土曜の昼、海辺の町の家の台所。シズカは昼ごはんの片づけを終えて、自分のためだけの緑茶を一杯淹れたところでした。食卓の端では、イトがリサイクルショップで買ってきた漫画を、巻の順に積みなおしています。いちばん上の表紙の題名を、シズカが声に出して読みかけました。
青い春に乗っていく
『アオハライド』は、咲坂伊緒さんの漫画です。『別冊マーガレット』で2011年に連載が始まり、2015年に終わりました。単行本は全13巻です。Fact[1]
あら、これは「せいしゅん」のことかしら。青に、春。……それにしては、ずいぶん長い読み方ですね。
「アオハル」まではみんな言うよ。友だちの動画にもよく出てくる。私が分からなかったのは、後ろの「ライド」のほう。Preference
この題名は、作者がつくった言葉です。「青春」の二つの字をそれぞれ「アオ」と「ハル」と読み、そのあとに英語の「ライド(ride)」をつなげました。込められているのは、青春に乗っていく、というイメージです。Fact[1]
乗るって、自転車みたいに? 私、青春って、向こうから勝手に来るものだと思ってた。こっちから乗りに行くんだ。Interpretation
乗りものなら、降りる日もありますね。……あら、ごめんなさい。いまは題名のお話でした。
わざと崩している子
主人公の吉岡双葉は高校生です。中学のころ、女子たちから疎まれて、ひとりになってしまったことがありました。だから高校では、女子に嫌われないように、わざと女の子らしくないふるまいをしています。Fact[1]
私が気になるのは、その、わざと女の子らしくなくしてるときの双葉。笑ってるんだけど、周りの子の顔を先に見てから笑ってる気がする。動画だと一瞬で流れちゃって、そこまで見えなかった。紙だと止められる。Interpretation
人に合わせて自分を崩すのは、くたびれるものですよ。その場では平気でも、家に帰ってから、どっと来るんです。Interpretation
……母ちゃんも?
さあ、どうでしょう。お茶、もう一杯淹れましょうか。
名字の変わった初恋の人
双葉には、中学のころの初恋の相手がいました。「田中くん」と呼んでいた洸は、中学のうちに長崎へ転校していきます。高校で思いがけず再会すると、洸の名字は「馬渕」に変わっていて、性格も、前とは別人のようにそっけなくなっていました。Fact[1]
名字が変わってたら、私なら、なんて呼べばいいか分かんなくなる。前の名字で呼んだら、昔に戻そうとしてるみたいだし。新しいほうで呼んだら、知らない人みたいだし。Preference
呼び方は、二人のあいだの名札のようなものですからね。私も嫁いだばかりのころ、町のお店で新しい名字で呼ばれて、しばらく自分のことだと気づきませんでした。Preference
イトは返事をしないで、水切りかごから乾いた皿を一枚とり、布巾で拭きはじめました。
迷ったあとで手を挙げる
新しい学年になると、双葉は自分から学級委員を引き受けます。周りに合わせるだけの毎日から、自分で動いてみることにしたのです。Fact[1]
ここ、私なら手を挙げない。挙げようか迷ってるうちに、ほかの子に決まってる。Preference
あなたは挙げない代わりに、誰が挙げるかを先に当てますものね。
当てても言わないけど。……でも双葉は、迷ったあとで、挙げるほうを選ぶ。題名の「乗る」って、たぶんこういうこと。Interpretation
どこから乗ってもいい
『アオハライド』は2014年にテレビアニメになり(アニメを作ったのはProduction I.G)、同じ年の12月には実写映画が公開されました。2023年には、WOWOWでドラマも始まっています。Fact[1]
私が最初に見たのは、友だちのスマホのアニメの短いとこ。それから紙で読みに来た。題名の意味が分かってから表紙を見ると、同じ絵なのに、ちょっと違って見える。Preference
漫画に、アニメに、映画に、ドラマ。乗り口がそれだけあれば、どこから乗っても迷子にはなりませんね。Interpretation
うん。……母ちゃん、双葉が手を挙げる前のとこ、……見てた?
ええ。あなたがお皿を、二回目に拭きはじめたところも。
「アオハル」は青春の二つの字の読みかえ、「ライド」は英語で乗ること。『アオハライド』は、青春を待つのではなく、自分から乗りに行く題名です。