あの作品に助けられた

ノートを捨てずに封印した夜

中学の終わり、ソウマは昔の自分を丸ごと消したいと思っていました。その夜に観たのが『中二病でも恋がしたい!』。聞き手は、あの夜ガムテープの音を壁ごしに聞いていた妹のアカリです。

こんな人に
昔の自分が恥ずかしくて、消してしまいたいと思ったことがある人へ。『中二病でも恋がしたい!』を観たことがない人にも読める話です。
ネタバレの範囲
ネタバレなし 第1話の設定(中学時代の自分を封印して高校生活をやり直したい主人公が、いまも中二病の少女と出会うこと)まで。物語の展開や結末には触れません
話している人
ソウマ × アカリ
主張の種類: 事実 作中の観察 根拠のある推測 解釈 好み
目次 全5節・約6分
  1. 中三の冬
  2. 全部消したかった
  3. 深夜一時の第1話
  4. ガムテープを三重に
  5. いまの小さな習慣

「しおりのある部屋」の夕方。稽古帰りのアカリが、大きなおにぎりをかじりながら兄にたずねました。「兄ちゃんが作品に助けられたのって、いつ?」。ソウマはしばらく黙ってから、「……お前、たぶん覚えてるやつ」と言いました。選んだのは『中二病でも恋がしたい!』。物語の展開には触れていません。

中三の冬

アカリ

覚えてるやつって、どれ。

ソウマ

中三の冬。夜中に、俺の部屋からガムテープの音がしただろ。

アカリ

……した。びりびりびりって、三回。私、泥棒かと思って布団から出られなかった。

ソウマ

あれの話。その前から話す。

ソウマ

中学のころの俺は、まあ、見ての通りじゃなかった。ノートに組織の名前を書いて、階級表をつくって、自分に二つ名をつけてた。教室では無口だったけど、頭の中ではずっと世界を支配してた。

アカリ

知ってる。私、参謀だったし。

ソウマ

……そこは掘り返すな。で、中三の冬に、急に目が覚めた。きっかけは、たいしたことじゃない。卒業文集の原稿に、うっかりノートの言葉で書いたんだ。先生に「これは何語?」って真顔で聞かれた。笑われもしなかった。それがいちばんこたえた。

アカリ

笑われないほうが、きついの?

ソウマ

笑われたら、まだ「わかってないな」って思えた。真顔で聞かれると、ああ、これは俺の頭の中にしかない言葉なんだって分かる。世界を支配してるつもりで、誰とも話が通じてなかった。

全部消したかった

アカリ

それで、どうしたの。

ソウマ

何もできなかった。高校に行ったら、全部なかったことにしたかった。ノートも、二つ名も、あのころの喋り方も。でも、消そうと思えば思うほど、夜になると全部思い出す。布団の中で、昔の自分の台詞が勝手に再生される。眠れなくて、スマホで短い動画をずっと流してた。何も考えなくていいから。

アカリ

兄ちゃん、あのころ朝ずっと機嫌悪かったもんね。私が「おはよう」って言っても、「……ん」しか言わなかった。

ソウマ

悪かった。あれは機嫌じゃなくて、寝てなかっただけだ。……いや、機嫌も悪かった。自分のことが、すごく嫌いだったから。

アカリ

嫌いって、どれくらい。

ソウマ

ノートを燃やす方法を調べるくらい。結局やらなかったけどな。燃やしたら、本当にあの三年間がなかったことになる気がして、手が止まった。消したいのに、消えるのが怖い。どっちつかずで、毎晩スマホの光だけ見てた。

深夜一時の第1話

ソウマ

ある晩、短い動画のおすすめに、アニメの切り抜きが流れてきた。必殺技の名前を叫んでる女の子の場面。いつもなら飛ばす。でもその日は指が止まった。叫んでる言葉が、俺のノートの言葉にそっくりだったから。

アカリ

それが『中二病でも恋がしたい!』?

ソウマ

そう。そのまま配信で第1話を探して、布団をかぶって観た。深夜一時くらい。主人公は、中学のころの自分を封印して、高校では普通に過ごしたいと思ってるやつだった。そこへ、いまも中二病の真っ最中の女の子が現れる。……観ながら、何回も一時停止した。画面の中に、二人とも俺がいたから。作中の観察

京都アニメーションの作品ページでは、『中二病でも恋がしたい!』は2012年の作品の欄に並び、原作は虎虎さん、監督は石原立也さん、アニメーション制作は京都アニメーションとあります。事実[1]

アカリ

二人とも兄ちゃん、ってどういう意味。

ソウマ

消したい俺と、まだやめたくない俺。その二人が、同じ画面で喋ってた。で、効いたのは、この作品が、どっちの俺も笑いものにしなかったことだ。叫んでる女の子の言葉は、ちゃんときれいに聞こえるように作ってある。封印したい主人公の気持ちも、ちゃんと分かるように描いてある。どっちが正しいって決めないで、二人を同じ部屋にいさせてた。解釈

アカリ

……それ、兄ちゃんがほしかったやつだ。

ソウマ

たぶんな。俺はずっと、「昔の俺は間違ってた」か「昔の俺は正しかった」かのどっちかに決めようとしてた。決めなくていいって、あの第1話で初めて思えた。解釈

ガムテープを三重に

アカリ

で、ガムテープ。

ソウマ

そう。観終わって、机の引き出しからノートを全部出して、押し入れにあった空き箱に入れた。燃やすんじゃなくて、しまう。封印、ってやつだ。で、ガムテープを三重に巻いた。一重だと、また開けたくなりそうで。

アカリ

三重って、兄ちゃんらしい。次の日、箱になんか書いてあったよね。マジックで。

ソウマ

……「開封の儀は、然るべき時に」。今のは忘れて。

アカリ

忘れない。私、あれ読んでちょっと安心したもん。兄ちゃん、全部やめたわけじゃないんだって。

ソウマ

安心されてたのか。……まあ、そうだな。捨てるのと封印するのは違う。捨てたら、もう二度と会えない。封印なら、いつか会いに行ける。恋の歌みたいなこと言ってるな、俺。

アカリ

言ってる。でも、いいと思う。

ソウマ

その夜は、久しぶりにスマホを置いて寝た。眠れたかどうかは覚えてない。でも、朝、お前に「おはよう」って言った気がする。

アカリ

言った。私、びっくりして牛乳こぼした。

アカリ

高校に入ってから、その話、誰かにした?

ソウマ

しなかった。でも、隠すのはやめた。誰かに昔のことを聞かれたら、「まあ、いろいろあった」って笑えるくらいにはなった。笑えるようになったのは、あの夜、画面の中で誰も笑いものにされてなかったからだと思う。笑いものにされない笑い方がある、って知ったんだ。

アカリ

それ、むずかしいけど分かる。道場でも、失敗した子を笑うのと、一緒に笑うのは全然ちがう。

いまの小さな習慣

アカリ

箱、まだあるの?

ソウマ

実家の押し入れの奥。開けてない。そのかわり、高校に入ってから新しいノートを一冊持つようになった。そっちには、自分の言葉じゃなくて、作品の台詞を書き写す。気に入った一語を、一日一行だけ。

アカリ

一日一行。私の素振りみたい。

ソウマ

似てるかもな。人の台詞を書き写してると、言葉がどこに置かれてるかが分かってくる。昔の俺は、言葉を自分のためだけに並べてた。いまは、誰かに届く場所に置きたいと思ってる。サークルで台本を直したり、裏方でみんなの段取りを整えたりしてるのも、たぶんその続きだ。

アカリ

私が試合の前に緊張してると、兄ちゃん、何も言わないで好物買ってきて、変な一言だけ置いてくじゃん。あれも?

ソウマ

……あれは、一日一行の応用編だ。長く喋ると、昔の癖が出るからな。

アカリ

あの一言、だいたい次の日まで覚えてるよ。言わないけど。

ソウマ

……別に。言わなくていい。

昔の自分が恥ずかしくて、全部なかったことにしたくなる夜があります。そういうときは、燃やさなくていいのかもしれません。箱にしまって、少し離れたところに置いておく。いつか開けたくなったら、そのときの自分が決めればいいことです。解釈

捨てたら二度と会えない。封印なら、いつか会いに行ける。

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