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Everyday

閉店後の工房で矢口八虎を熱弁する

Spoiler range Touches on the ending 漫画『ブルーピリオド』の単行本既刊第19巻までの展開(受験の結果と、その先の最新の展開まで)と、テレビアニメ版(全12話)の受験の場面に触れます

木曜の閉店後、ベースのストラップの修理を頼みに来たレンの前で、ルカーノはミシンを止めては『ブルーピリオド』の矢口八虎を語りはじめる。アニメだけ観ていたレンは、ときどき別の読みで返す。原作の既刊の最新までネタバレありです。

This article spoils the ending

Covers漫画『ブルーピリオド』の単行本既刊第19巻までの展開(受験の結果と、その先の最新の展開まで)と、テレビアニメ版(全12話)の受験の場面に触れます

Written for people who have finished it and want more from a second viewing. Midway developments and the details of the ending are folded away until you tap them.

For people who
『ブルーピリオド』の矢口八虎が好きな人、アニメで受験までを観て、原作の先が気になっている人へ。絵を描かない人にも、誰かの「好き」を横で聞くのが好きな人にも。
Who's talking
Lucano × Ren
At work 原宿の裏通り、ルカーノの店の奥の工房 十月の木曜、閉店後の夜七時半から九時すぎまで

木曜の夜七時半。表の売り場の明かりはもう落ちていて、奥の工房にだけ灯りが残っていた。作業台にはトルソーが二体と、待ち針の刺さった型紙の束。ミシンの前で、ルカーノが首にメジャーをかけたまま糸を替えていた。

裏口の戸が鳴って、紺のコートのレンが入ってきた。紙袋から出したのは、こげ茶の布のストラップだった。片方の端の穴が、指が入るほど広がっている。

Lucano

おや、レン。君のほうから何か持ってくるなんて、何年ぶりだろう。……ストラップ?

Ren

高校の軽音部で最初に買ったやつです。穴が広がってきて。衣装じゃないので、これはお願いしようと思って。

Lucano

衣装じゃないので、ね。了解。端を一度ほどいて、裏から革を当てよう。三十分ちょうだい。

ルカーノは小さなカップにエスプレッソを注いでレンの前に置き、ストラップの端をほどきはじめた。作業台の隅には漫画の単行本が一冊、型紙の切れ端をしおりにして伏せてある。

Ren

『ブルーピリオド』。新しい巻ですか。

Lucano

春の終わりに出た巻。新しいのが出るたびに最初の巻から読み直すから、なかなか新しいところまでたどり着かない。[1]

単行本は2026年5月22日の時点で既刊19巻

Lucano

最初に手に取ったのは、店を開いた年の夏。日暮里で布を見た帰りに、本屋の棚で目が合ってね。[1]

単行本第1巻は2017年12月22日発売

Ren

僕はアニメだけです。一クールで見渡せる長さだったので。いまの部屋に越した年の秋でした。[1]

テレビアニメは2021年10月〜12月放送、全12話

Lucano

じゃあ受験のところまでは知ってるわけだ。今日はその先まで話したい。ネタバレ、いいかい? 君が先を聞かない人なのは知ってるけど。

Ren

ふだんなら断ります。でも今日は、ルカーノさんがどこで話を止めるのか、そっちを見ていたいので。どうぞ。

Lucano

手厳しいな。じゃあ入口から。八虎は高校二年。金髪で、軟骨にピアスを空けた不良なのに、成績は上のほうにいる。[1]

Lucano

決められたノルマを片づけるみたいに、勉強も友だちづきあいもこなしてる。なのに、何をやっても手ごたえがない。美術の授業だって、さぼれそうだから選んだだけ。[1]

Ren

そこから、美術室の一枚の絵ですよね。部長の先輩が描いた。[1]

Lucano

Esatto。でも、その絵の話は今日は置いておく。僕が八虎を好きになったのは、そのあと八虎が自分で描いた一枚のほうなんだ。

Lucano

夜ごと仲間と遊び歩いてた渋谷の街。八虎はずっと、あの街に青を感じてた。その青を絵の上に出せたとき、生まれて初めて、生きてるって手ごたえをつかむ。[2]

Lucano

誰にも言えなかったことを、一枚に出せた夜の顔。僕が最初に、誰にも頼まれない服の絵を描き上げた夜も、たぶんあんな顔をしてた。鏡は見てないけど。

Ren

あの絵がどこの景色か、友だちが当てるんでしたっけ。

Lucano

そう、恋ちゃん。見た目はこわもての友だちが、真っ先に渋谷だって気づく。あの子には、八虎のごまかし笑いが通じない。[1]

Ren

僕はあそこで、絵が最初に届いた相手が、美術の人じゃないところが、よかったです。

Lucano

いいね、その読み。仕立ても同じでね。袖を通したお客さんが、何も説明してないのに「これ、あの日の夕方の色だ」って言う日がある。

ルカーノはストラップの端を指でしごき、ほどいた糸を一本ずつ作業台の端に並べた。並べながら、伏せてあった単行本を片手で開き、ページを繰る。

Lucano

それと、ここは職業病だね。この漫画、絵を描くときの格好が人によっていろいろなんだ。八虎はつなぎで、部長の先輩はかっぽう着。[1]

Lucano

予備校の講師はエプロン、関西弁の子は白衣。お金を浮かせるために、制服をつなぎの代わりに着てる人までいる。[1]

Ren

そこを数えてる読者、そんなにいませんよ。

Lucano

描くときの服って、汚していい自分のことなんだよ。つなぎは、頭から足まで全部汚していい服。僕はそこに、八虎の腹のくくり方を見てる。

Ren

ルカーノさんは、美大のとき何を着てたんですか。

Lucano

父のお古のワイシャツ。袖だけ自分で詰めてね。絵の具の色より先に、袖口の始末が気になってた。そのころから、もう半分は服のほうにいたのかな。

Lucano

ここから先は、高校二年の夏から冬。君もアニメで観たところだけど、一応畳んでおくね。

Up to midway中盤の展開(高校二年の夏から冬)Tap to open

ルカーノ「美術部に入った八虎は、夏休みのあいだにデッサンを仕上げてくる。休みが終わって、その数を見た部員たちが言葉をなくす」

ルカーノ「ところが、あの絵を描いた先輩が、予備校の中では下から数えたほうが早いと聞いて、八虎は打ちのめされる。自分が見上げてた人の上に、まだ何段もあると知るわけ」

ルカーノ「それから、お母さん。藝大を受けることを、お母さんは認めてくれない。八虎は、一枚の絵を差し出す。お母さんの毎日を描いた絵を」

ルカーノ「説得を、言葉じゃなくて絵でやった。僕はそこでページを閉じて、一回お湯を沸かしに立った。……泣いてないよ。湯気だよ」[2]

Ren

あの回、僕は一度も一時停止しませんでした。止めたくなかったので。

Lucano

君が止めない場面があるなんて。それが聞けただけで、今夜は得をした。

Ren

でも僕、八虎の好きなところは、ルカーノさんと少し違って。要領のいいところなんです。

Ren

最初から残りの日数を数えて動く人ですよね。アニメの公式の紹介にも、入学試験まであと何日、って書いてあって。[2]

TVアニメ公式サイトの紹介文では「入学試験まで、あと650日」

Ren

仕事で工程表を組んでるので、ああいう逆算を見ると落ち着くんです。本気は、段取りの形でも出せる。僕はそう読みました。

Lucano

うん、そこは認める。でも僕は、段取りが崩れたところで八虎を好きになる。君は工程表を見て、僕は縫い目のほつれを見てるんだね。

Ren

……ほつれの側から読むの、ルカーノさんらしいです。

Lucano

じゃあ、そのほつれの話をしよう。予備校から一次試験まで。

Up to midway中盤の展開(予備校から一次試験まで)Tap to open

ルカーノ「予備校で出会った天才の世田介くんに、八虎は自分の絵のことを言われる。好きな絵の、いちばん上のきれいなところだけすくい取ったみたいだ、って」

ルカーノ「仕立て屋にとっても、いちばん痛い言われ方だよ。形は整ってる。でも、その一着が誰のためにあるのかが、どこにもない。講師の先生はそこで、画面の組み立て方と、見る人の目をどこからどこへ運ぶかを話す」

レン「ただ、上澄みでも、すくえるのは一つの力だと思います。どこが上澄みか分かってないと、すくえないので」

ルカーノ「そこは君の読みに一票。すくう手つきがなければ、上澄みにも届かない。八虎は、その手つきから先へ行こうとしてた」

ルカーノ「一次試験の課題は自画像。八虎は、自分の中にある二つの顔を描こうとする。その試験の最中に、鏡が割れる。八虎は、割れた鏡を絵の手がかりに変えて切り抜けようとする」

ルカーノ「裁ちばさみを入れ間違えた布を、柄の向きを変えて使い切る。職人がいちばん好きな種類のひっくり返し方さ」[2]

Ren

僕は、世田介のほうを見てました。言い方はきついけど、いちばん正確に見てる人なので。

Lucano

でしょう? 正確な人の一言は、待ち針より深く刺さる。

Lucano

あと、これは小ネタ。八虎はミント味が苦手で、歯みがき粉は子ども用。[1]

Ren

それ、いま要る情報ですか。

Lucano

要るとも。何でもこなす子の、袖口のほつれ。そういう所があるから、安心して好きでいられる。

Ren

アニメは、放送のたびに、美術の豆知識を話す短いコーナーがついてました。山田五郎さんの。[1]

Lucano

あれは僕も好きだった。作者の山口つばさ先生は、芸術高校から藝大に進んだ人でね。[3]

Lucano

だからかな。描く人の部屋の匂いを知ってる人が描いてる、と思って読んでる。僕の勝手な読みだけど。

Lucano

次は、二次試験。アニメのいちばん最後のところ。

Ending and reveals受験の山場(アニメの終盤)Tap to open

ルカーノ「二次試験は、目の激しい痛みとじんましんを抱えたまま始まる。課題は、裸のモデルを描くこと。八虎が出したテーマは、裸はありのまま、だった。なのに一日目が終わると、講師には、テーマが平凡だと厳しく言われる」

ルカーノ「ここからが、この漫画で僕の胸がいちばん鳴ったところ。……順番はつけない約束だったね。とにかく、鳴った。テレピン油がこぼれた紙は、半分透けて見える。その現象を、八虎はキャンバスの上に置き換える」

ルカーノ「モデルの体は盛らずに、細かいところまで描きこんで、ありのままにする。かわりに、まわりにいる服を着た人たちのほうを、絵の具をたっぷり重ねて描く。その差で見せる」

ルカーノ「服を着た人を、厚く塗る。服を着るって、自分の上に何かを重ねることなんだよ。毎日布を重ねてる人間として、あれほど言い当てられたことはない」

ルカーノ「世田介くんは、八虎のその作戦を見抜く。うまくなったな、という一言。八虎は泣く。……僕も、湯気のふりはできなかった」[2]

Ren

アニメで観たはずなのに、人から聞くほうがこたえました。

Lucano

僕の早口のせいだ。ごめん、また手が止まってた。……ストラップ、ストラップ。

ルカーノは単行本を伏せ、こげ茶の端に、裏から細く切った革を合わせた。ミシンの音が工房に戻る。レンは冷めかけたエスプレッソに、ようやく口をつけた。

Lucano

ここからは、君の知らない先。原作だけの話だよ。

Ending and reveals原作の先の展開(既刊の中ほど)Tap to open

ルカーノ「八虎は藝大に現役で受かる。でも、入学してすぐ、自分の作品を見せながら自己紹介をする場で、まわりの同級生の力に圧倒される。そのうえ、受験のために描いてきた絵は作品とは呼べない、と言われてしまう」

ルカーノ「これまでの自分を丸ごと打ち消されたみたいで、八虎はひどく落ちこんで、何を目指して描けばいいのか分からなくなる」

ルカーノ「そんなとき、上野の動物園で、予備校でほとんどのクラスが一緒だった桑名さんと偶然会う。話しているうちに、八虎は決める。いったん歩くのを休んで、いろんなものに心を動かしてみようって」

ルカーノ「手探りを続けて、八虎は作家を目指すようになる。暮らし向きはまだ楽じゃないけど、ご両親の許しももらう」

ルカーノ「それから、八虎の腐れ縁のユカちゃん。藝大の試験では、画用紙にバツをひとつ描いただけで途中で席を立って、受験をやめてる。そのあとは、服の勉強ができる学校を目指してる。仕立て屋としては、つい肩入れしたくなる」

ルカーノ「でも、今日の主役は八虎だ。僕は、歩くのを休む、っていう言い方にやられた。走れ、でも、止まれ、でもない。服でいえば、仮縫いのまま一晩おいておくことだね。布は寝かせると、落ち着く場所を自分で見つける」[1]

工房のさらに奥、アトリエへ続く戸が半分だけ開いていた。レンはそちらに目をやりかけて、カップの縁に視線を戻した。

Ren

休むのと、やめるのは、違うものですか。

Lucano

どうだろう。休んでる絵もあれば、寝たふりをしてる絵もある。……いつか、ね。

Ren

すみません。聞かないつもりでした。

Lucano

いいんだ。聞いてくれる人がいるのは、悪くない。それより、最後にいちばん新しいほうの話をさせて。笑える所もあるから。

Ending and reveals既刊の後ろのほう(原作)Tap to open

ルカーノ「大学一年の冬休み、八虎は、高校の美術の先生が開いてる絵画教室で、お絵描きを教えるアルバイトをする。保護者にはうける。子どもには、いまひとつうけない」

ルカーノ「おまけに、そこの先生と、教室に通う子の影響で『武装伝記マゲンダー』にはまって、最後の話まで観きってる。あの八虎がだよ」

ルカーノ「大学の学園祭では、高校からの友だちに、世田介くんを、大学でいちばん仲のいいやつだって紹介する。あの世田介くんを、だよ」

ルカーノ「話はいま、八虎が三年生になったところまで来てる。どこまで行くのか、僕にはまだ分からない。分からないまま、次の巻を待てるのがうれしい」[1]

Ren

最後のくだり、続きが気になります。

Lucano

でしょう? 僕も次の巻を、甥っ子が誕生日を待つくらいの顔で待ってる。

ミシンが止まった。ルカーノはストラップを裏返し、当てた革の縁を指でなぞってから、レンに差し出した。レンはそれを天井の灯りにかざし、縫い目の並びを端から端まで目で追った。

Lucano

Ecco。穴のあった所に裏から革を当てた。色は、元の茶にいちばん近いのを選んだよ。

Ren

……縫い目、表からほとんど見えないですね。お代は。

Lucano

次のライブの、いちばん後ろの立ち見。それで十分。

Ren

それなら払えます。……次の巻が出たら、僕も原作を最初から読みます。どこで泣いたか、あとで照らし合わせてもいいですか。

Lucano

いいとも。ただ、僕が泣いた所は、全部湯気のせいってことにしておいてね。ははは。

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