私の6選の一本目は、『十二人の怒れる男』です。評決の行方は伏せたまま、この映画を何度も観ている者が、どの場面で手帳のペンを止めるのかを書いていきます。
ホテルの案内の端にあった題名
出会いは、出張先のホテルの部屋でした。テレビの案内に、料金を払って観られる映画の一覧があり、その端に、古い白黒の題名が一つだけ混じっていました。説明には法廷の映画とありました。法廷の映画なら、手続きの順番が見られる。そう判断して選びました。観はじめてしばらくして、法廷の場面がほとんど映らないことに気づきました。私が見ることになったのは、法廷を出たあとの人たちでした。喜好
観終えた夜、私は手帳の後ろの頁に、十二の番号を縦に並べた表を作りました。翌朝は、ホテルを出る前に同じ映画をもう一度選び、朝食の時刻を一つ遅らせました。それ以来、この町に来る夜の何回かに一度は、同じ題名を選んでいます。表は、そのたびに新しい頁に作り直します。喜好
監督はシドニー・ルメット、主演はヘンリー・フォンダ。脚本はレジナルド・ローズです。ローズの脚本でテレビのドラマとして作られたものを、映画にし直した作品で、ルメットにとっては、これが映画監督としての最初の一本でした。事實[2]
名乗らない十二人
物語の入口は、こうです。父親を殺した罪に問われた少年の裁判が終わり、十二人の陪審員が評決を出すために集まります。最初の投票で、一人だけが有罪の側に手を挙げない。物語は、そこから動きはじめます。事實[1]
陪審員たちは、互いに名乗り合わないまま話し合いを始めます。ですから私の手帳では、彼らは一番から十二番までの番号です。番号の横に、職業と、座った位置と、最初に口を開いた順番を書いていきます。名前の欄が空いたままでも、表は作れます。誰が言ったかより、何番が、どの順で、何を言ったか。この映画を観ていると、私の表の作り方が、そのまま通用します。それが、最初に落ち着いた理由です。作品中的觀察
手を挙げなかった一人
私の苛立ちを、隠さずに書いておきます。八番の陪審員が手を挙げなかった場面で、私は毎回、眉を寄せます。彼が口にしたのは、少年は無実だ、ではなく、言い切れない、という一語でした。私は、言い切れる言葉だけで写しを取ってきた者です。言い切れないものを抱えたまま話し合いを止める人を、すぐには受け入れられないのです。喜好
ところが、彼が周りに求めるのは、法廷に出た証拠を、一つずつ確かめ直すことです。それは、私が仕事で毎日していることと同じ手順です。苛立っている相手が、私と同じ手順を踏もうとしている。毎回そこで、ペンが止まります。止まったまま、最後まで観ます。解讀
私が好きな場面の種類
一つ目は、冒頭の裁判官の説明です。疑いが残るなら有罪にしてはならない、と陪審員たちに告げる、ごく短い場面です。すぐに終わるので、見落とす人もいます。けれど、部屋の中のやりとりは全部、あの短い説明の上に立っています。手続きの最初の一行が、最後まで効いている。私はそういう作りに弱いのです。作品中的觀察
二つ目は、暑さです。夏の暑い日の狭い部屋で、男たちは汗をぬぐい、上着を脱いでいきます。暑さの話は、誰の口からも本題としては出てこない。それでも、早く帰りたいという気持ちが、汗と一緒に画面に出てきます。手続きを急がせるものが、理屈ではなく体のほうから来る。私はそこを、表の欄外に書き留めます。作品中的觀察
三つ目は、話し合いの進み方そのものです。議論は、勢いのある演説で動くのではなく、法廷に出された物と証言を、机の上で一つずつ確かめ直す形で進みます。確かめるたびに、表の一行が書き直される。その書き直しの手つきを、私は何度観ても追ってしまいます。作品中的觀察
その夜そこにいなかった十二人
私がこの映画を観るたびに確かめ直すことが、もう一つあります。部屋の十二人のうち、事件の夜に現場にいた者は一人もいない、ということです。彼らが手にしているのは、法廷で聞いた証言と、示された証拠だけです。見ていない者が、見ていた者の言葉の重さを量り、一つの結論に名前を書く。解讀
私の仕事も、ほとんどがそうです。私が写しを取る記録は、私の見ていない日の出来事ばかりです。だからこの映画の評議は、私には他人事に見えないのです。証言のどこまでを信じ、どこから先を疑うか。その線を、彼らは部屋の中で引き直し続けます。私は手帳の上で、同じ線を引いています。引き終えたあと、その線が正しかったかどうかを確かめる手段は、私にも、あの部屋の誰にもありません。解讀
白黒が気になる人の入口
古い白黒の映画、というだけで手が伸びない方もいると聞きます。二度目に観たとき私の助けになったのは、紙を一枚用意して、一から十二までの番号を縦に書いておくことでした。誰かが考えを変えたら、その番号の横に小さく印を付ける。それだけで、顔と声の区別がつく前から、話し合いの流れが目で追えます。印の付け方は、人ごとに違ってかまいません。私の紙は、毎回少しずつ違う形になります。二度目からは、印が前の回と同じ場所に付くかどうかを見比べるのも、楽しみの一つです。喜好
二本目へ続く線
二本目の『そして誰もいなくなった』も、集められた人々が、閉じた場所で互いを疑う話です。ただ、あちらには評議の決まりがありません。決まりのある部屋と、決まりのない島。私の6選の最初の二本は、そこで向かい合っていると考えます。解讀
名前の欄が空いていても、番号と順番があれば、話し合いは書き取れる。
