十月の土曜、海辺のキャンプ場。秋のあいだ月に一度、ゲンの一家の焚き火にナギが呼ばれるのが決まりになっている。シズカは子どもたちとテントの向こうで鍋の支度をしていて、焚き火の番はゲンだった。
薪がはぜる横で、ナギは膝の上の単行本を開いていた。角の丸い木のしおりが挟まっている。ゲンの末っ子が、浜の流木を削って作ってくれたものだ。足もとのマグには、シズカがいれてくれた温かいほうじ茶が半分残っていて、ナギはときどき両手で包んでは、湯気を見てから一口飲んだ。
お、よつばか! それ、船の上でも回ってきたぞ。仲間の誰かが寄港のたびに買ってきてな。
ゲンさんも読んでたんですね。……今日、よつばの話、してもいいですか。
いいじゃん、それ! 火の番しながら聞く。
中身、けっこう話しちゃいます。ネタバレ、平気ですか。
おう。俺は先に知ってても泣くからな。どんと来い。
ふふ。じゃあ、入口から。
よつばは五歳の女の子。夏休みの前の日に、とーちゃんと二人で、ある町に引っ越してくるところから始まるの。[1]
読む側だけ年を取るんだよな。漫画の中の子は、待っててくれる。
待っててくれるの、ありがたいです。私、しんどい時期に何か月も漫画を開けなかったことがあって。久しぶりに開いたら、よつばはまだ同じ夏の続きにいました。
船の上も同じだ。陸に帰ると、家の時計だけ先に進んでる。漫画の中だけは、置いてったとこで待ってた。
それで、私が好きなのは、よつばの見つけ方。
見つけ方?
デパートの自転車売り場で、子ども用の自転車に乗って走り回っちゃう。家具の売り場では、並んでるベッドで寝ちゃう。[1]
はっはっは! うちの末っ子もやったぞ。布団売り場で大の字だ。
売り場って、私たちには売るための場所でしょう。私、仕事で毎日、惣菜の売り場のことばかり考えてるから、余計に笑っちゃって。
よつばにとっては、乗れる自転車と、眠れるベッドがある場所。値札より先に、それが見えてる。
子どもは何でも遊び場にするからな。港の網置き場で、うちのはかくれんぼしてた。
それと、言葉。よつばは言葉を間違えて覚えてて、それが別の意味で通っちゃうことがあって。[1]
お隣の三姉妹の末っ子、恵那ちゃんのくまのぬいぐるみ。ほんとはジュリエッタなのに、よつばはジュラルミンって呼ぶ。違うよって言われても、ジュラルミン。[1]
ジュラルミン! 船の部品じゃねぇか。
私、仕事で商品の名前を考えることがあるんです。何十案も出して、一つに決める。よつばは一回聞き違えただけで、もう名前が決まってる。
お隣のお姉さんのお友だちの、とらさんも好き。子どもは苦手って言うのに、二人で留守番した日、ちょうちょ結びのやり方を見せてあげるの。[1]
結べるようになった日って、まわりの靴ひもが、全部ちがって見えるの。
網の結び目を初めて自分で作れた日、俺もそうだった。港じゅうの網が、急に読めるようになるんだ。
で、ナギは、よつばのどの顔が一番好きなんだ。
驚いた直後の、まだ言葉になってない顔。よつばって、喜んだり怒ったり、表情がすごく忙しい子で。その中で、言葉が追いつく前の一コマ。[1]
作品に添えられてる言葉も、今日がいちばん楽しい日、っていう意味なの。[1]
漁師にはむずかしい言葉だな。時化の日もある。
時化の日のよつばも、見てみたいです。たぶん、雨の音から何か見つけるから。
ここから先、一話ずつのお話の中身です。畳んでおきますね。
中盤まで中盤の展開(第57話のあたり)押すと開きます
ナギ「そのジュラルミンに、続きがあるの。とーちゃんがコーヒーミルを買いに行く日に、よつばもついていって、途中で寄ったぬいぐるみ屋さんで、くまのぬいぐるみに出会う。その子が、今度こそ本物のジュラルミンになって、よつばの家の子になるの」
ナギ「間違えて覚えた名前のほうに、あとから本物がやってくる。私、ここで鼻の奥がつんとしました。名前って、先に呼んでた人のものなんだなって」
ナギ「めえぇ、って鳴く仕掛けが入ってる子なの。でも、犬にかまれてにおいがついて、洗ったら、その仕掛けが壊れて鳴かなくなっちゃう。これ、作者さんの実体験をもとにしたお話なの。そういう小さな、取り返しのつかない変わり方まで、この漫画はちゃんと描く」[1]
……くまの話で、俺の鼻を鳴らすなよ。
ゲンさんは、誰が好きですか。
ジャンボだな! とーちゃんの幼なじみで、家が花屋の、とんでもなくでっけぇあんちゃんだ。[1]
あいつ、お隣の恵那に魚のさばき方を教えるんだよ。恵那がちゃんと自分でさばく。あれはいい。俺も末っ子に、港で同じことをやった。[1]
しかも涙もろい。他人とは思えねぇ。[1]
似てます。声の大きさも。
でもな、ナギ。よつばが見つけてるようで、見つけさせてるのは大人だと俺は思うぞ。ジャンボは動物の図鑑だのビーズだの、よつばのためにいろいろ買ってくるだろ。[1]
そこは私、ちょっと違う読みかも。図鑑は渡せても、どのページで止まるかまでは、大人には決められないから。
……そうか。網は入れてやれても、何がかかるかは海の機嫌だもんな。
それに、大人がよつばの見つけたものを、壊さないように守ってる話もあって。
中盤まで中盤の展開(段ボールのロボット)押すと開きます
ナギ「恵那ちゃんとお友だちのみうらちゃんが、夏休みの自由研究で、段ボールで着られるロボットを作るの。ダンボー。よつばは、それを本物のロボットだと思いこむ」
ナギ「中に入ってたみうらちゃんが、その場で設定を作っちゃうの。お金を入れると動くとか、大きな飛行機より速く飛べるとか。よつばは全部信じる」
ナギ「私が好きなのは、恵那ちゃん。恵那ちゃんは、よつばが信じてるものを崩させない。みうらちゃんが中身をばらしそうになると、いつもの落ち着いた恵那ちゃんとは別人みたいな勢いで止めに入る。よつばの発見を、年上の子が本気で守ってるの。ここ、何回読んでも笑って、ちょっと泣きそうになります」[1]
守ってやれる側に回る子ってのは、いい船乗りになる。
お店の試食に立つと、子どもがコロッケを見て、これ魚?って聞くことがあって。違うよ、って言いそうになるけど、言わないで、魚の形に見えるね、って返す。恵那ちゃんの真似です。
港の子に聞かせたら、全部魚に見えるって言うぞ。
日が海のほうへ傾いて、焚き火の色がだんだん濃くなっていく。ゲンは火ばさみで薪の向きを変え、ナギの足もとに風が回らないように、風よけを少しずらした。
テントの向こうから、鍋のふたを開ける音がした。湯気の匂いが風に乗ってくる。ナギは一度だけそちらを見て、またページに目を戻した。
ごはんの話もしていいですか。とーちゃんの料理、簡単なものばっかりで。目玉焼き丼とか、袋のラーメンをごはんに乗せた丼とか。[1]
名前だけで作り方が分かるな!
人が聞いたら首をかしげそうなのに、よつばには大好評。とーちゃんのカレーは世界一、って。[1]
惣菜の試作だと、まず原価と見た目で落とされるような丼です。でも、この丼が世界でいちばんおいしい子がいる。私、たまにそれを思い出して、試作のメモを一行だけ書き直すんです。
目玉焼き丼なら俺も作れる。……焦がすけどな。
中盤まで中盤の展開(第86話のあたり)押すと開きます
ナギ「とーちゃんのお母さん、ばーちゃんが初めて出てくる話があるの。関西の言葉で、思ったことをずけずけ言う人。いつも不機嫌そうな顔をしてるんだけど、それはもともとの顔立ち」
ナギ「よつばは、すぐにそれを見抜くの。怒った顔をしてるけど、怒ってない、って。ばーちゃんは、靴の脱ぎ方みたいなことにはすぐ口を出すけど、よつばがいいことをしたら、えらい、ってちゃんとほめる。よつばはあっという間に懐いちゃう」
ナギ「試作の工場にも、いつも怒って見える主任さんがいるの。私、入って三年くらいは、その人に話しかけるのが怖かった。よつばなら初日で見つけてたと思う。顔と気持ちが、いつも同じとは限らないってこと」[1]
見た目で怒ってると思われるのは、俺の親父と同じだ。……いや、俺もか。
ゲンさんは、怒ってない顔してます。
はっはっは! 嫁さんにはそう見えてねぇ日もあるぞ。
作者さん、アニメにしないのは、よつばならではのしぐさを削らずに動かすのが難しいから、って話してたそうです。[1]
だから、よつばの声は、読んでる人の頭の中にしかない。私の頭の中のよつばの声、なんか好きなんです。誰にも聞かせられないけど。
俺の頭の中のよつばは、末っ子の声でしゃべってる。
ここから先は、既刊の後ろのほうと、よつばの生い立ちの話です。
結末・正体既刊の後半(第104話・第15巻)押すと開きます
ナギ「よつばは、自分のことを六歳だと思ってたの。ほんとは五歳。その子が、ランドセルを買う。来年の春から、小学生になるの」
ナギ「デパートの売り場で自転車を乗り回してた子が、自分のランドセルを選ぶ側になる。私、ここだけは一話だけで閉じられなくて、もう一回最初から読み直しました」
ゲン「五人ぶん、ランドセルは見てきたけどな。上のほうの子のは、海の上で写真で見た。帰ってきたら、背中のほうがでかくなってて、ランドセルが小さく見えるんだよ」
ナギ「……ゲンさん、それ、よつばの話より泣けます」[1]
結末・正体よつばの生い立ち押すと開きます
ナギ「とーちゃんは、よつばのことを、南の島で拾った、って言うの。本当の親子じゃないみたい。どうやって出会ったのかは、まだはっきり描かれてない」
ナギ「お隣の三姉妹のお母さんを、よつばは、かーちゃん、って呼んでる。よつばのお母さんのことは描かれないけど、お隣のお母さんは、よつばを本当の娘みたいにかわいがってる」
ナギ「私、この話を知っても、よつばの見え方は変わらなかったんです。変わったのは、まわりの大人の見え方のほう。毎日、よつばの見つけたものを一緒にのぞきこんでる人たちが、どうやってここまで来たのかが気になるようになった」
ゲン「血がどうとか、飯の前じゃ関係ねぇんだ。同じ鍋をつついてりゃ、家族だ」[1]
……泣けるじゃねぇか……!
ゲンは豆しぼりの手ぬぐいで目元をぬぐい、「煙だ、煙」と誰に言うでもなく言った。薪を一本足すと、火が少し高くなった。
最後に、いちばん新しい巻の話。
結末・正体最新刊のあたり(第16巻)押すと開きます
ナギ「夏休みから始まったよつばの毎日が、最新の巻で、やっとクリスマスの手前まで来たの。ツリーの準備をして、自転車の補助輪を取って、山に登って、下りて、逆上がりの練習に小学校の校庭へ行く」
ナギ「連載が始まってから二十年以上たってるのに、お話の中では、まだ一年もたってない。私は小学生から大人になっちゃったのに、よつばはまだ、同じ一年の中にいる」
ナギ「補助輪を取るところ、私、売り場の自転車を思い出しました。あの子が、補助輪なしで走る。ゆっくりでいいのに、って思う自分と、早く見たいって思う自分が、両方いるの」[2]
帰ってくるまでが冒険だって、俺はいつも言うけどな。よつばの一年は、まだ帰り道にも入ってねぇんだな。
うん。だから、急がない。次の巻が出るまで、ここで待ってます。
テントの向こうから、ゲンの末っ子が、鍋ができたと呼びに来た。ナギはしおりを挟みかけて、手を止めた。
よっしゃ、鍋だ! 話の続きは、腹に何か入れてからだ。
ごはんのあと、火のそばで一話だけ、声に出して読んでもいいですか。末っ子くんにも、ジュラルミンの話から。