この文章は『魔法少女まどか☆マギカ』を最後まで観た人のための、二周目の案内です。まだの人は、ここで閉じて第1話へどうぞ。初めて観るときの驚きは、一回しかありません。物語の中身に深く触れるところは、ぜんぶ押さないと開かない箱に入れました。箱の外には、展開は書いていません。
ひとりの部屋で観た十二話
私がこのアニメを最初に観たのは、子どものころ、大きな家の自分の部屋でひとりきりのときでした。可愛い魔法少女のお話だと思って再生したら、ぜんぜん違った。怖い場面もたくさんあったけど、私は平気でした。誰かのために走る女の子たちから、目が離せなかったんです。好み
監督は新房昭之さん、脚本は虚淵玄さん、アニメーション制作はシャフト。2011年1月から4月まで毎日放送ほかで放送された、全12話のオリジナルアニメです。事実[1]
今の私は、小さなライブハウスに立つ駆け出しのアイドルです。舞台の上の「キャラ」と本当の自分を、どこまで同じにしていいのか。ずっと迷ってきました。だから二周目は、女の子たちが人前でどんな顔をして、どんな立ち姿でいるかだけを見ることにしました。好み
Bellissimo! 立ち姿から観る二周目か。カノンちゃんらしいね。じゃあ僕は、服とリボンの色から観よう。二人で観れば、同じ画面が二倍おいしくなる。
毎回の幕開けは横長の画面
各話の冒頭には、シネマスコープの横長の画面でアバンタイトルが入る構成になっています。これは魔法少女ものの約束事として入れられたもの、と説明されています。事実[3]
一周目は気にもしていませんでした。二周目は、毎回の幕開けが「これから魔法少女ものを始めます」という一礼に見えます。舞台でいえば、幕が上がる前のお辞儀です。私は立ち姿と礼だけは百点と言われているので、ここには勝手に親近感があります。解釈
作り手は放送当時、先の展開を隠すことにも気を配っていました。次回予告はイラストを背景に台詞が一言流れるだけの形にし、第1話と第2話にエンディング映像が使われなかったのも、その内容がネタバレになってしまうから、とされています。事実[7]
二周目は、隠すために削られたものの「形」が観られます。最初の二話の終わり方の素っ気なさも、わざとなんだと思って観ると、急に張りつめた幕切れに見えてきました。解釈
第1話の転校生のあいさつ
第1話、まどかは夢の中で、傷つきながら戦う少女を見ます。翌朝、その少女・暁美ほむらが転校してくる。ほむらはなぜかまどかのことをよく知っていて、今とは違う自分になろうと思わないこと、という謎めいた警告を残します。事実[2]
一周目の私は、ほむらちゃんを「クールで怖い転校生」だと思っていました。長い黒髪、まっすぐな背中、少ない表情、迷いのない声。ステージの上なら、ああいう子がいちばん目立ちます。作中の観察
シルエットに無駄がない子だね。ただ、職人の目で見ると、ああいう線は生まれつきというより、削って削って作った線に見えることがある。解釈
ルカーノさん、それ、二周目の答えにかなり近いです! 続きは箱の中に書きます。
結末・正体結末まで(第10話〜最終話)押すと開きます
第10話で、ほむらちゃんの過去が一話まるごと使って描かれます。もとは入院がちで気弱な、三つ編みに眼鏡の女の子だった。転校先で初めてできた友だちがまどかで、そのまどかを救えなかった結末を見て、出会いをやり直したいと願い、時間をさかのぼる魔法少女になる。そして同じ時間を何度も繰り返してきた。
二周目にこれを知って第1話のあいさつを観ると、あの冷たさが全部、作った立ち姿に見えます。眼鏡を外して、三つ編みをほどいて、声を落として、迷わない顔をする。今とは違う自分になろうと思わないで、という警告は、誰よりも違う自分になってしまった人の口から出ていた。私は昔、クールなキャラで売り出して大失敗したことがあるので、ここで胸がぎゅっとなりました。キャラは作れる。でも、作ったキャラの中にいる人は、ずっと疲れている。事実[5]
結末・正体結末まで(第10話の補足)押すと開きます
脚本の虚淵玄さんによれば、ほむらが同じ時間を繰り返した回数ははっきり決まっていないけれど、少なくとも映像で描かれた回数よりは多く、千単位以上ということはあり得ない、とのことです。二周目の第1話は、その何回目かの朝。転校生のまっすぐな背中に、描かれなかった回数ぶんの練習が乗っていると思って観てください。事実[11]
ひとりで立ってきた先輩
序盤のまどかとさやかを導くのは、先輩の魔法少女・巴マミさん。戦い方は華麗で、立ち居振る舞いも上品で、まさに舞台の上の人です。一周目の私は、マミさんの決めポーズに見とれて、鏡の前で真似までしました。私の顔だと、なぜか「怖い」と言われましたけど。好み
中盤まで中盤の展開(第3話)押すと開きます
第3話で、マミさんはまどかに、長いあいだ孤独な戦いを続けてきて本当は寂しかった、という気持ちを打ち明けます。そのあとの戦いがどうなったかは、ここに書かなくても覚えていると思います。二周目は、打ち明けたあとのマミさんの動きを見てください。一周目は油断に見えた身のこなしが、二周目には、やっと一人じゃなくなった人の、うれしくて仕方がない舞台に見えました。完璧な先輩の立ち姿の後ろに、一人で立ち続けた時間がある。私は、それを責める気になれません。事実[9]
朝の鏡の前のリボン
第1話の朝、まどかは母親に勧められたリボンを髪に結びます。監督の新房さんはこの場面に後悔があって、もっと派手な色のリボンも加えて母親にそれを選ばせ、まどかには自分の意志で別の色を選ばせるやり取りにしたほうが、もっとふさわしい演出になったのではないか、と述べています。事実[4]
その後悔、僕はよく分かるよ。服の場面で大事なのは、何色かより、誰が選んだかなんだ。人に勧められた色と、自分で選んだ色は、同じ赤でも着たときの背筋が違う。解釈
わかります! 私の衣装は、ぜんぶ自分で選んだ色です。……そのせいで事務所の全員を黙らせたこともありますけど。
あれは情熱の色だった。引き算を覚えれば、もっと良くなる。……ま、それでもいいさ。
結末・正体結末(最終話)押すと開きます
最終話で、まどかは最後の奇跡として、互いの記憶が残ることを願い、自分の髪を結んでいたリボンをほどいて、ほむらに託します。第1話で母親が勧めたあのリボンは、こうして最終話につながる。ただ、脚本の虚淵さんにとって、第1話のやり取りはまどかの外見を際立たせるための場面にすぎなかった、という話も残っています。
二周目の私は、この「伏線のつもりじゃなかった」話がいちばん好きです。誰かに勧められて結んだリボンが、最後には自分の手でほどいて、自分で選んだ相手に渡すものになる。新房さんが後悔した「自分の意志で選ぶ」場面は、第1話にはなかったけれど、最終話でちゃんと起きている。そう思って第1話の鏡の前を観ると、何でもない身支度が、まどかがこれから何かを選ぶ人になる前触れに見えてきました。事実[10]
オープニングを飛ばさない
オープニングの映像は、明るい魔法少女アニメの幕開けのような雰囲気です。一周目は、本編との温度差に驚いた人も多いと思います。二周目は、あの映像を飛ばさずに観てください。主題歌の「コネクト」は、私は聴くだけで、歌いません。聴くと胸がいっぱいになるので。好み
結末・正体結末まで(オープニングの見え方)押すと開きます
オープニングには、まどか、マミ、さやかが魔法少女の姿で一緒に並ぶ、本編の時間の中では実現しなかった場面が描かれています。第10話でほむらの過去が明かされると、あの映像は、伏せられ続けていたほむらの心情に寄り添ったものだと示唆されるようになる。第10話まで気づかれないよう、映像は意図的にまどか中心で描かれていた、とされています。そして第10話と最終話には、オープニングの映像がなく、いきなり本編が始まります。
私には、あのオープニングが、一度も開かれなかったライブのステージに見えます。全員がそろって、衣装を着て、同じ方向を向く。舞台に立つ人なら誰でも夢に見る光景を、いちばん強く願っていたのは、たぶん客席側からそれを見ていた人だった。二周目のオープニングは、毎回、その人の夢を見せられているんだと思って観ています。事実[6]
光がどこから来ているか
この作品の映像では、光源の置き方や構図の取り方で、登場人物の立場や心境を表す手法が使われている、と説明されています。事実[8]
服は光で色が変わる。だから二周目は、誰の顔に光が当たって、誰が影に立っているかを見るといい。衣装の色も、その光の中で読むんだ。解釈
ライブハウスの照明と同じですね。私、二周目は照明さんになったつもりで観てました。影の側に立つ人ほど、立ち姿がきれいなんです。好み
二周目の第1話は、転校生のあいさつの声と立ち姿を、教室を出るまで目で追ってみてください。