日常

予防接種の待合室でドレスの袖を描く

ネタバレの範囲 ネタバレなし どの作品も、紹介文と物語の始まりの設定で分かる範囲まで。展開と結末には触れません

土曜の朝、ルカーノおじさんに連れられて予防接種に来たソウタ。待合室で偶然会ったレイと三人で、プリキュアのドレスの袖と、エンダードラゴンに会いに行く準備の話をする。ソウタは呼ばれる前に、ルールを一つ足した。

こんな人に
注射の順番を待つ時間が長く感じる人へ。子どもの「ふわってなる」を、ちゃんと描き直せる大人にも。
話している人
ソウタ × ルカーノ × レイ
病院の待合 駅前の内科・小児科の待合室 土曜の午前

十時十分。待合室のソファには、色のちがう丸いクッションが七つ並んでいる。ソウタは、そのうち三つを自分のまわりに集めていた。隣には、オレンジの格子柄のジャケットに深緑のスカートを合わせた、大きな男の人。ソウタのお母さんの弟、ルカーノだ。

受付で、ルカーノは問診票を出す前に、受付の女の人の髪留めを褒めた。

受付の人

ありがとうございます。保険証と問診票をお願いします。

ルカーノ

はい、ただいま。

ルカーノは上機嫌のまま引き下がって、ソファに戻ってきた。

ソウタ

ルカーノおじさん、いまの、ながされてたよ。

ルカーノ

うん。流されるのも、礼儀のうちさ。

ソウタ

ふうん。……ねえ、ちゅうしゃ、何番目?

ルカーノ

ソウタの前に、三人。

ソウタ

あとちょっと?

ルカーノ

あとちょっとだね。

ソウタ

あとちょっと、いらない。

いつもは「あとちょっと」を延ばす側のソウタが、今日は縮まないでほしいほうに回っていた。

ルカーノ

そのクッション、どうして三つだけ集めたんだい?

ソウタ

なかまわけ。赤と、オレンジと、黄色。ちかい色だから、となりがいいの。

ルカーノ

ほう。じゃあ、残りの四つは?

ソウタ

青と、水色と、みどりと、むらさき。あっちはあっちで、なかよし。

ルカーノ

Bellissimo. 色の並べ方が、もうデザイナーだ。

ソウタ

おじさんの服は、ぜんぶの色がなかよし。

ルカーノ

……それは、今日いちばんうれしい言葉かもしれない。

自動ドアが開いて、黒いパーカーの女の人が入ってきた。受付をすませて待合室を見回し、ソウタと目が合う。

ソウタ

あ、レイさん!

レイ

ソウタ。……ルカーノさんも。

ルカーノ

やあ、レイ。

ルカーノは、いつものように何か褒めようと口を開きかけて、閉じた。

ルカーノ

この前の衣装、袖口の始末はどうなった?

レイ

三つ折りにしました。表に縫い目を出したくなかったので。

ルカーノ

いい判断だ。

ソウタ

レイさんも、ちゅうしゃ?

レイ

そう。予防接種。毎年この時期に打ってる。

ソウタ

こわくない?

レイ

こわくはない。好きでもない。

ソウタ

それ、どっち?

レイ

どっちでもない、のまま行く。

ソウタ

ねえ、レイさん。きのう、おねえちゃんとプリキュア観た。へんしんする前にね、「やる」ってきめるの。きめてから、へんしんするの。

レイ

うん。

ソウタ

へんしんしてから強くなるんじゃないんだよ。きめるほうが先。

ルカーノ

……Bellissimo. そこに気づくのは、なかなかだよ。

レイ

それは、私も分かる。

ソウタ

レイさんも、プリキュア観てたの?

レイ

観てた。いちばん最初のプリキュアは、二〇〇四年の二月に始まったの。私は四歳だった。[1]

ソウタ

二〇〇四年……レイさん、おばあちゃん?

ルカーノがむせた。

レイ

それは違う。

ソウタ

ちがうの?

レイ

私が四歳のときに始まったものを、いま、八歳のソウタが観てる。それだけ長く続いてる、ってこと。

ソウタ

ずっと?

レイ

ずっと。だから私は、おばあちゃんじゃなくて、先輩。

ソウタ

せんぱい!

ソウタは、なぜか背筋をのばした。

ソウタ

おじさん、ドレスかいて。きのうのやつ。

ルカーノは鞄から小さなスケッチブックを出して、ソウタの目の高さまで膝を折った。

ルカーノ

どうぞ。今日のデザイナーは、ソウタだ。

ソウタ

そで、ふくらんでるの。肩のとこでいっかい、きゅってなって、そこからふわってなる。

ルカーノ

こう?

ソウタ

ちがう、もっとふわってなる。

ルカーノ

こうかな。

ソウタ

そう! で、色はね、うえが白で、下にいくほど水色。

レイ

その袖、作るとしたら難しいよ。きゅってなるところに、ギャザーを寄せないといけない。

ソウタ

ぎゃざー?

レイ

布を細かく寄せて、ふくらみを作るやり方。

ルカーノ

レイの言うとおり。しかも、左右で同じふくらみにするのが、いちばん難しい。

ソウタ

じゃあ、むずかしいドレスなんだ。

レイ

むずかしいドレス。だから、かっこいい。

ソウタは、ほめられたというより、仲間に入れてもらった顔をした。

名前を呼ばれて、レイが立ち上がった。診察室の戸が閉まる。ソウタはクッションを一つ、ぎゅっと抱えた。

ソウタ

レイさん、だいじょうぶかな。

ルカーノ

だいじょうぶさ。

三分ほどで、レイは戻ってきた。左腕の、肩に近いところを、右手で軽く押さえている。

ソウタ

どうだった?

レイ

痛かった。でも、短かった。

ソウタ

どれくらい短い?

レイ

ソウタが「あとちょっと」って三回言うより、短い。

ソウタ

それ、すごく短いよ。

レイ

うん。短かった。

レイのポケットで、スマートフォンが二回震えた。画面を見たレイは、表情を一つも変えずに、三行だけ返信を打って、またポケットにしまった。

ルカーノ

仕事かい?

レイ

サーバーが一台、少し機嫌が悪いみたいです。手順どおりで直るので、大丈夫。

ソウタ

サーバーって、マイクラの?

レイ

マイクラのも、サーバーで動いてることがある。私が見てるのは、もっと大きいのだけど。

ソウタ

ぼくね、マイクラでエンダードラゴンにあいにいくとき、じゅんびがいちばん楽しいの。

レイ

エンドの、真ん中の島にいるボスだね。[3]

ソウタ

そう! エンダーアイを投げて、とんでくほうに歩いていくの。そしたら、ようさいがあるの。[3]

ルカーノ

準備が楽しい、か。僕も、本番より、仮縫いのほうが好きなときがあるよ。

ソウタ

ちゅうしゃも、じゅんび?

レイ

ここから私の解釈だけど。……冬の前の、準備の一つ。そう思ってもいいと思う。

ソウタ

じゃあ、ルールひとつたす。なかないでできたら勝ち……じゃなくて。

ルカーノ

じゃなくて?

ソウタ

ないても、つぎのじゅんびに行けたら勝ち。

ルカーノ

La vita è bella. いいルールだ。

レイ

そのルールなら、私も勝ってる。

ソウタ

レイさん、ないたの?

レイ

ないてない。

ソウタ

エルサもね、まほうがこわかったんだと思う。

ルカーノ

アナと雪の女王の?

ソウタ

うん。さわったものをこおらせたり、ゆきや氷をつくったりする魔法を、うまれたときから持ってるの。[2]

ソウタ

ぼくは、エルサがうたうところがすき。おねえちゃんと歌うとき、ぼくはひくいほうなの。

ルカーノ

ソウタの低いほう、聴いてみたいな。

ソウタ

ここではうたわない。びょういんだから。

レイ

正しい。

看護師さん

ソウタくん、どうぞ。

ソウタは抱えていたクッションをソファに戻した。三つとも、もとの場所に。それから、ルカーノの手をにぎって立ち上がった。

ソウタ

いってくる。……「やる」ってきめた。

レイ

いってらっしゃい。

五分後。診察室から出てきたソウタは、腕に小さな絆創膏、胸にドラゴンのシールを貼っていた。目のふちが、少しだけ赤い。

ソウタ

ちょっとないた。

レイ

うん。

ソウタ

でも、つぎのじゅんびに行けたから、勝ち。

ルカーノ

勝ちだ。完璧な勝ち。

ソウタ

おじさんは、ないてた?

ルカーノ

僕は、ソウタの手をにぎってただけさ。

レイ

でも、診察室から出てきたとき、スケッチブックで顔を半分かくしてた。

ルカーノ

レイ。

待合室の反対側で、小さな女の子が、お母さんのひざに顔をうずめて泣いていた。順番を待っているらしい。ソウタはしばらくそっちを見ていたが、やがて、そろそろと近づいていった。手の届かないところで止まって、先にお母さんのほうを見る。

ソウタ

あの、はなしかけてもいい?

女の子のお母さん

いいよ。ありがとうね。

ソウタ

これ、ドラゴン。ちゅうしゃのあとにもらえるの。

女の子は、顔を半分だけ上げて、ソウタの胸のシールを見た。

ソウタ

ぼく、ちょっとないた。でも、勝ったよ。ないても、つぎのじゅんびに行けたら、勝ちなの。

女の子は、泣くのを少しだけ休んで、シールのドラゴンの尻尾を指でなぞった。ソウタはそれ以上何も言わずに、ルカーノのところへ戻ってきた。

レイ

いまの、ルールの説明、短くてよかった。

ソウタ

ながいと、こわくなるから。

ルカーノ

……ソウタ。いまのは、今日二番目に美しい場面だった。

ソウタ

一番は?

ルカーノ

それは、これから見せるよ。

ルカーノは、ソウタが女の子のところへ行っているあいだに描いていたページを開いた。さっきのドレスの横に、腕をまっすぐ上げて立つ男の子の絵が増えていた。へんしんする前の、きめるポーズだった。

ソウタ

これ、ぼく?

ルカーノ

今日いちばん美しかった場面だよ。

ソウタ

……そで、もっとふわってなる。

ルカーノ

それは、ドレスのほうの話だね?

ソウタ

ぼくのほうも。

ルカーノはうれしそうに、男の子の絵の袖を描き直した。レイは会計の順番を待ちながら、その袖のギャザーの数を、黙って数えていた。

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