あの作品に助けられた

「袋いらないです」と『NHKにようこそ!』

高校を出たあと、ミコの外出は近所のコンビニまで、会話は「袋いらないです」だけだった。そんな夜に一冊の小説が、部屋の中の自分を少しだけ笑わせてくれた。今日は頑張れない日を責めない者同士、ナギが話を聞きました。

こんな人に
部屋から出られない日が続いている人へ。外に出られない自分を、どうにか笑い飛ばしたいのに、笑えない夜がある人にも。
ネタバレの範囲
ネタバレなし 角川文庫版の紹介文にある冒頭の設定まで。物語の展開には触れません
話している人
ミコ × ナギ
主張の種類: 事実 作中の観察 根拠のある推測 解釈 好み
目次 全6節・約6分
  1. 夜中の二時のコンビニ
  2. 自分の部屋の空気が、文字になっていた
  3. 笑えた一瞬は、外にいた
  4. 責めないでいてくれた
  5. 最初は、見下して読んでいた
  6. いまの「袋いらないです」

「しおりのある部屋」の夜。ナギが、ミコに作品に助けられたことはあるかと聞きました。ミコは少し黙ってから、「助けられた、って言い方は好きじゃないけど」と前置きして、話し始めました。

夜中の二時のコンビニ

ナギ

ミコにも、作品に支えてもらった時期ってある? 言いたくなかったら、言わなくていいよ。

ミコ

ある。高校を出てから、しばらく。部屋から出なかった。正確には、出るのは近所のコンビニまで。夜中の二時くらいに行くの。人が少ないから。

ナギ

二時かあ。静かだよね、あの時間のコンビニ。

ミコ

静か。冷蔵ケースの音しかしない。で、店員さんとの会話は「袋いらないです」だけ。それを言うために、レジに並ぶ前から頭の中で三回くらい練習する。声が小さすぎて聞き返されたら終わり。もう一回言う勇気はないから、袋をもらって帰る。

ナギ

うん。

ミコ

袋をもらって帰った日は、部屋でその袋を見るたびに負けた気がした。たかが袋なのに。いや、たかが袋だから、よけいにみじめだった。

自分の部屋の空気が、文字になっていた

ナギ

そのころに出会ったのが、『NHKにようこそ!』?

ミコ

そう。小説。KADOKAWAの商品ページだと、著者は滝本竜彦さんで、角川文庫。事実[1]

ミコ

紹介文がね、「ひきこもりの大ベテラン佐藤」が、人々をひきこもりに誘う巨大組織の陰謀に気づいてしまう。で、どうすることもなく過ごす。そこへ岬っていう女の子が現れる。事実[1]

ナギ

「どうすることもなく過ごす」って、紹介文に書いてあるの、ちょっと笑っちゃうね。

ミコ

でしょ。私もそこで笑った。久しぶりに、声が出た。自分の部屋の空気が、そのまま文字になってるみたいだった。散らかった床とか、昼と夜が逆になった時計とか、言い訳を組み立ててるだけで一日が終わる感じとか。好み

笑えた一瞬は、外にいた

ナギ

どこが、いちばん効いたの?

ミコ

主人公が、自分のひどさを自分でツッコむところ。言い訳を言い訳のまま書いてて、それを本人がいちばん冷めた目で見てる。そこなんだよ。読んでる私も、一緒にツッコんでた。で、ツッコめるってことは、その一瞬だけ、自分を外から見てるってことでしょ。解釈

ナギ

外から見てる。

ミコ

部屋からは出られない。でも、笑ってる一瞬は、自分の外には出られてた。それがあったから、次の日もなんとか起きられた。……作品が治してくれた、とかじゃないよ。そういう言い方、私はしない。部屋に、窓がひとつ増えたくらい。解釈

ナギ

窓がひとつ。いいね、それ。開けなくても、あるだけで違うもんね。解釈

ミコ

そう。開けなくていい窓。……あと、この本、ひとりで声に出して読んでた。早口の自虐のところとか、言いたくなるんだよ。部屋に誰もいないから、誰にも聞かれない。人と話すのは無理でも、本の台詞なら言えた。好み

ナギ

どんなふうに読んでたの? 一気に?

ミコ

ううん、少しずつ。コンビニから帰ってきて、明け方の四時とか五時に、布団にもぐって十ページくらい。カーテンの隙間がだんだん白くなってくるの。外の世界が始まる時間に、私は一日を終わらせる。その境目で読むのが、ちょうどよかった。朝になるのが怖い日も、続きの十ページがあると思うと、まあいいかってなる。好み

ナギ

続きがあるって、それだけで次の日の理由になるよね。私も、一話だけ見て寝るの好き。好み

ミコ

そう。全部読んだら終わっちゃうから、わざとゆっくり読んだ。……あんな読み方、あとにも先にもあの本だけ。

責めないでいてくれた

ナギ

私ね、頑張れない日に「頑張れ」って言われると、余計に動けなくなるんだ。ミコのその本は、頑張れって言わなかったんだね。好み

ミコ

言わない。かといって、そのままでいいよ、とも言わない。それが良かった。そのままでいいって言われたら、たぶん私は怒ってた。いいわけないって、自分がいちばん知ってるから。どっちも言わないで、ただ横で笑ってる感じ。あれは、責めないのとも、甘やかすのとも違う。解釈

ナギ

横で笑ってる、か。私が好きな作品も、そういうのが多いかも。

ミコ

ナギの好きな作品は、もっとやさしいでしょ。キャンプとか、ごはんとか。私のはもっとひどい。でも、ひどさを正直に書いてるぶん、信用できた。好み

最初は、見下して読んでいた

ミコ

これ、あんまり言ってないんだけど。最初に読んだとき、私、主人公のこと見下してた。

ナギ

見下してた?

ミコ

うん。「こいつよりは私のほうがまし」って思いたかった。自分よりだめな人を見て、安心したかったんだと思う。ひどいでしょ。でもね、読み進めるうちに、そいつが必死なのが分かってくる。言い訳ばっかりなのに、言い訳を組み立てるのにすごく力を使ってる。それって、まだ諦めてない人の力の使い方なんだよ。解釈

ナギ

それに気づいたとき、どうだった?

ミコ

いちばん痛かった。見下してた相手が、自分と同じくらい必死だった。じゃあ、見下してた私は何なんだって。……で、そのあと、少しだけ自分にもやさしくなれた。あいつが必死なら、私も必死なんだって思えたから。だめな人を見て笑う気持ちと、だめな人を見捨てない気持ちって、私の中では同じところから出てる気がする。解釈

ナギ

正直だね、ミコは。そういうの、なかなか言えないよ。

ミコ

ネットでなら、いくらでも言えるんだけどね。対面だと、これでも限界。今のでもう今日の分の喋る力、使い切った。

ナギ

じゃあ、お茶いれてくるね。少し休も。

いまの「袋いらないです」

ナギ

いまは、コンビニで何て言ってるの?

ミコ

……いまも「袋いらないです」が主力。でもね、たまに「温めてください」も言う。これは増えた。あと、行く時間が夜の十時になった。二時じゃなくて。十時のコンビニって、人がいるんだよ。仕事帰りの人とか。最初は帰りたくなったけど、誰も私のこと見てなかった。みんな自分のお弁当を選ぶのに忙しい。それが分かってから、ちょっと楽になった。

ナギ

四時間も早くなってる。すごいよ、それ。

ミコ

すごくない。……いや、ちょっとすごい。店員さんを呼ぶボタンの前では、まだ固まるけどね。ファミレスのあれ、押したら人が来るんでしょ。まだその覚悟はない。

ナギ

ふふ。そのときは私が押すよ。

ミコ

……頼む。

「袋いらないです」が言えた日は、ちゃんと勝ちです。窓はひとつでいい。

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