二本目は『男はつらいよ』じゃ。ふらりと出て行き、ふらりと帰ってくる。人に迷惑をかけながら、人情だけはだれにも負けん。俺がいま旅に出て弟子を慌てさせとるのは、半分くらいこの男のせいじゃ。寅さんの恋がどうなるかは書かん。そこは自分の目で見なされ。
稽古のあとは映画館へ
下町に小さな道場を開いたころじゃ。道場とは名ばかりで、借りた板の間に弟子が数人。夜の稽古が終わると、汗も引かんうちに若い弟子を連れて映画館へ行った。寅さんがかかっとると、弟子より俺のほうが先に走っとった。笑うて、泣いて、帰りに屋台で一杯。それが何よりの楽しみでのう。喜好
松竹の公式サイトによれば、『男はつらいよ』は渥美清が主演し、山田洋次が原作・脚本・監督を務めたシリーズじゃ(一部の作品は除く)。第1作が出たのは1969年で、全部で50作品が公開されとる。第1作の封切りは昭和44年8月27日、監督は山田洋次、脚本は山田洋次と森崎東じゃ。事實[1]
好きな理由1:あの名ゼリフ
第1作の公式ページには、寅さんの名ゼリフが紹介されとる。葛飾の桜が懐かしい、今年もまた咲いとる、と語りかける、あのせりふじゃ。言うのは、二十年前に親父と大喧嘩して家を飛び出した男。江戸川の土手に立ち、生まれた土地を眺めながらのひと言じゃ。事實[1]
これを映画館で聞いたとき、俺は背中がぞくっとした。テキ屋の口上というのは、言葉の拳法みたいなもんでのう。間合い、緩急、決めどころ。一息で相手の懐に入って、気づいたら財布の紐をほどかせとる。寅さんのしゃべりは、ただの冗談じゃない。鍛え上げた技じゃ。型の稽古と同じで、何百回と口に出したもんでなけりゃ、あの調子は出ん。解讀
好きな理由2:迷惑をかけて帰ってくる
寅さんは、とにかく家族に迷惑をかける。ふらっと帰ってきて、場をかき回して、喧嘩して、また出て行く。普通なら愛想を尽かされる。じゃが、帰る場所はいつも待っとる。団子屋の茶の間に、ちゃんと寅さんの居場所が残っとる。作品中的觀察
俺はこれが好きでのう。人は迷惑をかけずに生きられん。かけてもええ、そのかわり、人の難儀には真っ先に駆けつける。寅さんはそういう男じゃ。勧善懲悪で言えば、寅さんは善の側でも悪の側でもない。ただ、困っとる人を放っておけん。その一点だけは、どんな作でもぶれん。解讀
竜山さん、俺は遠洋の船の上で、ビデオで観たんですよ。陸に上がれねぇ男が、帰る場所のある男を観てるんだから、そりゃあ効く。茶の間の場面になるたびに巻き戻して……毎回、泣いてました。喜好
俺は封切りの映画館で泣いた。……ゲン、泣くところが同じじゃな。
……同じですね。
……よし、今夜は一杯やるか。
好きな理由3:旅先の空気
寅さんはよう旅をする。全国のあちこちの町で、商売をして、宿に泊まって、土地の人と知り合う。画面の向こうの町の空気が、なんとも言えずええ。駅、港、祭りの境内。寅さんが歩くと、どの町も少しだけ人なつこく見えてくる。作品中的觀察
俺が八十を過ぎてもふらりと旅に出るのは、これの真似じゃ。駅の売店で文庫を一冊買うて、行き先は電車の中で決める。旅先の屋台で隣の人と一杯やって、昔の映画の話をする。寅さんほど上手に人の懐には入れんが、年寄りのひとり旅はわりと話しかけてもらえるもんでのう。おかげで弟子どもには「連絡がつかん」と毎度叱られとる。喜好
俺の見方:強い者ほど手を出さん
空手では、強い者ほど手を出さんと教わる。寅さんは強い男じゃない。喧嘩っ早いし、すぐ口が出る。じゃが不思議と、弱い者に手を上げる男には見えん。人のためなら、自分が損をするほうを平気で選ぶ。俺はそこに、型には書いてない強さを見るんじゃ。解讀
道場を長くやっとると、強くなりたいと言うて入ってくる若い者に、何度も同じことを言う。強さは、使わんでおく力のことじゃ、と。言葉で言うても伝わらん。じゃから、この映画を勧める。寅さんを観て、損を引き受ける男の背中の格好よさが分かれば、もう半分は稽古が済んどる。喜好
どこから観るか迷う人へ
全50作と聞くと、どこから手をつけたらええか分からんじゃろう。順番は気にせんでええ。まずは第1作の、さっきのせりふのところだけでも観てみなされ。あの調子が肌に合えば、あとは好きな作から拾えばええ。話は一本ずつで完結しとるから、途中から観ても置いていかれることはない。
それと、寅さんの声だけ追ってみなされ。怒るとき、照れるとき、強がるとき、声の高さと速さがはっきり変わる。顔より先に声で気持ちが分かる。昔の映画の台詞は、耳で楽しむもんでもあるんじゃ。喜好
ほかの5本とのつながり
『独眼竜政宗』で上に立つ者の重さを学び、『平家物語』で驕るなと叱られた俺に、肩の力を抜けと言うてくれたのが寅さんじゃ。『ローマの休日』の王女さまも、一日だけ自分の場所を抜け出す話じゃった。俺の6選には、なぜか出て行く話が多いのう。喜好
迷惑はかけてもええ。そのかわり、人の難儀には真っ先に駆けつけなされ。