十二時二十分。学食の券売機の列が一番長くなる時間を、ソウマは毎週きっちり避けている。窓ぎわの二人席に、日替わりのカレーと、角の擦り切れたノート。ノートには、昨夜観たアニメの台詞が三行と、構成の矢印がいくつか書いてあった。
向かいの椅子が引かれた。金髪の頭と、山盛りのトレー。唐揚げ定食に、小鉢が三つ。
ソウマくん、いた! Nice timing! ここ座るね。
……座ってから言うな。
あのね、教えてほしいアニメがあるの。インターン先で、休憩中にみんなが話してて、私だけ分からなかったやつ。コードギアス。
……なんで俺に。
だって、帝国とか組織とか出てくる話、ソウマくんの顔が変わるでしょ。前に学食で、ソウマくんが一人でにやにやしてノート書いてたとき、たぶんそういうやつだったもん。
にやにやはしてない。……まあ、五分だけなら。
ソウマはスプーンを置いて、ノートの新しいページを開いた。五分、と言った人の手つきではなかった。
サンライズが作ったSFのロボットアニメで、最初の放送は2006年の10月。現実とは違う歴史をたどった世界で、世界の三分の一を支配してる超大国の神聖ブリタニア帝国に、一人の少年が反逆する話。[1]
舞台は、その帝国の植民地にされた近未来の日本。国の呼び名は「日本」から「エリア11」に、人の呼び名は「日本人」から「イレヴン」に変えられてる。[1]
エマの箸が、唐揚げをつまんだまま止まった。さっきまでの声の高さが、すっと消えた。
……名前、変えられちゃうんだ。国も、人も。
そう。俺は最初、そこを設定の一行だと思って流した。番号で呼ばれる側の話だって気づいたのは、だいぶあと。
子どものころ、引っ越すたびに、学校で呼ばれ方が変わったの。発音しやすいように、ちょっとずつ違う名前。どれも私なんだけど、どれも少しだけ私じゃない感じがして。……ごめん、続けて。
……いや。今のは、たぶん作品のど真ん中に近い。
で、面白いのはここから。主人公が、悪役の側に立ってる。殺された母の復讐と、妹の未来のために、どんな手段を使っても帝国に反逆する。いわゆるアンチヒーロー。[1]
敵役は、主人公の親友。そいつは帝国の軍に入って、正しいやり方で、中から帝国を変えたいと思ってる。外から壊す主人公と、中から変える親友。[1]
Wait. 親友どうしで、目的は近いのに、やり方が反対ってこと?
そういうこと。……組織の話として観ると、どっちのやり方にも、ついてくる人の顔が要るんだよ。外から壊すなら旗が要るし、中から変えるなら席が要る。旗を立てる側と、席に座る側。帝国をつくるなら、俺は……
帝国、つくるの?
……今のは忘れて。
忘れない。メモした。
ねえ、ソウマくんがその世界にいたら、どっちの側? 主人公の側? 親友の側?
……どっちでもない。たぶん、旗を立てる人の横で、名簿を作ってる係。誰がどこにいて、誰が今日来てないか、黙って数えてる。
それ、いまのソウマくんじゃん。サークルでも、バイトでも。
帝国は、名簿から始まるんだよ。……中学のころのノートには、もっとひどいことが書いてあった。封印したけど。
封印! 見たい!
実家のどこかに眠ってる。見つけたら燃やす。
私はね、親友のほうかも。中から変えたい派。外から壊すのって、壊したあとに住む場所がなくなりそうで、ちょっと怖い。
エマはそう言って、少しだけ黙った。窓の外を、自転車が何台か通り過ぎていった。
……どっちの側にも、帰る場所の話がついて回る。その作品、たぶん最後までそれを気にしてる。
ネタバレ?
違う。俺の勘。まだ言えることは何もない。
エマはトレーの端に置いたスケッチブックに、いつのまにかソウマのカレーを描いていた。ルーの照り、福神漬けの赤、スプーンの縁の光。写真のような線だった。
……なんで俺のカレーを描いてる。
冷めていくところ。話し始めてから、湯気が三回なくなったよ。
五分のはずだったんだけどな。
まだ二十分。ソウマくんにしては短いほう。
ソウマは冷めたカレーをひと口食べて、少し顔をしかめた。それから、エマの小鉢をあごで示した。
逆に聞くけど、そっちは。最近、何観てる。
スライムとか、マンドラゴラとか。どうやったらおいしく食べられるかを、生き物の仕組みからちゃんと考えてて、作った料理にはレシピまで付いてるの。だから、嘘の世界なのに、本当においしそうに見える。[2]
レシピが付いてる、か。……設定の説得力を、台所から持ってくるわけだ。帝国の歴史を年表で固めるのと、やってることは同じだな。
またそっちに持っていく! 私はただ、おいしそうって話をしてるの。
おいしそうは、説得力の一番強い形だろ。
……それは、ちょっと分かる。悔しい。
エマは唐揚げを一つ、ソウマのカレーの皿に移した。説明のお礼、ということらしかった。
コードギアス、今夜から観てみる。何話まで観たら、止めていい?
止めどきは、自分で決めたほうがいい。……俺は最近、二時間の映画が最後まで観られない。短い動画ばっかり見てたら、指が勝手に次へ行く。でも一話ずつなら観られる。区切りがあると、そこで息ができるから。
じゃあ、一話観たら感想送る。ソウマくんは、三行で返して。
……三行に収まればな。
そのとき、テーブルの上でエマのスマホが短く震えた。画面を見たエマの顔から、さっきの明るさが、音もなく引いた。
……ごめん、行かなきゃ。Sorry! トレー、あとで片付けに戻る……のは無理かも。
置いてけ。返しとく。
Thanks! 唐揚げ、全部あげる!
エマは鞄をつかんで、券売機の列の横をすり抜けていった。三限の教室とは、反対の方向だった。
ソウマは何も聞かなかった。前にも何度か、こういうことがあった。聞かないことにしている理由を、自分でもうまく説明できない。ただ、聞かれたくないことを持っている人の背中は、なんとなく分かる。
……別に。唐揚げが増えただけだ。
ソウマは二つのトレーを重ねて返却口へ運び、席に戻ってノートを開いた。さっきのページの端に、小さく書き足す。「呼び名を変えられた側の話。外から壊すか、中から変えるか。どちらも、名前を取り戻す話かもしれない」。少し考えてから、その下にもう一行。「エマ、一話目の感想は三行で来ない。たぶん十行」。
その夜、十一時過ぎに届いたメッセージは、十四行あった。ソウマは三行で返そうとして、結局、日付が変わるまで返信を打っていた。