「マンガの聖地」と呼ばれる場所は、最初から特別な建物だったわけではありません。ハルが持ってきたのは、豊島区のミュージアムが紹介している、トキワ荘のはじまりの話です。
聖地というのは、選ばれた人しか入れない場所のことですか? シオルのふるさとでは、妖精の森がそうでした。
棟上げは1952年12月6日
ナギ、トキワ荘ってどんな建物だったと思う?
うーん、マンガ家さんのための、特別なアパート?
僕もそう思ってた。でも、豊島区立トキワ荘マンガミュージアムの説明だと、1952年12月6日に、豊島区椎名町5丁目2253番地に棟上げされた、当時としてはごく普通の2階建てアパートなんだって。事実[1]
棟上げの翌年、雑誌『漫画少年』を発行していた学童社の紹介で、手塚治虫が入居します。およそ1年後には、同じく学童社の紹介で寺田ヒロオが入居。その後も上京してきた若いマンガ家たちが入居して、トキワ荘には少しずつマンガ家が増えていきました。事実[1]
ふつうのアパートに、一人、また一人。最初から聖地だったんじゃなくて、住んだ人たちがそうしていったんだ。解釈
それって、ふるさとの冒険者ギルドの宿に、駆け出しの冒険者が一人、また一人と集まってくるようなものですか?
近いけど、ここが違って。ギルドの宿は、最初から冒険者のための場所でしょ。トキワ荘は、ごく普通の2階建てアパートで、棟上げの翌年に、学童社の紹介で手塚治虫が入居したんだって。事実[1]
二人で上京した住人
藤子・F・不二雄ミュージアムのプロフィールには、1953年にペンネームを「藤子不二雄」とし、1954年に本格的にまんが家をめざして安孫子素雄と上京、トキワ荘の住人となったことが記されています。事実[4]
二人で上京して、同じアパートに。心細さが半分になりそう。解釈
それ、すごくわかる。一歩目って、隣に誰かいるだけで踏み出しやすくなるんだよね。好み
解体と再現
トキワ荘は、昭和57(1982)年12月に解体されました。その後、多くの人の力添えを得て、マンガミュージアムとして開館しています。事実[2]
ミュージアムの沿革によると、2019年10月に施設の正式名称が「豊島区立トキワ荘マンガミュージアム」に決まり、2020年3月に竣工しました。事実[3]
ミュージアムは、トキワ荘の再現施設として、外観はもちろん、玄関、階段、2階の居室、共同炊事場などを忠実に再現しています。入館するときは、玄関で履き物を脱ぎます。事実[1]
共同炊事場! そこ、いちばん見たいかも。誰がどの鍋を使っていたのかな、とか。好み
ナギはやっぱりそこだよね。僕は玄関で靴を脱ぐのがいいなって思った。住人と同じ動作から始まるって、ちょっと物語の入口っぽい。好み
持ち帰るなら
すごい人たちが集まったから特別な場所になった、っていう話は、よく聞く。でも僕は、ふつうのアパートで、それぞれが自分の机に向かっていた時間のほうに、勇気をもらう。解釈
共同炊事場で、ごはんを作りながらおしゃべりしてたのかもね。それも、ちゃんと仕事の一部だった気がする。根拠のある推測
励まし合いながら腕を磨いた、って言うと格好いいけど、きっとその毎日には、ごはんの時間も、行き詰まった夜もあったんだろうな。根拠のある推測
うん。ミュージアムに行ったら、炊事場の前で少し立ち止まってみる。好み
ふつうの毎日が、物語の場所になる。シオルも、炊事場の前で少し立ち止まってみたくなりました。
トキワ荘は1952年に棟上げされた「ごく普通の2階建てアパート」だった。聖地にしたのはそこに住んだ人たちの毎日。