夜10時、町内のコンビニ。ホットのお茶を選んでいたナギの隣で、変な柄のパジャマに上着を羽織ったミコが、缶を一本かごに入れました。店の前のベンチで少しだけ話して帰るのが、二人のいつもの流れです。
小学5年生だけの原作
ミコちゃん、昨日、『おもひでぽろぽろ』を観たの。仕事のあとに、一本だけ。
題名は知ってる。中身は知らない。……ジブリの、静かなほうのやつでしょ。
『おもひでぽろぽろ』は、スタジオジブリが作ったアニメーション映画で、公開は1991年7月20日です。高畑勲さんが脚本と監督を務めました。原作は、岡本螢さんと刀根夕子さんによる同名の漫画です。Fact[1]
漫画の原作は、雑誌『週刊明星』の1987年3月19日号で始まり、9月10日号まで続きました。小学5年生のタエ子が過ごす、昭和40年代の毎日が描かれます。映画ではここに、原作にはいない27歳の会社員のタエ子が加わり、小学生のころを思い返す形の物語になっています。Fact[1]
いや、待って。じゃあ大人のほうは、映画で足された人なの。
そうなの。私、観終わってから知って、ちょっとびっくりした。大人のタエ子さんのほうが、私にはずっと近かったから。Preference
思い出す人がいるはず
回想する主人公は、最初の案では高校生でした。それを27歳の働く女性にしたのは高畑勲さんです。もともとこの企画に乗り気でなかった高畑さんを、鈴木敏夫さんが説得していたときのこと。昔を振り返る話なら、振り返っている当人がいるはずだ、という趣旨のことを高畑さんが口にしたといいます。Fact[1]
それは分かる。思い出って、思い出してる今のほうがしんどいときに出てくるじゃん。子どもの話だけ並べても、なんでそれを今思い出してるのかが分からない。Interpretation
うん。私は、思い出すのが休憩みたいに見えた。忙しい日には、昔のことって出てこないから。Interpretation
始まりは1982年の夏です。27歳の会社員、岡島タエ子が休暇を取り、山形の親類の家へ向かいます。寝台特急あけぼの3号に揺られるうち、タエ子の頭に浮かんでくるのは、小学5年生の自分。田舎がないのを寂しがっていた子です。Fact[1]
休暇を取って、夜の列車に乗るところから始まるの。私、その時点でもう少し泣きそうだった。休みを取るって、それだけで一つの出来事なんだよね。Preference
有休を「取る」って言い方、ほんとは「返してもらう」だと思ってる。……いや、毒じゃなくて。働いた分の時間なんだから、って意味。Interpretation
1966年は淡い色で
1982年の場面は色がくっきりしていて、いかにも現実にありそうな景色に見えます。一方、1966年の場面は色が淡く、まるで思い出の中の景色のようです。Fact[1]
作中の思い出のひとつに、パイナップルをめぐる家族の話があります。小学生のタエ子が茶の間で、はじめてパイナップルを口にする場面です。Fact[1]
私、その場面で一時停止しちゃった。家族で一つの果物の味を確かめるって、それだけでいいなあって。Preference
わたしは、家族で何かを「確かめる」ってところで、ちょっと胃が縮む。……まあ、それは私の家の話だから、映画のせいじゃない。Preference
うん。しんどかったら、そこだけ飛ばして観てもいいと思う。私も、苦手な場面は早送りするし。Preference
紅花はお餅のようにつく
映画『おもひでぽろぽろ』には、紅花を摘んで紅餅にするまでの作業が出てきます。モデルは山形市の高瀬地区で行われているベニバナ栽培です。ベニバナは山形県の県花でもあります。花の時期は6月から7月の夏。咲きはじめは鮮やかな黄色で、橙色を経て、少しずつ赤みを増していきます。Fact[2]
紅花染めの材料になる紅餅は、花を杵でついて丸め、乾かしたものです。つき方は、お餅をつくときと同じだそうです。種のほうはしぼると紅花油(サフラワー油)になり、サラダ油にも使われます。Fact[2]
お餅みたいに杵でつくんだって。食べられないのに、私、なんだかお腹がすいた。Preference
食べられない餅で腹が減るの、ナギちゃんらしい。……で、サラダ油にもなる。結局、台所に帰ってくるんだ。Interpretation
花の色が黄色からオレンジ、赤に変わっていくのも好き。毎朝少しずつ色が変わる畑って、見てるだけで休めそう。Preference
色が変わるのを待つだけの休み、か。……それなら、わたしにもできそう。Preference
一話だけの夜に
観るなら、平日の夜より、次の日が休みの夜がいいと思う。急いで観ると、思い出の場面が流れていっちゃうから。Preference
それと、観る前に、自分の小学5年生のころを一つだけ思い出しておくの。給食でも、おやつでもいい。私は、塩をつけすぎたおにぎりにした。Preference
わたしは……部屋の窓から見てた夕方の色、かな。……別に、深い意味はないけど。Preference
ううん、それ、すごくいい入口だと思う。
……じゃあ週末に観る。缶はそのとき開ける。
『おもひでぽろぽろ』の原作漫画は、小学5年生のタエ子の日常だけを描いていた。思い出す側の27歳のタエ子は、映画で加えられた人物。