目錄
僕の6選の一本目は『かぐや姫の物語』。知っている昔話のはずなのに、観終わったあと、しばらく席を立てなかった映画です。物語の行き先は書きません。書くのは、線と余白と、着物のひだの話。思わず声が出る場面ばかりなので、少し早口になるけれど許してほしい。
美大の帰りの映画館で
観たのは美大で油絵を学んでいたころです。朝から晩までキャンバスに絵の具を塗り重ねて、指の爪のあいだがいつも青や茶色だった。その日も、乾ききらないパレットを片づけてから映画館に駆けこみました。喜好
塗り重ねることが絵だと信じていた僕は、最初の数分で足もとをすくわれました。画面には塗り残しがたくさんある。紙の白がそのまま光になっていて、輪郭の線が、ところどころ途切れている。なのに、足りないものが何もない。帰りの電車で、自分のスケッチブックを開いて、描きこみすぎた線を一本ずつ数えたのを覚えています。喜好
作り手のこと
スタジオジブリの作品ページでは、原案・脚本・監督は高畑勲さん、脚本は坂口理子さん、音楽は久石譲さんと紹介されています。公開日は2013年11月23日です。事實[1]
好きな理由その一 線が途切れるところ
この映画の線は、筆や鉛筆で引いたときの強弱がそのまま残っています。人物の輪郭が、肩のところで細くなって、袖のところでまた太くなる。線の端がかすれて、紙の白に溶けていく。整えられたきれいな線ではなく、手が動いた跡そのものです。作品中的觀察
職人の目で見ると、これは本当に怖いことなんです。途切れた線は、一枚ずつ途切れ方が違ったら、動かしたときにちらついてしまう。かといって揃えすぎたら、手の跡が消えてしまう。その間のちょうどいいところを、何枚も何枚も探したはずです。僕はそこで、作った人たちの夜の数を数えはじめてしまう。解讀
好きな理由その二 走ると線がほどける
予告でも流れていた、姫が走り出す場面があります。走るほどに、着物も、髪も、輪郭の線までもが、ほどけて荒々しくなっていく。色がなくなり、炭で殴り書きしたような線だけが残る。なぜ走るのかは、ここには書きません。作品中的觀察
初めて観たとき、僕は座席の肘かけを握っていました。気持ちが大きくなりすぎて、きれいな線では描ききれない。だから線のほうが壊れていく。絵の具を塗り重ねることばかり考えていた僕に、「気持ちは線の太さで描けるんだ」と教えてくれた場面です。解讀
好きな理由その三 着物のひだが生きている
服を作る人間として、どうしても目が行くのは着物です。重ねた衣の色の組み合わせ、座ったときに床に広がる裾の形、立ち上がるときに布が遅れてついてくる感じ。服が、言葉より先に姫の居場所を語っているように見えます。解讀
あのころの僕は、自分の油絵を見返して気づいたんです。描きこんでいたのは顔より着物のひだだった、と。人物を描いているつもりで、実は布を描いていた。この映画を観て、自分がどこへ向かっているのか、少しだけ分かった気がしました。……ま、そのときはまだ、画家になるつもりだったんだけどね。喜好
僕の見方 余白は布の白
服を作るようになってから、この映画の余白の見え方が変わりました。紙の白を塗り残すのは、布でいえば生地の地色をそのまま生かすこと。柄で全部を埋めないから、袖口の小さな刺しゅうが光る。描かないことで、描いたところを見せる。この映画は、その引き算をとても大胆にやっています。解讀
いま店で服を作るとき、僕はときどき、この映画の画面を思い出して手を止めます。もう一本ステッチを足すか、ここで止めるか。迷ったら止める。余白に風を通しておけば、着る人がそこに自分の物語を入れてくれるから。美大のころの僕には、この引き算がどうしてもできなかった。喜好
苦手かもしれない人への入口
上映時間は長めで、昔話だから展開を知っている気がする。そう思って手が伸びない人もいると思います。僕のおすすめは、一度目は物語を追わずに「線の太さ」だけを見ることです。静かな場面では細く、気持ちが動く場面では太く荒くなる。それを追いかけているうちに、知っていたはずの話が、まるで初めて聞く話になっていきます。喜好
もう一つ。気に入った場面で一時停止してみてください。止めた一枚が、そのまま額に入れて飾れる絵になっている。僕は何度も止めて、着物の柄だけスケッチブックに写しました。喜好
ほかの6選と
絵が絵のまま動く喜びという点では『ゴッホ~最期の手紙~』と、描く人の頭の中の景色を見せてくれる点では『映像研には手を出すな!』とつながっています。そして、着物のひだばかり描いていた美大生が、のちに服の道へ進むことになる。その分かれ道の手前に、この映画が立っていました。喜好
一度目は物語を、二度目は線の太さを。気持ちが動く場面で、線がどう変わるかを見てほしい。
