三人がそれぞれ持ってきたのは、「好きなのに歌わない」一曲です。シズカは『おおかみこどもの雨と雪』から「おかあさんの唄」、ルカーノは『かぐや姫の物語』から「いのちの記憶」、ゲンは『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』から「ケンとメリー〜愛と風のように〜」。ここには歌詞を一行も書きません。歌と物語がどう響き合うのかを、それぞれが自分の言葉で話しました。
歌わないと決めた三曲
シズカさん、今日の髪のまとめ方、とても素敵だ! ……さて、本題だ。三人とも、カラオケでは入れない曲を持ってきたんだね。
まあ、ありがとうございます。ええ、私のは歌えないんです。洗濯物を畳みながら聴いていると、手が止まってしまうので。喜好
俺もだ! 歌ったら最後まで声が持たねぇ。港の打ち上げで入れようもんなら、場がしんみりしちまう。喜好
僕は歌えるけど歌わない。アトリエの奥で、ひとりで聴くと決めているんだ。今日はその理由を、三曲分ちゃんと言葉にしてみたい。喜好
監督が詞を書いた母の唄
『おおかみこどもの雨と雪』の主題歌「おかあさんの唄」は、作詞が細田守、作曲が高木正勝、歌がアン・サリー。この映画の監督である細田守が、自分で詞を書いた主題歌です。事實[1]
映画の音楽を手がけたのも、高木正勝です。細田監督がこの作品で掲げたテーマは「親子」。「母と子」というテーマのもとで、母子愛を描いた作品とされています。事實[2]
描かれるのは13年間です。19歳の女子大学生が「おおかみおとこ」と出会い、恋をして、結婚し、子どもを産んで育てる。そして二人の子として生まれた“おおかみこども”が成長し、自立するまでを追っていきます。事實[3]
歌詞を細かく覚えているわけではないんです。聴くたびに手が止まって、言葉を追うより先に胸がいっぱいになるので。ただ、全体としては、題名のとおりお母さんの側から子どもへ向けて歌われる歌だと、私は受け取っています。解讀
映画は、子どもが自立していくまでの13年を描きますよね。そのあとに流れるのが「母の唄」だと、映画が終わったあとも、お母さんの側にだけ時間が続いているように聞こえるんです。子どもを見送ったあとの、台所の静けさのような。解讀
……やべぇ、もう目がうるんでる。 まだ曲を流してもいねぇのに。喜好
職人として気になるのは、映画の音楽と主題歌を同じ作曲家が書いていることだね。映画の中で鳴っていた音の手ざわりのまま、最後の歌に入っていける。服でいえば、同じ反物から表地も裏地も取るようなものだ。有依據的推測
反物のお話はよく分かります。祖母は着物を仕立て直すとき、同じ布を最後まで大事に使い切っていました。喜好
触れた記憶が体に残る歌
『かぐや姫の物語』は、監督が高畑勲、原作が「竹取物語」、音楽が久石譲。主題歌「いのちの記憶」は、二階堂和美が作詞・作曲・歌のすべてを手がけています。事實[4]
筆の線が生きている映画の曲なんだ。絵の線が、描いた人の手の速さごと残っている。……おっと、映画の話になると職人の顔になってしまうね。喜好
歌の中身を僕の言葉で一つにまとめるなら、人に触れた温かさが記憶になって、離れたあとも体に残り続ける歌。僕はそう受け取っている。解讀
竹取物語なら、昔話で筋は知ってる。別れの話だよな。
別れのお話のあとに、別れで終わらない歌が来るんですね。記憶が体に残るなら、それは終わりではない。私は、いつか子どもたちが家を出ていく日のことを、少し考えました。解讀
だから僕は歌わない。この歌を、自分の声で上書きしたくないんだ。……ま、それでもいいさ。いつか誰かが歌うのを聴くのは、きっと悪くない。喜好
1972年の歌が2001年の映画で鳴る
2001年4月21日、劇場映画シリーズの9作目として公開されたのが『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』です。1972年の曲である「ケンとメリー〜愛と風のように〜」が、挿入歌として使われています。歌ったのはバズで、作詞と作曲、編曲は高橋信之が手がけました。事實[5]
この曲はもともと、日産・スカイラインのCMで流す歌として世に出ました。発売は1972年です。CMに出てくるのは、ケンとメリーという役の若い男女です。映像は、スカイラインで季節ごとに見知らぬ土地を訪れる二人の姿を追っていたそうです。事實[9]
俺はな、この曲を船の上で知ったんだ。航海中にビデオでこの映画を観て、知らねぇはずの曲なのに、なんでか懐かしかった。喜好
映画の始まりは、野原一家が「20世紀博」を訪れる場面です。20世紀博というのは20世紀の万博を再現した催しで、大人たちは子どものころを懐かしく思い出しながら、そこを思う存分楽しみます。事實[6]
そこが面白いね。映画の中の大人たちが懐かしむ時代の歌を、いま映画を観る人の多くは、その時代には聴いていない。それでもゲンさんは懐かしかった。歌は、時代の空気ごと持ち運べる箱なんだと思う。解讀
歌の中身は、俺の耳には、二人で遠くへ走っていく歌に聞こえる。……ただ、映画のどの場面で流れたかは、正直、泣いてたせいでうろ覚えだ!解讀
……ゲンさん。うろ覚えのことを、うろ覚えと言えるのは立派です。
中段為止序盤の設定(20世紀博を動かす側の人物)點擊展開
20世紀博を動かしている組織のリーダーは、ケンという名前の、この映画オリジナルの人物です。愛車をとても大事にしています。
題名に同じ名前を持つ歌が、もともと車のCMの歌だったことと並べると、ルカーノには「あの時代への憧れを、車に乗せて走らせている」ように見えるそうです。偶然か狙いかは分かりません。事實[8]
畳んだところは、気になる人だけ開いてほしい。歌の題名と映画の中身が、思わぬところで重なっているんだ。
最後まで歌いきらずに、思い出の部分だけを置いて帰る。……今日の三曲は、どれも全部を言いきらない歌なのかもしれませんね。解讀
歌わずに聴く理由
俺が歌わねぇのは、歌うと自分の思い出に塗り替わっちまうからだ。聴いてるあいだは、映画の家族の顔のままでいられる。喜好
私は、手が止まることを自分に許す時間にしています。洗濯物は、あとで畳めばいいんですから。喜好
僕は、聴くたびに一つだけ、物語の中の着物や布の色を思い出すことにしている。三人とも理由はばらばらだね。それがいい。喜好
好きなのに歌わない歌には、その人が物語から持ち帰ったものが入っている。次に聴くとき、この歌は誰の側から歌われているのかを一度だけ考えてみる。