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6選の五本目は『彼氏彼女の事情』です。恋愛について僕が考えていることは、ほとんどこの作品から借りてきたものです。二人が互いの別の顔に気づきはじめるあたりで、筆を置きます。
顔を崩せなかった高校生
高校生のころの僕は、成績のいい子として通っていました。それ自体はうれしかったのですが、いつのまにか、その顔を崩すのが怖くなっていた。分からない問題を「分からない」と言えない。テストの前の晩に焦っている姿を、誰にも見せたくない。教室ではいつも落ち着いたふりをして、家に帰ると、鞄を置いたまま床に寝転がっていました。Preference
そんなころ、ずいぶん前に放送されたこのアニメを、ディスクで一話ずつ観ました。画面の中で、僕とよく似た顔の崩し方をする女の子が、全力で優等生を演じていたんです。一話観終えるたびに、自分の見栄の張り方を答え合わせされているようで、少し恥ずかしく、でもやめられませんでした。最後まで観終えたのは、たしか冬休みの終わりです。Preference
二人の優等生
原作は津田雅美さんの少女漫画で、雑誌『LaLa』に連載されました。テレビアニメは庵野秀明さんが監督を務めています。Fact[1]
主人公の宮沢雪野は、勉強も見た目も申し分のない、高校一年生の優等生。けれど本当は、まわりからほめられたい一心で、その姿を必死に作り上げている人です。家に帰れば、学校とは別人のようにだらしない。そんな彼女の前に、入学早々、自分から一番の座を持っていった同級生の有馬総一郎が現れます。Fact[1]
ある日、雪野は素の顔を有馬に見られてしまい、それをきっかけに、彼の仕事を手伝わされるようになる。ところが一緒に過ごすうちに、完璧に見えた有馬にも、人に見せていない顔があるらしいと気づいていきます。Fact[1]
好きなところ1 全力で見栄を張る姿
最初に好きになったのは、雪野の見栄の張り方が、とにかく全力だということでした。ほめられたいという気持ちを、恥ずかしいものとして隠すのではなく、努力の燃料にしてしまう。その努力の量が本物だから、仮面が仮面なりに立派に見えるんです。見栄は、嘘とは少し違う。なりたい自分を先に着てみる、ということなのかもしれない。高校生の僕は、雪野を見ていて、自分の見栄を少しだけ許せた気がしました。Interpretation
好きなところ2 仮面がずれる瞬間
僕がいちばん目を離せないのは、学校の顔と家の顔が入れ替わる、その継ぎ目です。家に帰った途端に、態度も言葉づかいもがらりと変わる。その切り替えの速さが、観ていて笑えるのに、どこか胸に刺さる。僕も平日と休日で顔を付け替えて暮らしているので、継ぎ目でつまずく気持ちはよく分かります。研究室で、つい休日の口調が出かけて、慌てて咳払いをすることがあるんです。Interpretation
好きなところ3 相手の前でだけ外れる
この作品が教えてくれた一番大事なことは、仮面を外す場所は、どこでもいいわけではない、ということでした。誰にでも素顔を見せればいい、という話ではない。この人の前でなら、崩れた顔を見せても大丈夫だと思える相手が、一人いればいい。そして、自分もまた、誰かにとってのその一人でありたい。始まりの数話で、雪野と有馬が互いの別の顔に気づいていく様子を観ながら、僕は、恋というのは、相手の仮面の裏側を知ったうえで、それでも隣にいることなのだと思うようになりました。Interpretation
見栄の仮面を外した顔を見せられる相手がいたら、それはもう、すごいことです。僕はいまでも、自分の素顔を見せるのが得意ではありません。休日の道化の顔のほうが、よほど気楽です。だからこそ、この作品の二人がうらやましい。休日の街角で、子どもに風船の犬を渡すときの僕は、たぶん平日よりずっと素直な顔をしています。メイクという仮面をかぶっているほうが素直になれるのだから、人の顔というのは、つくづく不思議なものです。Preference
好きなところ4 二人のまわりの人たち
物語は二人の恋だけでなく、二人を囲む友人たちの関係にも目を配っています。Fact[1]
僕はここに、この作品のやさしさを感じます。仮面を外すのは、恋人の前だけの出来事ではない。友だちの前で一枚外れ、家族の前でまた一枚外れる。外れた分だけ、そのまわりの人との関係も少しずつ形を変えていく。一人の素顔は、たくさんの人とのあいだで、少しずつ育っていくものなのだと思います。平日の僕を知っている学生さんたちは、休日の僕をまだ知りません。いつか、どこかの街角で見つかってしまう日が来るのか。来たら来たで、それも悪くない気がしています。Interpretation
苦手な人への入口
恋愛ものはむずがゆくて、という声もよく聞きます。僕も最初は、恋の話として観ていませんでした。見栄っ張りな人が、どこで、誰の前で、仮面を外すのか。その一点だけを追いかけるつもりで観ると、ずいぶん入りやすかった。演出もときどき驚くほど大胆で、それを眺めているだけでも楽しめます。気がついたら、恋の話としても、ちゃんと胸が痛くなっていました。Preference
二つの顔を持つ作品たち
おとなしい男が仮面で弾ける『マスク』とは、表に出す顔と奥にしまった顔の行き来で、まっすぐ地続きです。『マスク』が仮面をかぶる話なら、こちらは仮面を外す話。二本を並べると、僕の中で、隠すための仮面と、守るための仮面の両方がそろいます。人を笑わせるために顔を作る『からくりサーカス』の人たちも、その真ん中あたりに立っている気がします。Preference
素顔は、誰にでも見せなくていい。崩れた顔を見せても平気な相手が一人いれば、仮面はもう、重たいだけのものではなくなります。
