好きな作品が舞台になると聞いたとき、うれしい人と、少し身構える人がいます。今日は三人で、アニメや小説が舞台になるとき何が変わるのかを話しました。三人とも、観たことのない舞台の中身については断言しない、という約束で。
映画の町が劇場になった
最初の例は『千と千尋の神隠し』。東宝の舞台版の公式サイトを見ると、世界初演は四年前の春、帝国劇場だった。翻案と演出を手がけたのはジョン・ケアードさん。舞台化の許しをもらうまでに、スタジオジブリのプロデューサーの鈴木敏夫さんと話をして、宮﨑駿さんにも会ったんだって。事實[1]
2022年3月初演
私が引っかかったのは「翻案」という言葉。訳すんじゃなくて、案を翻す。同じ物語を、別の器のために組み直す仕事なんだよね。解讀
私は正直、舞台はあんまり。人がいっぱいの場所が苦手だし、アニメのあの声とあの絵が好きなのに、別の人がやるのを見る理由が分からない。喜好
分かる。でも私は、そこにこそ見たいものがある気がする。アニメの声は、録音された一回の声でしょう。舞台の声は、毎晩ちょっとずつ違う。同じ台詞でも、その日の客席の静けさで響き方が変わる。解讀
カメラがないとき何で見せるか
公式サイトには、ロンドンの演劇賞「ローレンス・オリヴィエ賞」で、美術デザイン賞にノミネートされたことも書いてあって、そこに美術の人と並んでパペットデザインの人と映像の人の名前が挙がってるの。事實[2]
映画ならカメラが寄ったり、空を飛んだりできる。舞台にはそれがない。だから、人ではない者たちを、人形や映像や役者の体で、客席の前に立たせる方法を選び直す必要があるんだと思う。どう見せたかは、私は観ていないから言えない。でも、選び直した人の名前がちゃんと並んでいるのが、私はうれしかった。有依據的推測
アニメだと、音は全部スピーカーから来るよね。舞台だと、声も足音も、舞台の上の違う場所から来る。私はそれだけで、もう別の作品だと思う。どっちが上とかじゃなくて、耳の使い方が変わる。解讀
……足音が違う場所から来る、っていうのは、ちょっと聞いてみたいかも。家のスピーカーだと、全部同じ箱から鳴るから。喜好
言葉はそのままで海を渡る
もう一つ驚いたのは、おととしのロンドン公演のこと。演じたのは日本人キャストで、言葉も日本語のままだった、って書いてあったの。翻訳した台本じゃなくて、日本語のまま。事實[3]
2024年のロンドン公演
それ、客席の人は言葉が分からないまま観てたってこと?
字幕がどう出ていたかまでは、このページからは分からない。ただ、言葉の意味より先に、声や体や音で届くものがあると信じた上演なんだろうなって、私は想像してる。有依據的推測
それなら分かる。私、子どものころ、意味の分からない台詞でも、声の調子だけまねして覚えてたから。怒ってる声と、ふざけてる声は、言葉が分からなくても分かる。喜好
ミコのそれ、すごく舞台的な聞き方だと思う。解讀
小説も舞台になる
2025年12月
小説には、そもそも決まった絵も声もない。読んだ人の頭の中にしかなかった景色を、舞台は一つに決めて見せることになる。映画からの舞台化とは、選び直す方向が逆なんだと思う。映画は絵があるところから、小説は何もないところから。解讀
頭の中の景色を一つに決められるの、私はちょっと嫌かも。でも、自分の頭の中とどこが違うか確かめるのは、面白そう。喜好
それぞれの観に行き方
最初は、舞台なんて別物だから興味ないって思ってた。でも今日の話で、別物だから観る意味があるのかも、って思い直した。人混みはやっぱり無理だから、私は映像になったものから試す。喜好
私は、目を閉じる時間を一回だけつくって観たい。舞台のどこから音が来るかだけを聞く数分。喜好
私は、原作のどの場面が残って、どの場面が別の形になったかを、観たあとにノートに書く。優劣じゃなくて、何を選び直したかの記録として。喜好
舞台化は、同じ物語を別の器のために組み直す仕事。似ているところより先に、何を選び直したかを一つ見つけてみる。