四本目は『Paradise Kiss』。僕が服に恋をした漫画です。登場人物たちの恋の行方は書きません。書くのは、ページの中の服のこと、そして一着の服に詰まった二つの夢のこと。読み返すたびに、高校の美術室の油の匂いがよみがえります。
美術室の棚の一冊
高校のころ、放課後はほとんど美術室にいました。石膏像をデッサンして、油絵の下塗りをして。将来は画家になる、と本気で思っていた。その美術室の棚に、誰が置いたのか、この漫画が一冊だけ挟まっていたんです。喜好
休憩のつもりで開いたら、最後のページまで手が止まりませんでした。その日のデッサンは、石膏像の顔そっちのけで、ページで見たドレスのひだばかり描いていた。先生に「今日は何を描いてるんだ」と首をかしげられたのを覚えています。喜好
どんなお話か
集英社の第1巻の作品ページは、こんなふうに紹介しています。受験のことで頭がいっぱいだった早坂紫は、矢澤芸術学院の生徒たちに出会って衝撃を受け、学園祭のショーでモデルをしてほしいと頼まれる。奇抜な見た目とは裏腹な、まっすぐな姿勢に心を動かされ、紫はいつしか、彼らがアトリエと呼ぶ場所へ通うようになる。物語の始まりはそこです。事實[1]
好きな理由その一 作る人と着る人
この漫画のいちばん好きなところは、服を作る側と、着る側、両方の気持ちがちゃんと描かれていることです。作る人は、自分の頭の中の一着を形にしたい。着る人は、その一着を着た自分を信じられるか不安になる。一着のドレスに、二人分の夢と不安が縫い込まれていく。解讀
僕はあとになって、両方の側に立つことになりました。モデルとして服を着る側、デザイナーとして服を作る側。だからどのページも他人事じゃない。着る側のページを読むと、初めてカメラの前に立った日の足のふるえを思い出すし、作る側のページを読むと、締め切り前の夜の胃の痛さを思い出す。喜好
好きな理由その二 ページの中の服
登場人物たちの服が、とにかく楽しい。コマごとに着ているものが違って、柄と柄を重ねても、なぜかまとまっている。フリル、レース、チェック、ストライプ。描き手が服を心から愛しているのが、線の一本一本から伝わってきます。作品中的觀察
僕がいまでも柄に柄を重ねて着るのは、たぶんこの漫画のせいです。派手な組み合わせでも、色を一つだけ揃えておけば喧嘩しない。そういうことを、僕は教科書より先にこの漫画のコマから盗みました。喜好
この漫画、服の描きこみがすごいですよね。ギャザーの寄せ方まで、型紙から起こせそうなくらい。作品中的觀察
でしょう? 布がどこで引っぱられて、どこで落ちるか、ちゃんと分かって描いてある。君なら、ページを見ただけで型紙が引けると思うよ。解讀
引けます。ただ、裾の分量は実物を見ないと分からない。……今の、長かった?
レイは店でアルバイトをしていたころから、縫い目と型紙の話になると目の色が変わる。その目で見ても、この漫画の服は「作れる服」なんです。喜好
好きな理由その三 アトリエという場所
学生たちのアトリエは、散らかっていて、にぎやかで、居心地がよさそうに描かれています。夢を持った人たちが集まって、好きなことに夜通し没頭する場所。作品中的觀察
僕が原宿の店の奥に、制作をのぞける工房を作ったのは、もちろん別のきっかけもあるけれど、心のどこかにあのアトリエがあったからだと思います。人が集まって、何かが生まれる場所が欲しかった。喜好
僕の見方 モデルという仕事
あとになって僕自身がモデルの仕事をしたとき、この漫画を何度も思い出しました。服を着る側は、ただ立っていればいいわけじゃない。その服の作り手が何を思って一針ずつ縫ったのかを、背中と歩き方で伝えなければならない。着る人が服を信じないと、服は輝かないんです。解讀
初めて大きな現場に立った日、緊張で肩が上がりっぱなしだった僕に、先輩のモデルが「服に着られないで、服と一緒に歩きなさい」と言いました。この漫画の着る側のページを読むと、いつもその声がよみがえります。喜好
苦手かもしれない人への入口
恋愛の漫画は苦手、という人もいると思います。そういう人は、一度目は恋の話をいったん脇に置いて、「一着のドレスができあがるまで」の物語として読んでみてください。服ができていく過程だけを追っても、十分に一本の物語になっています。喜好
ほかの6選と
服の内側に物語を縫い込むという点では『ファントム・スレッド』と、何かを作る若者たちの熱という点では『ブルーピリオド』とつながっています。僕の好きなキャラクターは、ドレスを作る側のジョージ。彼の美意識の強さに、高校生の僕はくらくらしました。喜好
一着の服には、作る人と着る人の夢が二つ縫い込まれている。読み終えたら、その服を作った誰かのことも少しだけ想像してみて。