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私の6選の六本目は『ウルフウォーカー』。アイルランドの森と街を舞台にしたアニメ映画です。二人の少女がこの先どうなるかは書きません。書くのは、街と森で線の描き方がまるで違う、っていう話。
鉛筆を持ったまま観た
最初に観たとき、手に鉛筆を持ってた。スケッチの途中で、休憩のつもりで再生したの。そしたら最後まで、一回も鉛筆を置けなかった。描きたいのに、画面から目を離したくない。描く人にとっては、ちょっと困る映画。
制作したカートゥーン・サルーンの公式ページでは、見習いのハンターの少女が父と一緒に、最後のオオカミの群れを退治するためにアイルランドへ渡ってくる物語として紹介されています。彼女は、夜になるとオオカミに変身できると噂される不思議な一族の、自由な少女と友だちになります。監督はトム・ムーアさんとロス・スチュアートさん。2020年の終わりにApple TVで公開された、と同じページに書かれています。事実[1]
カートゥーン・サルーンの住所は、アイルランドのキルケニー。公式ページの下のほうに、そう載っています。事実[1]
好きな理由1:街はかたい線で描かれる
城壁の中の街は、まっすぐで、角ばった線でできてる。家も道も人の動きも、版画みたいにかっちりしてて、四角い枠の中に閉じこめられてる感じがする。見習いハンターのロビンが街にいるときは、画面ぜんたいが少し息苦しい。線の形だけで、「ここは窮屈」って伝わってくる。解釈
色も違う。街の中は灰色と茶色とくすんだ青で、空まで重たい。森に入ると、緑とオレンジと金色が一気にあふれてくる。線の形と色の温度が、いつも同じ方向を向いてる。だから観てる私の体まで、街ではこわばって、森ではほどける。解釈
好きな理由2:森に入ると線がふるえる
森に入ると、線が急にやわらかくなる。丸くて、少しふるえてて、下描きの線が消されずに残ってるみたい。メーヴの髪も、オオカミの毛も、ぐるぐるした線で描かれてる。私が初めて見たとき、いちばんびっくりしたのはここ。下描きの線を「失敗」じゃなくて「生きてる証拠」として残してる。描く人間としては、勇気をもらえる。解釈
森の線、私にはちょっと音みたいに見えた。ざわざわ、っていう。まっすぐ引けなかった線を残すの、好きなんだ。好み
Nice、イロハさんそれだ! 英語だとrustleかな。フランス語だともっと葉っぱっぽい言い方がある。あとで一緒に探そ。
エマちゃんは、どっちの線で描く人?
私は写実だから、ほんとは街の線のほう。でも、この映画を観てから、下描きの線を一本だけ消さずに残すようにしてるの。生きてる証拠として。
好きな理由3:走る体が気持ちいい
二人が森を走る場面が好き。手で描いた線なのに、足の運びや体の傾きに重さがある。オオカミたちと並んで走るときは、カメラも一緒に走り出す。アクションの見せ方が大げさじゃないのに、風の速さが分かる。空手で、型を体が覚えたときの軽さに少し似てる。好み
それと、オオカミの感覚で森を見せる場面がある。そこでは画面が鉛筆のスケッチみたいにざらっとして、匂いや音が線になって流れていく。目で見る世界と、鼻と耳で感じる世界を、線の種類で描き分けてるの。描く人としては、そのアイデアだけで一晩しゃべれる。解釈
私の見方:線は、その土地の言葉
この映画の線は、どこか古い装飾や模様を思わせる。渦や組みひものような形が、森や光のなかにさりげなく入ってる。その土地の昔の絵の言葉で、自分たちの昔話を描いてる感じがする。国ごとに「描き方の母語」みたいなものがあって、この映画はそれを堂々と使ってる。翻訳すると消えちゃうものが、線の形の中には残る。私は、それを拾うのが好き。解釈
ヨーロッパに住んでたころ、古い教会や博物館で、渦を巻いた模様の本や石の飾りをよく見た。そのときは、ただ「きれい」で通り過ぎてた。この映画を観てから、あの模様が急に、その土地の人たちの「描き方の言葉」に見えるようになった。作品を観て、昔見た景色の読み方が変わる。そういうことが、たまに起きるから、知らない国の作品を観るのはやめられない。解釈
苦手そうな人への入口
手描きのアニメ映画に慣れていない人は、最初の十五分だけ、物語を追わずに「街の線」を見てみて。そのあと森の場面に入ったら、線の違いに気づくはず。気づいたらもう、この映画の見方が分かってる。オオカミ狩りの場面で緊張するところもあるけど、怖さより森の明るさのほうが残る映画だと思う。
ほかの5本とのつながり
『タンタンの冒険』で線が国を越えるって知って、この映画で、線にも生まれた国があるって知った。越えるのに、消えない。私の6選が国ばらばらなのは、たぶんそれを確かめたくて、あちこちの絵を見て回ってるから。好み
街ではかたい線、森ではふるえる線。どっちの線の中に立っているかで、登場人物の気持ちが見えてくる。