あの作品に助けられた

最短ルートで息切れした夜に雨宿りを覚えた

働き始めたころ、何でも最短で片づけようとして、少しずつ息が続かなくなっていたハル。そんな夜に遊んだゲームの、雨宿りの時間が支えになりました。聞き手は、休む勇気を知るナギです。

こんな人に
毎日を効率よく回すことに、少し息切れしている人へ。ゲームをしない人にも読める話です。
ネタバレの範囲
ネタバレなし ゲーム開始直後の遊び方(広い世界を歩く・雨宿り・料理)まで。物語の展開や結末には触れません
話している人
ハル × ナギ
主張の種類: 事実 作中の観察 根拠のある推測 解釈 好み
目次 全5節・約6分
  1. 何でも最短で
  2. 夜中の床で山を見上げた
  3. 雨が降ったら登れない
  4. また頑張れたじゃなくて
  5. いまの小さな習慣

「しおりのある部屋」で、ナギがハルにたずねました。「作品に助けられたな、って思うのはいつ?」。ハルが選んだのは、働き始めて間もないころの話。支えになったのは、ゲームの『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』でした。物語の展開には触れず、そのころの夜のことを聞いています。

何でも最短で

ナギ

ハルが作品に助けられた話、聞いてみたいな。いつごろのこと?

ハル

働き始めて一年目の、秋から冬にかけてかな。早く一人前になりたくて、とにかく全部を最短でやろうとしてたんだ。

ナギ

最短?

ハル

うん。朝は乗り換えが一番少ない電車の、一番出口に近い車両。お昼は五分で食べられるもの。帰りは一番早い道。休みの日も、やることを分刻みで書き出して、全部消せたら勝ち、みたいな。

ナギ

ハルっぽい。計画、壮大そう。

ハル

壮大だった。……で、その分刻みの休日に、友だちとの待ち合わせの時間を一時間まちがえてた。

ナギ

ふふ。そこはいつものハルだ。

ナギ

仕事のほうは、どうだったの?

ハル

覚えることがたくさんあって、先輩たちはみんな手際がよくて。追いつかなきゃって、焦ってたんだと思う。メモ帳に「もっと早く」って書いて、机に貼ってた。

ナギ

「もっと早く」かあ。それ、毎朝見るの、しんどくない?

ハル

いま思えばね。でも当時は、それが前向きのしるしだと思ってたんだ。

ハル

それで済んでるうちはよかったんだけどね。冬が近づくころには、朝、駅の階段で足が重くなってた。むだを減らしてるはずなのに、毎日がどんどん細い一本道になっていく感じ。どこにも寄らないから、景色を何も覚えてないんだ。

夜中の床で山を見上げた

ナギ

そのころに、ゼルダを始めたの?

ハル

そう。前に友だちに勧められて買ったまま、箱も開けてなかった。ある夜、帰ってきて夜の十一時すぎかな、ごはんを流しこんで、何もする気が起きなくて。部屋の床に座ったまま、なんとなく電源を入れたんだ。

任天堂の公式サイトでは、このゲームは2017年3月3日発売、Nintendo SwitchとWii U向けと紹介されています。事実[1]

ハル

最初、僕はゲームでも最短ルートを探してた。目的地に一直線に向かおうとして。でも、遠くに山が見えるんだよ。あれ、登れるのかなって。

ナギ

登れたの?

ハル

登れた。というか、このゲーム、見えてる場所にはたいてい行けるし、壁も登れるんだ。で、山の上に着いたら、そこからまた別の気になる場所が見える。気づいたら夜中の一時で、最初の目的地には一歩も近づいてなかった。作中の観察

ナギ

それ、困った?

ハル

それがね、全然困らなかった。ゲームが、寄り道したことを一回も責めないんだよ。遠回りした分だけ、僕の覚えてる景色が増えてた。現実では何も覚えてない一日だったのに、画面の中では、雲の形まで覚えてたんだ。解釈

雨が降ったら登れない

ハル

いちばん覚えてるのは、何日目かの夜。崖を登ってる途中で雨が降ってきてさ。このゲーム、雨だと壁がすべって、うまく登れないんだ。作中の観察

ナギ

えっ、意地悪。

ハル

僕も最初はそう思った。何回も登ろうとして、何回もずり落ちて。でも最後はあきらめて、崖の下の木の陰に入ったんだ。雨宿り。することがないから、拾ってたキノコとかを鍋に入れて、料理して待った。作中の観察

ナギ

雨宿りしながら、ごはん作ってたんだ。

ハル

うん。で、雨の音を聞きながら、ふっと思ったんだよね。僕、現実でずっと雨の中の崖を登ってたんじゃないかって。すべるのに、止まったら負けだと思って、手を離せなかった。解釈

ナギ

……そっか。

ハル

ゲームの中の僕は、雨が止むまで待つのが当たり前だと思ってた。なのに自分のことになると、待つっていう選択肢を、はじめから消してたんだ。

ナギ

わかる気がする。私も、好きなものを義務みたいに観てた時期があって、そのときは「休む」が予定表に入ってなかった。

ハル

ナギにも、そういう時期があったんだ。じゃあ、あの雨の夜の僕は、やっと予定表に雨宿りを書けたのかもしれない。

また頑張れたじゃなくて

ハル

それからは、毎晩少しずつ寄り道して遊んで、そしたら気持ちが軽くなって、また仕事も頑張れるようになって——

ナギ

ねえハル、ちょっと待って。

ハル

ん?

ナギ

いまの話、「また頑張れた」で終わらせるの、少しもったいない気がする。私が聞いてて大事だと思ったのは、頑張れたことより、雨宿りできたことのほうなんだけど。解釈

ハル

……あ。

ナギ

また登れるようになったのも、もちろんいいことだよ。でもそれは、雨宿りしたおかげでしょう。止まってもいいって思えた夜のほうを、ちゃんと覚えておいてほしいな。

ハル

そうか。僕、またすぐ前向きなほうにまとめようとしてた。立ち上がった話にしたほうが、聞いてる人が元気になるかなって思って。

ナギ

その気持ちはハルのいいところだと思う。でも、まだ雨の中にいる人には、「止まっていいよ」のほうが届く夜もあるから。

ハル

うん。あのゲームが僕にくれたのも、たぶんそっちだった。早く登れ、じゃなくて、雨が止むまでここにいていいよ、っていう感じ。応援って、待つ形もあるんだね。解釈

いまの小さな習慣

ナギ

いまのハルは、何か変わった?

ハル

大きくは変わってないよ。相変わらず計画は壮大だし。ただ、週に一回だけ、帰り道で一駅ぶん歩くようにしてる。どこにも寄る予定のない、ただの寄り道。

ナギ

いいね。何か見つかる?

ハル

たいしたものは見つからない。知らない家の窓の明かりとか、夕方だけ開いてる八百屋さんとか。でも、その日の景色を一つ覚えて帰れる。それと、疲れた夜には、ゲームの中で料理だけして寝る日もある。鍋に食材を入れて、できあがりを見て、それでおしまい。

ナギ

冒険しないで、料理だけ。それ、すごくいい休み方だと思う。好み

ナギ

机に貼ってた「もっと早く」は、どうなったの?

ハル

はがした。かわりに、何も書いてない付箋を一枚だけ貼ってある。何も書かない日があってもいい、っていう自分用のしるし。

ナギ

白い付箋。ハルにしては、ずいぶん静かなしるしだね。

ハル

でしょ。でも、あれを見ると、今日は雨宿りの日かなって考えられるんだ。

ハル

あとね、人に何か勧める前に、「今日どれくらい残ってる?」って聞くようになった。ナギに教わったやつ。

ナギ

ふふ。じゃあ私も今度、雨宿りの場所、教えてもらおうかな。

最短ルートでしか進めないと思っている夜は、雨の中で崖にしがみついている夜なのかもしれません。寄り道や雨宿りは、遠回りに見えて、次の一歩までの体力を残してくれることがあります。急いで答えを出さなくていい日も、きっとあります。解釈

雨が降っている日は登らなくていい。木の下で雨が止むのを待つ一歩もある。

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