十月の日曜、昼。丘の上の公園のいちょう並木は、まだ半分くらい緑で、ところどころの枝先だけが黄色くなりはじめていた。ルカーノはソウタの手を引いて、並木の坂をゆっくり上っていた。今日は朝から、ソウタの母に預けられている。
噴水の前のベンチの横に、大きな男が一人立っていた。金と黒の上着に、黒いサングラス。片手のスマートフォンの画面を見つめたまま、ときどき一歩だけ横に動く。その頭の上を、小さな銀色のドラゴンがくるりと回っていた。
おじさん。あれ、ドラゴン。
ソウタはルカーノの上着の裾をつかんだまま、その場から動かなかった。目だけが、ドラゴンを追いかけている。ルカーノはサングラスを少し下げて、上の縁から男の上着を見た。
金の縁取りが、肩の線でちゃんと止まってる。……職業病だね。ソウタくん、近くで見てみたい?
……おじさんも、いっしょなら。
二人が近づくと、男はスマホから顔を上げた。ソウタがルカーノの脚のうしろに半分かくれたのを見て、男はその場にしゃがみこんだ。目の高さが、ソウタとちょうど同じになった。
こんにちは。驚かせたら悪いな。オレはタモツ。上を飛んでるのは、相棒のギアドラだぜ。
こんにちは。僕はルカーノ。この子は甥っ子のソウタくんです。ドラゴンが大好きでね。
ギアドラが高度を下げて、ソウタの顔の少し上で止まった。「はじめまして。ボクはドローンです。火は出ません。ごあんしんください」。ソウタは目をまるくして、ルカーノの脚のうしろから一歩だけ出てきた。
ねえ、ひ、ださないの?
出さないんだ。そのかわり、オレがはしゃぎすぎると止めてくれる。けっこう口うるさいドラゴンなんだぜ。
マイクラのエンダードラゴンより、ずっとちいさい。
あっちと比べられたら、だれでも小さいぜ。でも、こいつは肩に乗れる。そこは勝ってる。
なにしてたの。ずっとスマホみてた。
ポケモンを探してたんだ。見るか?
タモツはしゃがんだまま、画面をソウタのほうへ向けた。ルカーノもひざを折って、二人のうしろからのぞきこむ。噴水の前で、大きな大人が二人、子どもと同じ高さに並んでいた。
これはな、スマホが自分のいる場所を分かってて、ほんとうに歩いた場所でポケモンを探すゲームなんだ。ほら、この地図、いまオレたちがいる公園だぜ。[1]
ふんすい、ある。ここに、ぼくたちいるの?
いる。この真ん中のがオレだ。ソウタが一歩うごいても、この地図は動かないけどな。オレのスマホだから。
ふうん。じゃあ、タモツさんがあるかないと、だめなんだ。
そういうこと。それでいま、たまごを一個持っててさ。
たまご?
決まった距離を歩くと、たまごからポケモンが生まれるんだ。あとちょっと歩けばかえりそうなんだけど、ひとりで噴水を回ってたら、さすがに目が回ってきてな。[1]
それだったら、みんなであるく。ぼくが、まわる数かぞえる。
いい案だね。タモツさん、ご一緒してもいいですか。
願ってもないぜ! 三人と一匹でかえそう。
三人は噴水のまわりを歩きはじめた。先頭はソウタで、指を一本ずつ折りながら数えている。タモツはその横を、画面をソウタの目の高さに下げたまま歩く。ルカーノは少しうしろから、二人の背中と足もとを見ていた。
噴水のしぶきが風で流れて、ときどき三人の頬に届いた。ソウタはそのたびに目をつぶり、それでも数える声だけは止めなかった。ギアドラは少し高いところを、三人の歩く速さに合わせてついてきた。
ねえ、つかまえたポケモンって、さみしくないの。ずっとスマホのなかでしょ。
タモツは一瞬、足を止めかけた。それから、ソウタの横顔を見て、ゆっくり歩きなおした。
いい質問だぜ。このゲームはな、持ってるポケモンの中から一匹を相棒に選んで、一緒に歩けるんだ。[1]
いっぴきだけ?
いっぺんにはな。オレはときどき相棒を交代してる。ずっと待ってるだけのやつがいないように。
じゃあ、ひとつだけルール。こうたいは、いちばんながく、まってた子から。
いいね。待ってた子から、か。いちばん待たせた服から直す、って僕の仕事場の決まりと同じだ。
決めた。今日から、そのルールでいくぜ。ソウタのルールだ。
ソウタが三周目を数えはじめたころ、ルカーノがタモツの半歩うしろに並んだ。
さっきから気になってたんですが、その上着、肩の縫い目がいい仕事ですね。どこで仕立てたんです?
旅先の町の、小さな仕立て屋だぜ。言葉はほとんど通じなかったけど、カードを一枚見せたら、この金の色を出してくれた。
言葉より先に色見本が通じたんだ。……それは、いちばんいい注文の仕方かもしれない。
おじさんたち、ふたりとも、めがね、くろい。
ルカーノとタモツは顔を見合わせて、同時にサングラスの縁を指で押さえた。どちらも外さなかった。ソウタは「へんなの」と言って、また指を折りはじめた。
それとな、あの噴水みたいに町の目印になってる場所には、道具をもらえる場所が置かれてることが多いんだ。旅先の知らない町でも、目印の前に行けば、たいてい何かある。[1]
しらないまちでも、やってるの?
やってるぜ。知らない町の噴水の前でも、たまごをかえしに来てる子に会うことがある。今日のソウタみたいにな。
四周目に入ったところで、画面の中のたまごが揺れはじめた。ソウタは数えていた指を全部ひらいて、画面に顔を近づけた。
うごいた! うごいてる!
来るぞ……! ソウタ、いっしょに見るぜ。
たまごが割れて、小さなポケモンが一匹、画面の真ん中に出てきた。ソウタは声を出さずに、両手をぎゅっと胸の前で握った。ルカーノはうしろで、その手の形を目に焼きつけるように見ていた。
うまれた。……ぼくたちがあるいたから?
そうだぜ。三人と一匹で四周したからだ。こいつ、今日の相棒にする。いちばん新しいけど、ソウタと一緒にかえしたからな。
おじさん、いまのたまご、かいて。もようも。
了解。殻の模様は、あとで手帳に描こう。いまは、ソウタくんの目でよく見ておいてね。
タモツは立ち上がりかけて、肩にかけたカバンに手を入れた。中には、旅先で配るための小さな物がいくつか入っている。けれど、カバンの口に手をかけたまま、少し考えて、その手を出した。
何かあげたいとこだけど、物はやめとく。かわりに、また会う日を決めないか。
……いい選択だと思います。物は、持って帰るとそこで止まるけど、約束は次まで続くから。
いつ?
オレはまた旅に出るから、ソウタが決めてくれ。
ソウタはいちょう並木を見上げた。緑の葉のあいだに、黄色い葉がまだらに混じっている。
はっぱが、ぜんぶきいろになった日。
Ecco。それなら、来月のはじめの日曜くらいかな。お母さんにも聞いて、僕がまた連れてくるよ。
決まりだぜ。ギアドラ、記録しといてくれ。
ギアドラが噴水の上で一回転した。「記録しました。いちょうが全部黄色の日。お昼。この噴水の前。タモツが遅れないよう、前の晩に一度お知らせします」。
ねえ、そのときも、ドラゴンつれてきて。あと、さっきうまれた子も。
約束だ。そいつ、来月までに少しは大きくしとくぜ。
ルカーノさん、今日は助かったぜ。オレ、子どもと遊ぶと本気になりすぎるから、横にいてもらえると安心なんだ。
本気の大人が一人いると、子どもは遊びを信じられるんです。僕のほうこそ、いい日曜をもらいました。
帰りの坂を下りながら、ソウタは何度もふり返った。タモツは噴水の前でしゃがんだまま、ソウタが角を曲がるまで手を振っていた。ルカーノは歩きながら手帳を出し、いちょうの枝と、三人で回った噴水の形を、一本の線でさっと描きとめた。
おじさん。きいろになるの、まえより、まちどおしい。
うん。待つ日があると、木を見るのも楽しくなるね。来週も、ここの坂を上って、どのくらい黄色くなったか見に来ようか。