平日の夜、レンのバンドが借りている練習スタジオの一階。自販機の横のベンチに、ベースのケースを立てかけたレンと、研究室から歩いてきたユウリが並んで座りました。ユウリの手帳には、ダイヤの札を切り抜いたしおり。今夜の話は、二人とも何度も観ている英国のドラマ『SHERLOCK(シャーロック)』です。
ロンドンが二十一世紀になる
『SHERLOCK(シャーロック)』は、アーサー・コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』シリーズを翻案した、英国BBCのテレビドラマです。2010年7月に放送が始まりました。舞台は現代のロンドン。事件を解くシャーロックの道具は、手の中の携帯電話とネット検索、それにGPSです。相棒のジョン・ワトソンは、アフガニスタンでの従軍から帰ってきた軍医です。Fact[1]
二人はベーカー街221Bの部屋で、ルームシェアを始めます。Fact[1]
僕が最初に引っかかったのは、呼び方。二人とも、相手を名前で呼んでる。
原作でおなじみの「ホームズ」「ワトソン」ではなく、二人はファーストネームで呼び合います。現代に置きかえるにあたって、作り手が加えた変更のひとつです。Fact[2]
題名も、名字ではなく名前のほうですね。呼び名を一枚取り替えるだけで、二人の距離がずいぶん近く見える。僕には、仮面を一枚外したように見えました。Interpretation
仮面の話になると、ユウリくんは早い。
休日の癖が、平日にも出てしまうんです。
題を一か所だけ差し替える
今夜はこれを持ってきました。いくつかの回の題と、その回が下敷きにした原作の題を、左右に並べた表です。
第1話「ピンク色の研究(A Study in Pink)」は、ホームズものの『緋色の研究(A Study in Scarlet)』がもとになっています。ほかにも「ベルグレービアの醜聞(A Scandal in Belgravia)」は「ボヘミアの醜聞」を、「三の兆候(The Sign of Three)」は『四つの署名(The Sign of the Four)』を下敷きにしています。Fact[1]
緋色がピンクに、ボヘミアがベルグレービアに、四つが三つに。どれも原作の題の骨組みはそのままで、色や名前や数を一か所だけ差し替えてある。数学でいうと、式は同じまま、変数をひとつだけ動かした形です。Interpretation
原作を読んだ人には、題が出た瞬間にもう、知ってる話が聞こえるわけだ。
ええ。知っている話と、まだ知らない話が、題の一行で同時に始まる。ずれは、物語が何かを明かすより前から始まっているんです。僕はそこを数えるのが好きで。Interpretation
僕は逆かな。題を見ても、まだ何も数えない。本編で何が画面に書いてあったかを見てから、題に戻る。
同じ題を、僕は入口で数えて、レンさんは出口で数える。並べると、一本の話に二つの時計がついているみたいですね。Interpretation
画面の上に浮かぶ文字
このドラマでは、登場人物がスマートフォンでやり取りするメールの文面が、場面の上に文字で重ねて出ます。電話を持つ手元を映すカットの代わりに、文字そのものを画面に置くやり方です。Fact[2]
これこそ、どこに書いてあるか、の話なんだよね。文字が顔の横に出るか、部屋の奥に出るか。僕は毎回、一時停止して位置を書く。Preference
僕が気になるのは、その文字がいつ出るか、です。……少し、順番を整理させてください。謎解きの話では、ふつう、手がかりを見つける瞬間と、それが何を意味するかを明かす瞬間が離れています。このドラマは、見つけた瞬間の文字だけを、先にこちらへ渡してくる。意味のほうは、まだ渡さない。Interpretation
しかも出ている時間が短い。巻き戻すと、一周目に読めなかった単語が、だいたい一個はある。Observation from the work
一周目は全部を読ませる気のない速さだと、僕は思っています。読めた単語の数で、シャーロックの頭の速さを体で知る。Interpretation
第1話には、放送版とは別に作られたパイロット版があり、第1シリーズのDVDに収められています。放送された各話は90分です。Fact[1]
同じ話の、作り直す前の形を観られる。ちょっとうらやましい教材だ。Preference
僕は一度、パイロット版を先に観てから放送版に戻ってみました。同じ出来事でも、並べ方と速さが変わると、別の話に見えてくるものですね。Interpretation
221Bの玄関はどこにある
221Bの建物の外観は、ベーカー街ではなく、ロンドンのノース・ガウアー・ストリートで撮影されています。Fact[2]
住所は原作どおり、玄関は別の通り。書いてある場所と、撮った場所がずれてる。Observation from the work
呼び名をずらす、題をずらす、玄関の通りまでずらす。それでも、221Bという番地だけは動かさない。僕には、そこが作り手の守りたかった一点に見えます。Interpretation
次は、題が画面に出る瞬間だけ見てみない? 原作の題を知ってる人と知らない人で、何秒たって何が始まるか。
知らない人の分は、レンさんにお願いします。僕はもう、表を作ってしまったので。
『SHERLOCK』のいくつかの回の題は、原作の題の色や数を一か所だけ差し替えたもの。原作を知る人には、題が出たところで二つの物語が同時に動きだす。