場内が明るくなっても、G列の三人は立たなかった。カラフルな柄を三枚重ねた大柄な男の人が、エンドロールの最後の一行まで画面を見ている。隣の女の人は腕を組んだまま、さらに隣の金髪の女の子は、ちらちらと出口を見てから、また座り直した。
最後列の端に立っていたカグラは、三人が席を立つのを待って、ロビーで声をかけた。
失礼いたします、G列の十一番から十三番のお客さま。最後の一行まで座っていてくださって、ありがとうございました。最後列から、頭が三つ残っているのが見えていました。
ああ、見られてたか。こちらこそ、いい暗さをありがとう。……それに、その立ち姿。背中に一本、線が通ってる。
ありがとうございます。立ちっぱなしの仕事なので、背中だけは毎朝確かめているんです。……どなたかの名前を、待っていらしたんですか?
作画監督の名前。好きな絵を見たあとは、誰がこの顔を揃えたのか、どうしても名前で確かめたくなるんだ。職業病だね。
わかります。私もこの映画だけは、その名前のところで、毎回少しだけ息を止めてしまうので。
さくが、かんとく……待って、作画監督って、何する人? 教えて?
この映画では、松原秀典さんがキャラクターデザインと作画監督を兼ねていらっしゃいます。[5]
私の理解だと、たくさんの人が描いた絵を、一人の顔に揃える係。……作品や会社で範囲が違うから、そこは分けて聞いて。
顔を揃える係! 了解、それならなんとなく分かる。
私が好きなのは、すずさんの頬のやわらかさです。顔が丸くて、線がやさしいから、つらいことのある場面でも、客席の肩が固まりきらない。最後列から見ていると、それが分かるんです。
アルバイトのころ、この映画の回だけ、客席の空気がほかと違いました。帰り際に、もう一回観る日を決めていく人が多くて。
絵の線が、客席の肩までほどいてたんだね。Bellissimo。
カグラの休憩時間が残っていた。四人はロビーの長椅子に並んだ。エマはルカーノの隣に座るとき、なぜか膝をそろえて背筋を伸ばした。
ルカーノさん。差し支えなければ、ルカーノさんのお好きな作画監督の方を、お聞かせ願えますでしょうか。
エマ、急に面接みたいだ。……僕は小西賢一さん。いちばん最初に名前を覚えたのは、東京ゴッドファーザーズだった。
あの映画で、小西さんは作画監督をしてる。[2]
服でいえば、三人とも何枚も重ね着してて、どれも長く着た生地なんだ。肘のところだけ光ってたり、裾が伸びてたり。ああいう、くたびれた布のしわを、ちゃんと人の体の重さで描いてる。服を作る人間が観ると、一枚ずつ脱がせて、繕ってあげたくなる。
店長、服の話になると早い。
ご趣味が、一貫していらっしゃいますね。
エマ、そこはほめてくれていいところだよ。
……恐縮です。じゃあ、私の番ね。レイさん、カグラさん、聞いて。私は沖浦啓之さん。
引っ越し先の国で、あとから吹き替えで観たの。言葉は半分しか分からなかったのに、絵だけでずっと見ていられた。手に、ちゃんと重さがあるの。コップを持つ指とか、振り向くときの首とか。
私、写実の絵を描くでしょ。あの顔は、本物っぽく描くことと、絵として気持ちいいことの、ちょうど間にある感じ。真似しようとして、何回もスケッチブックを破った。
大きな画面で観ると、その重さが客席まで降りてくるんですよ。静かな場面ほど、皆さんの背中が座席に沈んでいくのが見えるんです。
Nice! 大きい画面で観たい。……それ、いつかここでやる?
私の口からは、まだ何も。でも、お気持ちは上に伝えておきますね。
私は高橋久美子さん。カードキャプターさくらの、キャラクターデザインの人。[8]
……厳密には、私の推しはキャラクターデザイン。今日の話題の作画監督とは役職が違う。そこは分ける。
いいよ、レイ。今日は線の話をする日だから。
了解。小学生のころ、再放送で出会った。さくらの目が大きくて、髪の先まで軽い。走ると、服の裾と髪が少しずつ遅れてついてくる。あの遅れ方で、私は衣装を作る人になりたいと思った。
これは私の読み。顔だけじゃなくて、着ている服まで、その子の性格に見えるように描いてある。だから、衣装を作るとき、私はまず裾の遅れ方から型紙を引く。……今の、長かった?
ううん、ちょうどいい。レイさんの衣装がいつも動いて見えるの、そういうことだったんだ。
四人とも、入口が違いますね。頬のやわらかさ、布のしわ、手の重さ、裾の遅れ。同じ作画の話なのに、見ている場所が全部ちがう。
それでいいのさ。美しいものの見つけ方は、人の数だけある。
でも私、今日まで、エンドロールの名前をちゃんと読んだことなかった。字が流れるの、速すぎて。
最後列から見ていると、エンドロールの途中で立つ方と、最後まで座っている方がいらっしゃいます。どちらでもいいんです。座っている方は、たいてい探している名前が一つある。今日の皆さんみたいに。
私は、最初は衣装の担当の名前を探してた。そのうち、隣の行の名前まで覚えた。
一つ覚えると、隣の名前が気になってくる。生地も同じでね、一枚のいい布を知ると、織った工房、糸を染めた人、って、どんどん奥に行きたくなる。
じゃあ私、次は最後まで座る。一つだけ、名前を持って帰る。……メモ、していい?
していい。字は、上映が終わってから書いて。
場内から、次の回の開場を知らせるアナウンスが聞こえた。カグラは胸ポケットの小さな懐中電灯に指を当てて、立ち上がった。
そろそろ戻ります。お話、とても楽しかったです。私、この回、仕事が終わったらもう一回観ます。今度は松原さんの名前が出るところで、ちゃんと息をしてみます。
じゃあ次は、四人で東京ゴッドファーザーズを観ようか。クリスマスの前に、ね。席は、G列のあたりで。
でしたら、私は最後列で。皆さんの頭が四つ残るのを、うしろから見ています。