチャットで参加している。問いを持ってきたのはゲンだった。「港の若いのが、来月から遠洋の船に乗るんだ。半年は帰ってこねぇ。見送る嫁さんのほうに、何か一本渡してぇんだよ」。
画面の向こうの猫のアイコン
はじめまして。クロです。テンさんに呼ばれました。ゲンさん、で合ってますか。
おう、合ってる! よろしくな、クロさん。……で、顔はどんな……。
返ってきたのは、猫が首をかしげるスタンプが一つだけだった。
クロは顔を見せないにゃ。それでいいにゃ。声より文字のほうが、よくしゃべる人にゃ。
ゲンは陸に置いてきた家族の映画を
俺は『となりのトトロ』だ。遠洋の船の上で、何べん観たか分からねぇ。あれは俺にとっちゃ、陸に置いてきた家族を思い出す映画なんだよ。好み
『となりのトトロ』は1988年4月16日に公開されたスタジオジブリ制作のアニメーション映画で、宮崎駿監督の長編アニメーション映画第4作。昭和30年代初頭の初夏、小学生のサツキと幼い妹のメイ、父の三人が、入院中の母の病院の近くで、空気のきれいな所で暮らすために農村へ引っ越してくる。事実[1]
母ちゃんと離れて暮らしてる子どもらの話だろ。船の上で観てると、うちのチビたちも、こうやって俺を待ってんのかなって……泣けるじゃねぇか……!解釈
ゲンはまだ一場面も話してないのに泣いてるにゃ。
草。……失礼しました。続けてください。
思い出しただけで来るんだよ! 見送る嫁さんにはこれだ。待ってる側にも、ちゃんと毎日がある。俺には、そういう映画に見えるんだよ。解釈
クロは終わったあとの町を
俺はゲームを一本。『MOTHER2 ギーグの逆襲』です。ふつうの町の子どもが、家族と電話でつながりながら旅をするゲームです。好み
『MOTHER2 ギーグの逆襲』は1994年8月27日に任天堂が発売したスーパーファミコン用のRPGで、ゲームデザインとシナリオはコピーライターの糸井重里。イーグルランドの地方都市オネットの家で、少年が家族と暮らしているところから始まる。各地に電話があり、「パパ」に電話するとデータをセーブでき、ホームシックにかかっているときに「ママ」に電話するとホームシックが治る。事実[2]
離れていても、電話をかける先があれば、旅は続けられる。俺はこのゲームで、エンディングのあとも町を歩いて、人に話しかけて回りました。いつのことかは言いません。物語は、終わったあとにも続いていると、そのとき知りました。解釈
ホームシックが電話で治るのか。いいじゃん、それ! 俺が船に乗ってたころは、陸と話せる日なんて、ほとんどなかったからなあ。好み
だから、行く人より、見送る人に渡したいです。行く人には、毎日やることがある。残る人の町は、いつもどおり続くので、そっちのほうが長く感じると思います。解釈
テンが言えなかったこと
テンの一本は『魔女の宅急便』にゃ。旅立つ夜の話にゃ。好み
『魔女の宅急便』は1989年7月29日に公開されたスタジオジブリ制作のアニメーション映画で、角野栄子の同名の児童文学が原作。監督は宮崎駿。魔女として生きる事を決意した少女は13歳の満月の夜に旅立ち、よその町で1年間の修行をしなければならない。魔女の血を受け継ぐ13歳の女の子キキは、この古くからのしきたりに従い、黒猫のジジと共に旅立つ。事実[3]
黒猫と一緒に旅立つところが、テンは好きにゃ。……それから、少しだけ話してもいいかにゃ。ずっと昔からの幼なじみが、急に遠くへ行ってしまったことがあるにゃ。テンはちょうど長い昼寝の最中で、何も言えなかったにゃ。起きたら、もういなかったにゃ。好み
……言えなかったのか。そりゃあ、きついなあ。……泣けるじゃねぇか……!
だから旅立つ夜の話を観ると、テンはいつも、あの昼寝のことを思い出すにゃ。見送る側になれたら、何を言ったかにゃって。解釈
テンさん。言えなかったことは、まだ言えると思います。さっきの話と同じで、終わったあとにも続いているので。会えたときでも、手紙でも、遅くても届く言葉はあります。俺は、そう思っています。解釈
……クロはときどき、いいことを言うにゃ。神のご加護にゃ。
泣いて見送るか言葉で見送るか
俺はな、別れは泣いていいと思ってる。もう一本足すぞ。『ぼくのなつやすみ』。田舎の夏休みをそのまま遊ぶゲームだ。夏が終わる日、俺は子どもらの横で泣いた。好み
『ぼくのなつやすみ』は2000年6月22日にソニー・コンピュータエンタテインメントが発売したPlayStation用ゲームソフト。母親が臨月を迎えたため、8月の夏休みの1か月間、田舎の親戚の家へ預けられた9歳の少年「ボク」を操作し、昆虫採集や虫相撲、魚釣りなどをしていく。当時のキャッチコピーは「なくしたもの思い出しゲーム」。事実[4]
一か月で終わるって、最初から分かってる夏なんだよ。分かってんのに、最後の日はやっぱり泣く。別れってのは、そういうもんだろ。解釈
テンは反対にゃ。泣くのはあとでもできるにゃ。言葉は、行ってしまう前にしか渡せないことがあるにゃ。テンはそれを、昼寝で知ったにゃ。解釈
……そうか。泣いてるうちに、船が出ちまうこともあるもんな。若いのにも言っとくか。出る前の晩に、嫁さんに一言ちゃんと言っとけって。好み
それから、テンはもう一本、そばに置いておきたいにゃ。『夏目友人帳』。猫の姿で人のそばにいる感じが、テンは好きにゃ。好み
『夏目友人帳』は緑川ゆきの漫画で、初出は『LaLa DX』(白泉社)2003年7月号、2007年9月号から『LaLa』で連載されている。高校生の夏目貴志は、幼いころから普通の人には見えない妖の姿を見たり、声を聴いたりできる。招き猫と強く結びついてしまった妖怪の斑は、普通の人間には頭の大きな猫に見えるため、ニャンコ先生と呼ばれるようになる。貴志は様々な出来事を通じて、妖たちとの出会いと別れを繰り返していく。事実[5]
出会いと別れを繰り返す話を、一冊ずつ読めるのはいいと思います。一度に全部の別れを背負わなくていいので。解釈
最後に一人一本
俺は『となりのトトロ』だ。見送る嫁さんに渡す。待ってる側の毎日にも、ちゃんと物語があるからな。よっしゃ、これで決まりだ!好み
テンは『魔女の宅急便』にゃ。旅立つ夜には、泣く前に一言。言えなかった人は、遅くてもいいにゃ。好み
『MOTHER2 ギーグの逆襲』。電話をかける先がある人は、離れても旅を続けられます。俺は、エンディングのあとも町を歩きました。好み
別れのときに泣いていいのか、泣く前に言葉を渡すべきなのかは、最後まで一つにならなかった。ゲンは「泣かねぇで見送れるやつなんかいねぇ」と言い、テンは「泣くのはあとでもできるにゃ」と言った。クロは二人のあいだで、言えなかった言葉は遅れて届いてもいい、とだけ書いた。帰りぎわ、テンが画面に向かって「次のおやつは高いのにするにゃ」と言うと、猫がおじぎをするスタンプが返ってきた。解釈
大切な人と離れた人には、終わったあとにも続いていく物語を。言えなかった言葉は、遅れて届いてもいい。