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二周目

『かぐや姫の物語』二周目は衣を追う

一周目は線の勢いに息をのんで、物語を追うので精一杯だった。二周目に目で追ったのは、竹から届く衣、化粧、機を織る手、そして歌。姫の暮らしは、いつも布と一緒に動いていました。

本文含有直到結局的劇透

範圍映画『かぐや姫の物語』(2013年)の結末まで(畳んだ部分のみ。見出しと地の文には展開を書きません)

這是寫給看完作品、想在二周目看得更有趣的人的文章。中段展開與結局、真相的細節都折疊起來,點擊才會顯示。

適合這樣的人
最後まで観て、しばらく席を立てなかった人へ。二周目は姫の顔ではなく、姫が着ているものと、まとうものを追ってみませんか。
劇透範圍
會提及結局 映画『かぐや姫の物語』(2013年)の結末まで(畳んだ部分のみ。見出しと地の文には展開を書きません)
發言的人
Lucano × Noa
主張的種類: 事實 作品中的觀察 有依據的推測 解讀 喜好
目錄 共 6 節·約 6 分鐘
  1. 一周目の僕は線しか見ていなかった
  2. 観直す前に知っておくと楽しいこと
  3. 竹から届くのは黄金と衣
  4. 媼の手もと
  5. 二周目は歌が聞こえたら
  6. 二周目の僕の見方

これは、映画『かぐや姫の物語』を最後まで観た人のための、二周目の案内です。昔話だから筋は知っている、という人も、まだ観ていないならここで閉じてほしい。この映画の線に初めて出会う時間は、一度しかないから。展開と結末に触れるところは、全部クリックしないと開かない箱に入れました。

一周目の僕は線しか見ていなかった

一周目、僕は線に夢中でした。かすれて、途切れて、気持ちが大きくなると荒くなる線。美大生だった僕は、その線を追いかけるだけで二時間が過ぎてしまった。喜好

何年かして服の仕事をするようになってから観直したら、今度は布ばかりが目に入った。誰が衣を用意して、誰が着せて、誰が脱ぐのか。この映画は、衣の受け渡しで話が進んでいく。二周目は、そこを追いかける旅です。解讀

観直す前に知っておくと楽しいこと

この映画は、企画の立ち上げから完成まで8年をかけて作られました。絵は『ホーホケキョ となりの山田くん』で取り入れられた手法を受け継いでいて、アニメーターが引いた線をそのまま生かす、手描きの風合いのスタイルです。背景も動画と同じようなタッチで描かれているので、画面はまるで「一枚絵が動く」ように見えます。事實[1]

人物造形・作画設計は田辺修さん、美術は男鹿和雄さん。劇中の「わらべ唄」と「天女の歌」は、どちらも高畑勲さんと坂口理子さんが詞を書き、高畑さん自身が曲をつけています。事實[1]

Noa

監督が自分で曲まで作っているのは知らなかった。歌も、線と同じで手で書いたものなんだね。解讀

Lucano

そう。だから二周目は、歌が聞こえたら耳を立てておいて。誰が歌って、誰が聞いているか。それだけ覚えておけばいい。

竹から届くのは黄金と衣

あらすじによると、翁は光る竹から何度も黄金や豪奢な衣を授かります。そのたびに翁は、姫を高貴な姫君として育てよという天の命令だ、と受け取っていきます。事實[1]

一周目の僕は、黄金のほうに目が行っていました。二周目は衣です。翁の考えを決めたのは、お金だけじゃない。立派な衣が先に届いてしまったから、それに見合う暮らしを用意しなければ、と思ってしまう。服を作る側から見ると、これはよくある順番の間違いなんです。着る人より先に服を決めてしまう。解讀

媼の手もと

都に移っても、媼は機織りや野菜作り、炊事をやめません。そのほうが落ち着くから、というのが理由です。事實[1]

二周目は、媼が機に向かう場面を見逃さないで。屋敷には立派な衣があふれているのに、媼だけは自分の手で布を織っている。買った衣と、織る布。同じ屋敷の中に二つの布があることに気づくと、この家族の誰がどちらの側にいるのかが、少しずつ見えてきます。解讀

Noa

原作の『竹取物語』では、媼の出番はほとんどないと聞いたことがある。映画で厚みを持った人なんだね。

ノアの言うとおりで、媼は原作ではほとんど出てこず、描かれている姿の多くは映画のオリジナルなのだそうです。機を織る手も、その映画オリジナルの描写の中にある。僕はそこに、作り手の手の跡を見ます。解讀[1]

中段為止中盤の展開(求婚のあとまで)點擊展開

裳着のとき、姫はお歯黒と引眉という成人貴族の化粧を拒みます。宴を抜け出したあとはそれを受け入れ、公達たちを退散させたあとには、お歯黒をぬぐい去って眉も元に戻す。二周目は、姫の顔を場面ごとに見比べてください。化粧は、顔に着せる衣です。誰の望みを着ているのかが、口もとと眉に出ています。

宴を飛び出した姫は、走りながら装束を次々に脱ぎ捨て、最後は肌着だけの姿で故郷の山まで行き着きます。一周目は線がほどけていく迫力に圧倒されました。二周目は、脱いでいく順番を追ってしまう。重ねられた衣を一枚ずつ振り落として、自分の体に戻っていく。そして雪の中で倒れ、目を覚ますと、姫は屋敷にいて、元どおりの装束を着ている。脱いだはずの衣を、もう一度着せられている。

都の裏庭で、姫は故郷を模した箱庭を作ります。やがて石上中納言が亡くなったと知らされると、姫はそれを「偽物」だと言って壊してしまう。二周目に箱庭の場面が来たら、作っているときの姫の手つきを覚えておいてほしい。手で作ったものを、自分の手で壊す。その重さは、作る人間にはこたえます。

もう一つ、絵巻好きへのおまけ。石作皇子がもう一度屋敷を訪ね、縁側に腰を下ろして話す場面があります。そのポーズのもとになったのは、『源氏物語絵巻』「東屋」に描かれた薫の君の姿だそうです。止めて見比べたくなる一枚です。

二周目は歌が聞こえたら

山で子どもたちと過ごす前半には、歌が聞こえてきます。一周目は、のどかな場面の飾りだと思って聞き流していました。二周目はぜひ、歌が始まったときに姫がどこにいて、誰と一緒かを心に留めておいてください。解讀

結局·真相結末點擊展開

八月十五日、満月の夜。雲に乗った天人たちが迎えにやってきます。羽衣をまとう前に、姫は少しだけ時間をくださいと頼み、泣きながら翁と媼に別れを告げる。その隙をついて、天人の女官が姫に羽衣をかけてしまう。姫は迎えに来た一行に連れられ、去っていきます。地上の記憶を失ったはずなのに、振り向いた姫の目には涙が浮かんでいました。

二周目にここまで来ると、この映画が衣で始まり、衣で終わることがはっきり分かります。竹から届いた豪奢な衣、裳着の装束、走りながら脱ぎ捨てた衣、そして最後の羽衣。姫が自分で選んで着た衣は、ほとんどない。最後の一枚さえ、すきを突いて着せかけられる。服を作る人間として、僕はこの場面がいちばんつらい。着る人の意思を待たずに着せる服は、どんなに美しくても、服じゃなくて覆いなんです。

それでも涙が残る。羽衣でも消せなかったものがある。僕はそこに、媼が織っていた布の側の物語が勝った瞬間を見ます。

その夜、女童は子どもたちの先頭に立って童歌を歌います。雲の上まで連れていかれた姫が我に返ったのは、この歌が届いたからでした。僕の耳には、前半で聞き流していた歌が、ここで姫を呼び戻しているように聞こえました。二周目に前半の歌を覚えておいてほしいと言ったのは、このためです。

ノアに教わったことも書いておきます。原作では最後に、姫が帝を想って和歌と不死の薬を残していきますが、その場面はこの映画にはありません。僕には、姫の最後のまなざしが帝ではなく、地上そのものに向いているように見える。そう思って観ると、振り向く一瞬の重さが変わります。

二周目の僕の見方

Noa

一周目は原作との違いを探していた。二周目は、違いより、映画が何に厚みを持たせたかのほうが気になった。織る人と、歌う子ども。解讀

Lucano

まさに。厚みを持たされたのは、どっちも手で何かを作る人なんだよね。この映画は、手で作ったものの側に、最後まで味方している。……ま、僕がそう観たいだけかもしれないけど。解讀

二周目は媼の機織りの場面で一度止めてみて。屋敷にあふれる衣と、媼の手もとの一枚を見比べるところから。

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講述者 Lucano 熱愛美好事物幕後故事的瀟灑設計師 閱讀更多 Lucano 的文章 →

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