この話は、映画『Flow』を最後まで観た人のための、二周目の案内にゃ。まだの人は、ここで閉じて観てほしいにゃ。展開に触れるところは、押さないと開かない箱に入れたにゃ。今日はゲンの縁側。子どもたちは学校で、シズカは買い物にゃ。海の音を聞きながら、水の映画の話をするにゃ。
言葉のない映画
2024年公開の3DCGアニメーション映画で、ラトビア・フランス・ベルギーの制作にゃ。日本での公開は2025年3月14日。監督のギンツ・ジルバロディスさんは、脚本、音楽、編集、撮影まで務めてるにゃ。人間はまったく出てこなくて、キャラクターは動物だけ。人間の言葉は一言も使われず、動物たちの鳴き声のほかにせりふはないにゃ。Fact[1]
一周目のテンは、ずっと息をつめてたにゃ。主人公はダークグレーの猫。しゃべらない猫が、言葉なしで旅をする。テンは人前では「にゃ」としか言わないから、この猫の気持ちが、どうにも他人事じゃなかったにゃ。二周目は、せりふがないぶん、画面のどこに何が置いてあるかを、じっくり見たにゃ。Preference
海の上じゃよ、言葉より先に、目と耳で分かることのほうが多いんだ。空の色、鳥の飛び方、波の音。この映画は、それを全部画面に置いてやがる。いいじゃん、それ!Interpretation
彫刻のある家
人間がいなくなった世界で、森で暮らす猫は、洪水と水位の上昇に流されて旅に出るにゃ。最初に逃げこむのは、木の猫の彫刻がある空き家。水が上がってくると、猫は巨大な猫の像の上に登って耐えるにゃ。Fact[2]
人間は一人も出てこないのに、人間の気配はあちこちにあるにゃ。猫の彫刻を作った人、猫の像を建てた人。一周目は、ただの舞台だと思ってたにゃ。二周目は、この空き家の主はきっと猫が大好きだったんだろうな、と思いながら観るにゃ。いなくなった人が残した「好き」の上に、猫が避難している。テンは、そこで少し胸があったかくなったにゃ。Grounded inference
鳴き声の正体
サウンドデザイナーは、キャラクターごとに本物の動物の鳴き声を使ったにゃ。猫の声は、サウンドデザイナーの飼い猫のミウが担当。カピバラの声には、本物のカピバラの声が穏やかな役に合わないとして、子ラクダの鳴き声が選ばれたにゃ。クジラには、トラの鳴き声を低くしたものが使われてるにゃ。それから、カピバラやキツネザルは、日本の伊豆シャボテン動物園などでリサーチされたにゃ。Fact[3]
これを知ってから二周目を観ると、耳が忙しいにゃ。あの猫の声は、どこかの家のミウの声。カピバラが鳴くたびに、テンは子ラクダの顔を思い浮かべてしまうにゃ。そしてクジラの低い声の奥に、トラがいる。せりふがない映画だからこそ、鳴き声の一つひとつに、作った人たちの選択がつまってるにゃ。Interpretation
トラの声のクジラか! そりゃ海でも主役を張れるわけだ。今度、船の上でクジラに会ったら、ガオって言うか聞いとくわ。
舟の上の持ちもの
水が上がるにつれて、カピバラの舟には仲間が増えていくにゃ。キツネザルは、小物の入った籠を持って乗りこんでくるにゃ。Fact[2]
一周目のテンは、キツネザルの籠を、ただの「くせ」だと思ってたにゃ。小物を集めずにいられない癖にゃ。テンも、スイのベッドからぬいぐるみを一つずつ運んでしまうから、気持ちはよく分かるにゃ。テンは、キツネザルが籠を抱える手つきが好きにゃ。Preference
Ending and reveals中盤から終盤の展開Tap to open
キツネザルのガラスの浮き玉は、犬がヘビクイワシに渡して遊ぼうとして、ヘビクイワシに舟から蹴り落とされてしまうにゃ。怒ったキツネザルとヘビクイワシがけんかになって、舟は木に引っかかる。そして終盤、船に戻ろうとしても遠すぎた猫は、そのガラスの浮き玉を見つけて、それにつかまって浮かぶにゃ。
だれかの「くせ」で集められたがらくたが、別のだれかの命を浮かべる。持ち主はキツネザルなのに、助けられるのは猫。二周目は、浮き玉が画面に映るたびに、テンは前足をぎゅっと握ってしまうにゃ。Fact[4]
水がこわい猫
監督が2012年に作った、猫と海を描いた短編映画『Aqua』が、『Flow』の基礎になったにゃ。Fact[3]
猫と水は、仲が悪いにゃ。テンもお風呂は大きらいにゃ。だからこの映画の最初の洪水は、テンにとってはホラー映画より怖かったにゃ。二周目は、猫が水にどう触れるかを、場面ごとに見てほしいにゃ。前足の出し方、しっぽの角度。言葉がなくても、こわさの量が毛並みで分かるにゃ。Interpretation
Up to midway中盤の展開Tap to open
半分沈んだ町を進むうちに、猫はカピバラから学んで、泳ぎと魚の捕り方がうまくなっていくにゃ。
最初は水に落ちて沈みかけていた猫が、仲間から学んで、水の中で獲物をとるようになる。テンは、ここで思わずしっぽを振ってしまったにゃ。こわいものが、生きる場所に変わる瞬間にゃ。Fact[4]
鹿の群れと夢
映画のはじめ、猫は鹿の群れが走っていくのを見た直後に、洪水に巻き込まれるにゃ。舟の上で眠った猫は、夢の中で鹿の群れに囲まれ、巨大な石柱を見つめるにゃ。Fact[2]
言葉のない映画では、景色が言葉の代わりをしてるにゃ。走っていく鹿の群れ、遠くに立つ石柱。一周目は、ふしぎな景色として流れていったにゃ。二周目は、猫がそれをどんな顔で見ているか、耳の向きとひげの張り方に目が行くにゃ。Interpretation
おしまいの場面
Ending and reveals結末とポストクレジットTap to open
巨大な石柱の上で、ヘビクイワシは光に向かって飛び、消えていくにゃ。その前に、群れのリーダーに猫の命を助けるよう頼んで決闘に負け、翼を傷めて群れに棄てられたのが、このヘビクイワシだったにゃ。やがて水位が急に下がり、猫は仲間と再会する。喜んでいるところへ、また別の鹿の群れが走ってくるにゃ。森の中では、陸に取り残されたクジラに出会い、猫はクジラを慰めるにゃ。最後に猫は、水たまりに映る自分と、そこへ仲間たちが集まってくる姿を見る。ポストクレジットでは、クジラが海面に浮かび上がるにゃ。
最初に鹿の群れを見たとき、猫はひとりだったにゃ。最後に鹿の群れが走ってくるとき、猫のそばには仲間がいる。同じ景色が、ひとりのときと、みんなのときとで、まるでちがう意味になるにゃ。それから、水たまりに映るのが、猫ひとりではなくなっていくこと。言葉がないぶん、テンはこの最後の一枚で、旅のぜんぶを受け取った気がしたにゃ。Fact[4]
……泣けるじゃねぇか……! 一人で出た船が、帰りは満員だったってやつだな。俺も、そういう航海を何回もしたぞ。
ゲンの船には、テンは乗らないにゃ。水はこわいにゃ。でも、縁側でなら、いくらでも待ってるにゃ。
二周目は、せりふの代わりに聞こえてくる鳴き声が、だれの声なのかを耳で追ってみるにゃ。