あの作品に助けられた

一話だけの夜に焚き火があった

好きなはずの作品を、義務のように観ていた時期がある。何も入ってこなくなった日曜の夜、ナギの手を止めたのは『ゆるキャン△』の焚き火の音でした。聞き手はハル。作品の展開には触れず、その頃の暮らしの話です。

こんな人に
好きだったはずの作品を、いつのまにか「追いつくため」に観ている人へ。何を観ても入ってこない夜がある人にも。
ネタバレの範囲
ネタバレなし テレビアニメ『ゆるキャン△』第1期・第1話の出会いの設定まで
話している人
ナギ × ハル
主張の種類: 事実 作中の観察 根拠のある推測 解釈 好み
目次 全6節・約6分
  1. 追いつくために観ていたころ
  2. 日曜の夜に何も入ってこなくなった
  3. なんとなく再生した第1話
  4. 一人でいることを悪く思わなくなった
  5. 一話で止められた
  6. いまの小さな習慣

「しおりのある部屋」で、ハルがナギに一つ聞きました。「ナギって、昔から『一話だけでいい』って言える人だったの?」。返ってきたのは、働き始めたころの、少し意外な話でした。

追いつくために観ていたころ

ハル

ナギって、昔から「今日は一話だけでいい」って言える人だったの? 僕、ずっとそういう人なんだと思ってた。

ナギ

ううん、全然。働き始めて一年目くらいかな、真逆だったよ。話題の作品は全部観ておかなきゃ、って思ってた。

ハル

全部?

ナギ

職場でも友だちとのやりとりでも、作品の話が出るでしょう。そこで「まだ観てない」って言うのが、なんだか怖くて。帰りの電車で配信の一覧を眺めて、今週はこれとこれ、って予定を立ててた。

ハル

それ、ちょっとわかる。僕も話に乗りたくて、あらすじだけ先に読んだことある。

ナギ

夜の十一時ごろ帰ってきて、コンビニのおにぎりを食べながら、倍速で一話。お風呂のあとにもう一話。日曜は朝から、たまってる分を順番に。

ハル

楽しかった?

ナギ

……楽しいはずだったんだけどね。観終わった本数をメモ帳に書いていって、数が増えると安心する。でも、どの話がどんな話だったか、あんまり覚えてなかった。

日曜の夜に何も入ってこなくなった

ハル

何か、きっかけみたいなものはあったの?

ナギ

冬の日曜の夜。たぶん零時を過ぎてたと思う。部屋の電気をつけたまま画面の前に座ってたんだけど、何を観ても、何も入ってこなかったの。音は聞こえてるのに、言葉が頭の外を流れていく感じ。

ハル

……それは、しんどいね。

ナギ

しんどいっていうより、空っぽだった。好きだったはずのことが宿題みたいになってて。明日も仕事なのに眠れなくて、でも何かを観ていないと、よけいに落ち着かない。

ハル

僕だったら、そこで「よし、気分を変えて新しいのを観よう」って言っちゃいそう。

ナギ

ふふ、ハルっぽい。でもそのときの私には、新しい何かを始める元気はなかったな。

なんとなく再生した第1話

ナギ

そのとき、一覧の端にあった『ゆるキャン△』を、本当になんとなく再生したの。前に誰かが話してたのを覚えてて、でも「観なきゃリスト」には入れてなかった作品。

ハル

義務じゃなかったんだ。

ナギ

そう、そこが大きかったのかも。倍速にもしなかった。なんでだろう、最初の場面の静かさに、手が止まったんだと思う。

第1話は、富士山を見に出かけた先で夜を迎えてしまったなでしこと、一人でキャンプをしていたリンが出会う話です。公式サイトのあらすじには、焚き火を囲み、カレーめんをすすりながら話す二人の姿が書かれています。事実[1]

ナギ

焚き火のぱちぱちいう音がね、ずっと鳴ってるの。台詞のない時間もけっこうあって、そのあいだ、私も一緒に黙って火を見てた。そしたら、画面の中の湯気を見ながら、自分のお腹がすいてることに気づいたの。

ハル

お腹がすいてることに、気づく。

ナギ

うん。それまで、お腹がすいてることにもちゃんと気づいてなかったんだと思う。その夜、台所でお湯をわかして、インスタントのスープを飲んだ。それだけなんだけど、久しぶりに「おいしい」って思った。

一人でいることを悪く思わなくなった

ハル

作品のどこが、いちばん効いたんだろう。

ナギ

一人でキャンプしてる子が、すごく楽しそうなところかな。誰かに見せるためでも、何かを達成するためでもなくて、ただ火をおこして、ごはんを作って、本を読んでる。それを作品が「さみしい人」として描いてないの。解釈

ハル

ああ、それはわかる気がする。

ナギ

私ね、そのころ、休みの日に一人でいると「予定がない日」って感じてたの。誰とも会ってない自分は、何か足りてないって。でもあの子を見てたら、一人の時間は「自分と過ごしてる時間」なんだって思えた。

ハル

観た量で好きを測ってたのと、一人の時間を悪く思ってたのって、どこか似てるね。根拠のある推測

ナギ

そうかも。どっちも、「ちゃんとしてる」って誰かに見せるための数だったのかもしれない。

一話で止められた

ハル

そこから、一気に全部観たの?

ナギ

それがね、観なかったの。一話観て、スープを飲んで、寝た。次の日曜も一話だけ。なんか、もったいなくて。

ハル

僕なら絶対、一気に観ちゃう。

ナギ

前の私もそうだったはず。でもあの作品は、一話観るとちゃんとお腹いっぱいになる感じがあったんだ。火を見て、ごはんを食べて、寝る。それで一日が終わってもいいんだって。

ハル

……前にナギが「今日は立ち上がらなくていい日かも」って言ったとき、僕、ちょっとびっくりしたんだ。応援って背中を押すことだと思ってたから。でもその言葉の後ろには、こういう夜があったんだね。

ナギ

大げさなものじゃないよ。作品が何かを解決してくれたわけじゃないし、そのあとも疲れる日はあった。ただ、あの第1話が「止まっていい」って思えるきっかけになったのは、本当。

ハル

次の日の月曜は、どうだった?

ナギ

劇的に元気になった、とかはないよ。いつもどおり眠かったし、いつもどおり電車は混んでた。でも、お昼に何を食べようかって、ちょっと考えたの。前はコンビニの棚の前で、目についたものを取るだけだったのに。

ハル

何にしたの?

ナギ

あったかいおうどん。それだけ。でも、自分が何を食べたいかを自分に聞いたのが、すごく久しぶりだった。観る作品も、食べるものも、誰かの話題に合わせるんじゃなくて、自分に聞いて選んでいいんだって。

ハル

……それ、さっきの「お腹がすいてることに気づいた」と、つながってるね。根拠のある推測

ナギ

うん。あの夜から、少しずつ自分の声が聞こえるようになった気がする。焚き火の音みたいに、小さくて、ずっと鳴ってるやつ。

いまの小さな習慣

ハル

いまも、そのころの名残ってある?

ナギ

あるある。日曜の夜は、温かい飲みものを一杯いれてから、一話だけ観る。観たら、その日はおしまい。メモ帳には本数じゃなくて、「好きだった場面」を一行だけ書くようにしたの。

ハル

どんなこと書いてる?

ナギ

「湯気がきれいだった」とか、「食べる前に手を合わせてた」とか。すごい考察じゃないけど、読み返すと、その夜の私が何を好きだったかはちゃんとわかる。

ハル

それ、僕もやってみようかな。「頑張れ」以外の応援を探すのにも、使えそうな気がする。

ナギ

いいね。……もし今夜、何を観ても入ってこない人がいたら、観なくてもいいし、一話だけでもいいと思う。温かいものを一杯飲むだけの夜があっても、いいんじゃないかな。

観た本数ではなく、好きだった場面を一行だけ残す。温かい飲みものと一話だけの夜があってもいい。

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