目錄
四番目は『スパイダーマン:スパイダーバース』。この映画を観ていると、映画館の暗がりのなかで、大きな漫画雑誌を一枚ずつめくっているような気分になります。動いているのに、止めてじっくり読みたい。そんな矛盾したわがままを、まるごと受け止めてくれる作品です。
印刷の手ざわりがする映画
出会ったのは、『リズと青い鳥』で沈黙を眺めるようになったのと同じ、学びを広げていた時期です。静かな映画で余白の味を覚えたばかりの私が、今度は情報がぎっしり詰まった画面に飛びこむことになった。正反対の体験なのに、どちらも「画面をよく見る」ことを楽しくしてくれました。喜好
ソニー・ピクチャーズの公式サイトは、この作品を2018年の映画として紹介しています。そこで触れられているのは、コミックが動き出したかのような映像の表現です。事實[1]
理由その一 網点とずれがそのまま絵になっている
目をこらすと、肌や空の色のなかに、小さな点々や細い斜線が見えます。昔の印刷物で見かけるような網点です。さらに、遠くのものは輪郭の色が少しずれて、二重にぶれたように描かれている。カメラのピントがぼけるかわりに、印刷の版がずれたような見え方になっているんです。作品中的觀察
私はこれに気づいた瞬間、思わず前のめりになりました。ぼかすかわりに、ずらす。映像の約束ごとを、紙の約束ごとに置きかえている。画面全体が「これは絵です」と堂々と名乗っているようで、その潔さが気持ちいいんです。解讀
理由その二 音が文字になって飛んでくる
物がぶつかると、効果音が文字として画面に描かれることがあります。主人公マイルスの頭の中の声が、四角い枠に入った文字で浮かぶ場面もある。耳で聞く音と、目で読む音が、同時に届くんです。作品中的觀察
音が目に見えるというのは、私にとってすごく特別な体験でした。小さいころ、映画の音をまねして遊んでいた私は、音だけで場面を思い出せるのが不思議でしかたなかった。この映画は、その不思議を逆向きにして見せてくれます。場面を見ると、音の形が残る。解讀
文字の形も一つではありません。太くて角ばった文字、ふるえる文字、手描きのような文字。同じ「音」でも、形が違えば聞こえ方まで違う気がします。私は二回目の観賞で、効果音の文字だけを追いかけてみました。物語はもう知っていたのに、まったく別の映画を観ているようでした。解讀
文字になった効果音って、漫画の言葉がそのまま映画に引っ越してきた感じがするね。字幕で観る人と吹き替えで観る人で、その文字の受け取り方も少し違いそう。有依據的推測
ノアに言われて、たしかにと思いました。私は形として見ていた文字を、ノアは「言葉」として見ている。読める文字か、模様として見る文字かで、同じ画面の手ざわりが変わるのかもしれません。
理由その三 人によって絵のルールが違う
この映画には、いろいろなスパイダーマンたちが出てきます。そして彼らは、それぞれ違う絵のルールで描かれている。白と黒だけの人、まるで別の国のアニメから来たような人、昔のカートゥーンのように弾む人。それが同じ一枚の画面に並ぶのに、ちゃんと一つの場面として成り立っている。作品中的觀察
動きのリズムも、人物ごとに少しずつ違って見えます。なめらかに動く人もいれば、カクッ、カクッと区切れて動く人もいる。私はこの「揃っていなさ」に強く惹かれます。きれいに揃えることより、それぞれの線のまま隣に立たせることを選んでいるようで、その選び方がとても好きです。喜好
物語を置いていかない
これだけ画面が楽しいと、物語が置き去りになりそうなものです。実際、私も一回目は絵ばかり見ていて、マイルスが何に迷っているのかを半分くらい聞き流していました。二回目に、彼のヘッドホンから漏れる音楽や、壁に吹きつけるスプレーの色に目を向けたら、彼がどんな人なのかがぐっと近くなった。画面の楽しさと物語が、別々ではなかったんです。喜好
目が疲れそうな人への入口
情報量が多くて疲れそう、という人は、配信で観て、気になったところで一時停止してしまってください。一枚の絵として眺めると、網点やずれの細かさがよくわかります。止めるのは失礼ではありません。この映画は、止めても絵として成り立っています。喜好
もう一つのおすすめは、最初の観賞では一人の人物の「色」だけを追うこと。マイルスの服の色、部屋の色、夜の街の色。全部を拾おうとせず、一色だけ決めると、目がずいぶん楽になります。喜好
ほかの好きな作品と
絵が絵のまま動き出す楽しさという点では『映像研には手を出すな!』と、画面がコマのように分かれる感覚という点では『ピンポン THE ANIMATION』と、色の移り変わりを眺める喜びという点では『GRIS』と、私のなかで手をつないでいます。喜好
持ち帰るしおり:好きな場面で一時停止して、背景の空や肌の色のなかに、小さな点々が隠れていないか探してみる。
