6選の一本目は『もやしもん』。菌が見える大学生のアニメだ。同僚に勧められて観たら、新潟の実家の台所が画面の中から出てきた。今日はその話をする。物語の先のことは言わない。始まりの設定までだ。
非番の朝に一話だけ
勧めてきたのは、署の後輩だった。「トウゴさん、実家が農家でしたよね。これ、たぶん刺さりますよ」。勧められたものは最後まで観ると決めている。次の非番の朝、走り込みを終えてシャワーを浴び、大きな湯のみに麦茶を入れて再生した。一話だけのつもりだった。気づいたら麦茶は空で、次の話の頭が流れていた。好み
原作は石川雅之さんの漫画だ。主人公の沢木直保は、種麹を作る家の息子で、菌が目で見えて、話までできる。その直保が、祖父とゆかりのある教授のいる農業大学へ入るところから話が始まる。事実[1]
菌に顔がついている
菌たちは、直保の目には顔のついたキャラクターのような姿で映っていて、画面にもその姿のまま出てくる。事実[1]
山の場面だと、俺は登場人物の持ち物を目で拾っていく癖がある。このアニメでは、その癖が菌に向いた。名前は一回では覚えられない。それでも、顔で見分けはつく。あの顔がまた出てきた、と思うだけで、少し笑える。小さな連中が、人間の知らないところで勝手にわいわいやっている。その賑やかさが、俺には妙に落ち着いた。好み
婆ちゃんの小言が次々に出てくる
うちは新潟の山奥の農家で、冬は雪で道が閉ざされる。秋のうちに大根を漬け、味噌を仕込んで、春まで食いつなぐ。婆ちゃんは漬物樽の前で、独り言みたいによく言っていた。樽は生きてるから毎日見てやれ。蓋を開けっぱなしにするな。においが変わったら、すぐ言え。好み
子どもの俺には、何が生きているのか分からなかった。蔵に入ると、ひやっとして、すっぱいような甘いような匂いがする。あれが何の匂いなのかも、考えたことがなかった。アニメの中で、直保の目に映る連中が騒いでいるのを見て、ああ、婆ちゃんにはこれが見えてたんだな、と思った。声を出して笑ったのは、その朝が初めてだったかもしれない。一人の部屋で笑うと、ちょっと照れる。好み
次の当番の日、後輩に「どうでした」と聞かれた。「……よかった」とだけ答えるつもりが、気づいたら漬物樽の蓋の重しの話から、雪の日の蔵の寒さまでしゃべっていた。後輩は途中から腹を抱えて笑っていた。勧めたほうがそんなに喜ぶなら、勧められた甲斐もある。好み
樽の話はいいな。船の上でも、漬物は宝だったんだよ。生の野菜なんて、出てすぐ無くなっちまうからな。好み
分かります、ゲンさん。冬の山の家も同じでした。雪が積もったら、外からは何も入ってこないんで。好み
見えないものに毎日手を打つ
救助の仕事も、半分は見えないものとの付き合いだ。現場の空気、水、手についた汚れ。人が集まって寝泊まりする場所では、手を洗う所と、食べ物を置く所を分けておく。地味な段取りだが、外せない。このアニメを観てから、その段取りの向こうに、あの顔のついた連中が並んでいる気がするようになった。解釈
見えないから気をつける。見えないから、毎日同じことをやる。婆ちゃんの樽の前の小言と、俺たちの段取りは、同じ形をしていると思う。婆ちゃんは勘で言っていたんじゃない。冬を越すための理屈が、ちゃんとあった。解釈
ちなみに、野菜を見る目は婆ちゃん仕込みだ。スーパーで後輩のかごに、しなびた大根が入っていると、黙って棚に戻して、張りのあるのを入れておく。漬けるなら、なおさらだ。好み
観終わった週に、台所の隅で小さな糠床を始めた。当番の日の朝、出る前に一回、底から手を入れて混ぜる。帰ってきたら、もう一回。忘れた日は、においですぐ分かる。婆ちゃんの言っていた「毎日見てやれ」は、こういうことだったらしい。三十を過ぎて、やっと言いつけを守っている。漬かった胡瓜を一本、当番明けの朝に齧る。それだけで、少し山の家に帰った気がする。好み
俺が作品で見ているのは、人が生きのびるために何を持ち、何を置いていくかだ。山の家では、冬に持っていくのは食べ物そのものより、食べ物を傷ませない手間だった。樽を見る、蓋を閉める、においを嗅ぐ。荷物にはならないが、置いていけない。このアニメは、その手間のほうに光を当ててくれる。解釈
名前は覚えなくていい
聞き慣れない菌の名前が、いくつも出てくる。俺も最初は全部は追えなかった。だから名前は覚えずに、顔で覚えた。それで十分に笑えたし、観終わるころには台所の見え方が少し変わっていた。食べ物や台所の話が好きな人は、そこから入ると楽だと思う。俺はそうだった。俺は一話観たあと、冷蔵庫の味噌や漬物を一回のぞいた。中に何かがいる気がしてくる。それがこのアニメの、いちばん手軽な楽しみ方だと思う。好み
蔵から森へ
6選の五本目の『もののけ姫』は、子どものころ山の家で何回も観た映画だ。あれは森と人の話で、こっちは蔵と台所の話。並べてみると、人は目に見えないものと一緒に暮らしている、という所でつながっている。山で育った俺の好きなものは、だいたいその辺りに集まるらしい。三本目の『ヤマノススメ』も、靴やザックの選び方みたいな、地味な準備をきちんと描く。派手じゃない所に手間をかけている作品に、俺は弱い。好み
見えないものを相手に、毎日同じ手入れをする。婆ちゃんの漬物樽と救助の段取りは、同じ形をしていた。