長編のカラーアニメーションを、日本で作る。いまでは当たり前に聞こえることが、まだ前例のない仕事だった時代があります。ガクが持ってきたのは、その「最初のカラー長編」の制作現場の話でした。
前例のない仕事……。最初のカラー長編は、どうやって作ったんですか?
スタジオをつくるところから
面白いのは順番でね。東映はアニメーション映画の将来を見据えて、1956年に東映動画、いまの東映アニメーションを設立している。『白蛇伝』が完成したのは、その約2年半後なんだ。事実[2]
作品のために、まず場所をつくったんだね。器を焼くところから始めた料理、みたいな。
うまいこと言うなあ。食堂で言えば、厨房の設計から始めて、料理人も育てながら、いきなりフルコースを出したようなものだよ。解釈
見習いを育てながら、いきなりごちそうを……。新しいギルドが、最初の依頼でいきなり竜退治に行くようなものですか?
近いけど、ここが違って。竜退治なら、見習いだけで行かせはしないよね。ここから先は、まさにその「教えながら」の話なんだ。
教えながら描く
原画を担当したのは、大工原章と森康二の二人のベテラン。そこに新人の動画担当アニメーター42名が加わりました。公式の紹介では「アニメーション制作の経験者などいない時代」とされ、順次募集したスタッフにノウハウを教えながらの制作でした。作画期間は約7か月、原画は1万6474枚、動画は6万5213枚にのぼりました。事実[2]
6万枚。一枚一枚に、描いた人の手の癖が少しずつ残っているはずだよね。そろっていない線にも、私はつい目がいっちゃう。好み
制度の話をすると、僕はここに「人を育てる仕組み」ごと生まれた瞬間を見るんだ。一本の映画のために集まった新人が、そのまま次の作品の担い手になっていく。解釈
実際、この作品と続く東映動画の長編を作るなかで育ったスタッフたちが、その後の日本の商業アニメを支える存在になっていったことも、公式の紹介で触れられています。事実[2]
俳優の動きを写す二人の声
作画では、キャラクターのデザインから人形を作って参考にしたほか、ディズニーの長編制作でも使われていた「ライブ・アクション」を日本で初めて取り入れました。俳優の動きを撮影したフィルムを紙に写して、人物の動きを描く方法です。声は、登場するすべてのキャラクターを、俳優の森繁久彌と歌手の宮城まり子の二人が演じ分けています。事実[2]
二人で全員の声。そう知ってから観ると、声の高さや息の長さで人物を分けている工夫を、耳で探したくなる。根拠のある推測
二人で全員の声を……! ふるさとの吟遊詩人も、一人で王さまも竜も歌い分けます。それと同じですか?
近いと思う。違うのは、吟遊詩人は晩ごとに声が変わってもいいけど、映画の声は一度録ったら、何度観ても同じ息で残ること。解釈
僕は制度の話をしすぎたかな。イロハ、色の話もしてよ。
東映アニメーションの作品ページには、公開当時「日本でもこれだけの作品が作れるのか」と内外を驚かせた、と書いてある。驚いたのは、たぶん物語だけじゃなくて、画面いっぱいの色だったんじゃないかな。事実[1]
10月22日
2017年には、日本アニメ生誕100年記念プロジェクト「アニメNEXT_100」の推進で、『白蛇伝』が公開された10月22日が「アニメの日」として正式に登録されました。事実[2]
記念日って、制度が記憶を預かる方法なんだよね。カレンダーをめくるたびに、42人の新人を思い出せる。解釈
カレンダーの一日に、たくさんの新人さんの手が残っているんですね。シオル、10月22日に丸をつけておきます。
10月22日は「アニメの日」。もとになった『白蛇伝』は、ベテラン2人と新人42人が、教わりながら描いた長編だった。