旅先の市場の外れ、日よけの下の茶屋。昼下がり、タモツは店の子どもたちとサイコロ二つのすごろくを囲み、ノアは少し離れた席で手帳を開いていました。言葉はほとんど通じないのに、サイコロが転がるたびに歓声がそろいます。店のおかみさんが見守るなか、ひと勝負を終えて戻ってきたタモツが話しだしたのは、振ったら最後、やめられない盤の映画のことでした。
サイコロだけなら言葉はいらない
見たか、ノア。サイコロを振る、駒を進める、ゾロ目ならもう一回。説明なしで、三人とも最後まで遊べたぜ!作中の観察
私、一回も入らなかったね。通訳しようと思ったときには、もうサイコロが転がってた。作中の観察
それで思い出したんだ。『ジュマンジ』。あれは逆で、一回振ったら、やめたくてもやめられない盤の話なんだぜ。
『ジュマンジ』は1995年のアメリカ映画です。監督はジョー・ジョンストン、主演はロビン・ウィリアムズ。原作は、クリス・ヴァン・オールズバーグの絵本です。1969年のある日、アラン・パリッシュという少年が、地面に埋められていた古いボードゲーム「ジュマンジ」を見つけて持ち帰り、友だちのサラと遊び始めます。サイコロを振ると駒がひとりでに動き、盤の真ん中に謎めいた文が浮かぶ。アランの番で出た文は「ジャングルで待て、誰かが5か8を出すまで」。その文とともに、アランは盤の中へ吸い込まれてしまいます。事実[1]
駒が勝手に進むんだぜ。オレ、小さいころテレビで観て、そこがいちばん怖かった。自分の手を離れて、遊びのほうが勝手に始まっちゃう感じがさ。好み
サイコロと駒は言葉がなくても動くのに、真ん中の文だけは、読めないと何が起きるか分からないね。解釈
そこだけノアの番ってことだな。
26年ぶりの続き
それから26年後。空き家になっていたその屋敷に、ジュディとピーターの姉弟が越してきて、屋根裏でゲームを見つけます。二人が振るたびに巨大な蚊や猿の群れが現れ、ピーターが5を出したとき、大人になったアランが盤の中から帰ってきます。決まりには、ゲームが終われば元どおりになると書かれている。だから、どれほど危なくても続けるしかありません。事実[1]
途中でやめられないってところが、オレには怖いだけじゃなかったんだ。始めた遊びは、最後まで付き合う。それって、遊ぶ側の礼儀でもあるだろ。解釈
勝つことより、終わらせることのほうが目的のゲームなんだね。解釈
しかも、ジュディとピーターが振ってるのは、26年前に始まったゲームの続きなんだぜ。昔の一手が、まだ盤の上に残ってる。解釈
26年前の一手と、いまの一手が、同じ盤に並ぶんだ。……それは、ちょっとうらやましいかも。好み
決まりが共通の言葉になる
さっきのすごろくもな、子どもでもオレでも、決まりは同じだった。手加減なし。……まあ、オレは子ども相手の手加減が下手なだけだけどな。好み
決まりが同じなら、言葉が違っても文句の言いようがないね。さっきのすごろくも、ゾロ目でもう一回、だけはみんなすぐ分かってた。作中の観察
つまり、決まりが共通の言葉になるってことだぜ。解釈
ノアは手帳の端に、その一行をそのまま書き写しました。
絵本の作者が書いた下書き
原作の絵本を描いたヴァン・オールズバーグは、映画の脚本の下書きの一つを書き、物語にミステリーとシュールレアリスムの手ざわりを込めたかったと語っています。映画は絵本から筋を変えたところもありますが、作者は、ジャングルの動物が家にやってくる大混乱を忠実に描いた、いい映画だと認めました。事実[1]
絵本から映画へ移すときに、もう一度言葉を選び直した人が、作者本人だったんだね。解釈
作った人が、自分の遊びを別の盤に移し替えたってことだぜ。芯の決まりが同じなら、盤が変わっても遊べる。解釈
画面に出てくる動物たちは、コンピューターで作った映像と、機械じかけで動く人形(アニマトロニクス)を組み合わせて作られました。事実[1]
一人の俳優に二つの顔
アランの父親と、ゲームの中からアランを追ってくるハンターのヴァン・ペルトは、同じ俳優のジョナサン・ハイドが演じています。事実[1]
これ、オレは大人になってから知ったんだぜ。小さいころは、怖いおじさんが二人いると思ってた。好み
同じ顔が、家の中と盤の中の両方にいるんだ。観た人によって、どっちの顔を先に思い出すか違いそう。解釈
さて、ノア。さっきの子たち、もう一回やろうって手招きしてるぜ。今度は真ん中に文が出ない盤だけどな。
もし文が出てきたら呼んで。そこだけは、私の番だから。
『ジュマンジ』は、一度サイコロを振ったら終わるまでやめられない盤の映画。絵本の作者は脚本の下書きにも加わり、アランの父とアランを追うハンターは同じ俳優が演じている。