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6選の一本目は『頭文字D』です。……あの、最初に一つだけ言わせてください。この作品の峠のバトルは、物語の中の話です。僕が速さを競うのはサーキットとカートのコースだけで、ふだんの道では法定速度を守っています。そのうえで、この作品のどこが好きなのかを話させてください。
中学生の僕と豆腐屋の配達
出会ったのは中学生のころです。カートの大会で表彰台に立てるようになって、少し調子に乗っていた時期でした。速さって才能なんだろう、と思いかけていたところに、この作品が来ました。喜好
原作は、しげの秀一さんの漫画です。講談社が載せている第1巻の紹介文は、実家が営む豆腐店で配達を手伝っていた拓海のことから書き出されています。事實[1]
同じページの著者紹介には、1995年より『頭文字D』を連載と書かれていて、第1巻の初出は『ヤングマガジン』1995年の第30号から第40号です。事實[1]
豆腐屋の配達です。毎朝、同じ道を、同じ時間に。主人公は自分が特別なことをしているとは思っていない。それがいちばん効いていたんです。速さの正体が、毎日のていねいな積み重ねだった。僕はここで、才能の話だと思っていたものを、練習の話として読み直しました。解讀
好きな理由1:何も起きない朝の場面
派手な勝負の場面より、まだ暗い朝に配達へ出ていく場面が好きです。急いでいない。いつもと同じことを、いつもと同じようにやっている。カートでも、タイヤを磨く、空気圧を測る、コースを歩く、という地味な時間のほうがずっと長いんです。その時間を、物語がちゃんと描いてくれているのがうれしかった。朝の空気の冷たさや、まだ眠っている町の静けさまで、紙の上から伝わってきます。喜好
好きな理由2:手と足のアップ
ハンドルを持つ手、ペダルに置いた足。そこに目が行く場面がたくさんあります。速さは、目に見える車の動きよりも先に、手と足の小さな動きで決まっている。……あ、コーナーの手前で荷重を前に移すと、タイヤが路面をつかんで、そこから向きが変わって、それで――解讀
……あ、すみません。しゃべりすぎました。とにかく、絵がそこを見せてくれるんです。
好きな理由3:ブレーキがていねい
速い人ほど、ブレーキをていねいに扱います。踏む強さ、離す早さ。この作品は、そこから目をそらしません。僕の口ぐせの「速さは、ブレーキの手前で決まる」は、たぶんここから来ています。解讀
僕は時間が空くと、目を閉じてハンドルを握る手つきになって、頭の中のコースを一周します。この作品を読んでからは、その一周を毎日欠かさないようになりました。同じことを毎日やると、ある日、体が先に動くようになる。配達の道と同じです。喜好
師匠、それ俺に最初に言ったやつだろ。「ブレーキは、速く走るためにあります」。……別に、ちゃんと覚えてるわけじゃねぇ。
覚えてくれていて、うれしいです。あと、公道ではいまも法定速度ですよね。
守ってる。師匠との約束だからな。それは契約だろ?
道の上で決めたこと
この作品に夢中になったころ、僕は一つ決めました。速さを競うのはサーキットと物語の中だけ。道では、いちばんていねいに走る。道は、みんなのものですから。峠の場面を観て同じことをやってみたくなる人がいたら、僕ははっきり言います。それは、サーキットでやることです。喜好
乗り手と支える手
この作品で僕が好きなもう一つは、主人公の後ろにいる大人たちです。家の店を切り盛りしている人がいて、まわりで車の話をする仲間たちがいる。毎朝の配達も、主人公がひとりで思いついたものではなく、家の仕事の一部です。速さを支えているのは、本人の腕と、それを黙って見ている人たちの手です。僕もカートを始めたころ、カート屋のおじさんに支えられていたので、こういう大人が画面のすみにいると、つい目で追ってしまいます。解讀
最近は、車が自分で運転する話をよく聞きます。そうなったら、毎朝の積み重ねには意味がなくなるのかな、と考える夜もあります。でも、何度読んでも、この作品の主人公の腕は、道を知っている人の腕なんです。道の形、季節ごとの路面、その日の自分の調子。そういうものを知っている人がハンドルを握ることには、まだ意味が残っている気がします。解讀
苦手そうな人への入口
車の名前や部品の話が多くて、むずかしそうに見えると思います。そこは読み飛ばして大丈夫です。おすすめは、最初の巻の朝の配達と、主人公がふだん何を考えているのか、のところだけを追う読み方です。ぼんやりした高校生の毎日として読むと、車に興味がなくても入れます。
アニメから入るなら、音に注目してください。エンジンの音と、走る場面に重なる音楽の勢いがあって、車に詳しくなくても気持ちが前に出ていきます。ただ、観終わったあとに道へ出るときは、深呼吸を一回。速さは、サーキットに置いてきてください。
ほかの6選とのつながり
カートの原点を描いた『capeta』とは、速さの後ろに毎日の手間がある、というところでつながっています。それから『カーズ』。速さだけを見ていた主人公が、寄り道で大事なものに出会う話です。三つを並べると、僕にとっての「速さ」の形が、だいたい見えると思います。喜好
速さの正体は、毎朝のていねいな積み重ね。峠は物語の中、競うのはサーキットで。