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日常

何も渡さずに隣に座る

劇透範圍 無劇透 『この世界の片隅に』は、広島市江波で育ち、絵を描くのが好きで裁縫は苦手なすずが、18歳で呉の北條家に嫁ぎ、物資の乏しくなる戦時下の暮らしを知恵とユーモアで乗り切っていくという始まりの設定と、作中で北條家の人たちが二河公園へ花見に出かける場面があることまで。戦争の被害の描写、物語の展開と結末には触れません

『この世界の片隅に』の町、広島県呉市へ。年表のノートを三冊持ってきたガクと、ほとんど「……ああ」しか言わないゴウ。初めて二人で歩く軍港の町で、ガクは自分が話しすぎていることに、なかなか気づけない。

適合這樣的人
話しすぎたあとで、相手が黙っていたことに気づく人へ。何かを差し出さないと、そばにいてはいけない気がする人にも。
發言的人
Go × Gaku
聖地巡禮 広島県呉市(JR呉駅から入船山公園と美術館通りを歩き、二河公園まで) 十一月の土曜、朝から午後まで

朝九時。呉駅の改札を出たところで、ガクは鞄の中身をもう一度確かめた。年表のノートが三冊。一冊は明治から終戦まで。一冊は呉の町の移り変わり。もう一冊は、作品の中の暮らしの細かいところを、場面の順に書き出したものだった。

二人で出かけるのは初めてだった。きっかけは先月、メンバーのチャットで「年表に載らない一日を教わった映画」という話題が出たとき、ガクとゴウが同じ題名を挙げたことだった。ゴウはそれ以上何も書かなかったが、ガクが「いつか呉を歩きませんか」と送ると、三十秒で「押忍」と返ってきた。

人の流れの向こうから、角刈りの大きな男が歩いてきた。周りの人が、自然に道をあけている。ゴウだった。ガクの前で止まると、深く頭を下げた。

Go

……ゴウです。よろしくお願いします。

Gaku

ガクです。こちらこそ。……ええと、今日の段取りを、ざっと話してもいいかな。

Go

……ああ。

Gaku

作品のおさらいから。ちょうど十年前に公開された長編アニメ映画で、こうの史代さんの同じ題の漫画が原作。監督と脚本が片渕須直さん、制作はMAPPA。[1]

2016年公開

Gaku

主人公のすずは、広島市の江波で、海苔をすく家に育つ。絵を描くのが好きで、裁縫は苦手。十八歳で縁談が来て、呉の北條家に嫁ぐ。[2]

Gaku

戦争が続いて物が足りなくなり、配給もだんだん細くなる。そんな暮らしを、すずは生まれつきのユーモアと暮らしの知恵でしのいでいく。そうするうちに、北條家にも近所の人たちにも、少しずつ受け入れられていくんだ。……僕が好きなのは、英雄も作戦会議も前に出てこないところなんだ。[2]

ゴウは「……ああ」とうなずいた。ガクはそれを、続けていいという合図だと受け取った。

駅から入船山公園までは、歩いて十五分ほどだった。歩きながら、ガクはノートの一冊目を開いた。

Gaku

この公園の記念館の本館は、もとは呉鎮守府の司令長官の官舎で、明治期の建物なんだ。国の重要文化財。戦後は、しばらく占領軍の司令長官の庁舎になっていた。[4]

Gaku

それで、鎮守府っていうのは、海軍の拠点ごとに置かれた役所みたいなもので、呉の場合は……町内会で言えば、町全体が一つの大きな職場の社宅、みたいな……いや、ちょっと違うな。もう少し正確に言うと……

ガクの話は長くなった。明治の軍港の始まりから、工廠の仕組み、配給の制度へ。ゴウは半歩うしろを歩きながら、ときどき「……ああ」と言った。それ以外は何も言わなかった。

公園の中の、美術館の前を通る坂道に出た。ゆるやかな坂だった。歩道にはレンガの色のタイルが敷かれ、道ばたのところどころに彫刻が立っている。

Gaku

この美術館通りは、戦争の前は、町なかと海軍の工廠や病院を結ぶ道だったんだって。それが一九八〇年代に、散歩のための並木道に作り直された。日本の道百選にも選ばれてる。……同じ道でも、何のための道かは、時代で変わるんだね。[5]

坂の途中で、ガクはようやく息を継いだ。振り返ると、ゴウは道の端に寄って、ベビーカーを押す人に道をゆずっていた。それから、彫刻の一つの前で、少しだけ足を止めた。腕を組んだ人の像だった。

Go

……ガクさん。一つ、聞いていいか。

Gaku

うん、どうぞ。何でも。

Go

その年表に、台所はあるか。

ガクは、ノートを開いたまま止まった。一冊目をめくった。二冊目もめくった。軍港の開庁、工廠の設置、市電の開通。台所は、どこにもなかった。三冊目にだけ、場面の順に、すずの献立が少し書いてあった。

Gaku

……ごめん。またやった。

Go

責めていない。

Go

俺は、あの映画を二度観た。一度目は、息を詰めて観た。二度目は、台所と、絵を描く手を観た。……大きな話は、ガクさんの言うとおりだと思う。だが、俺が今日見たいのは、その隅のほうだ。

Gaku

そうだね。僕があの映画を好きな理由も、本当はそっちだった。大きな歴史の隅で暮らす一人。それなのに、来てみたら、隅に行く前に大きな話ばっかりしてた。

ガクは、ノートの一冊目と二冊目を閉じて、鞄の底にしまった。三冊目だけを、上着のポケットに入れた。

昼は、駅の近くの食堂に入った。ガクは焼き魚の定食を、ゴウは同じものを頼んだ。運ばれてくるまでのあいだ、ガクは三冊目のノートを開いて、すずの台所の場面を、話の順に指でたどった。

Gaku

僕、高校のころ、週末に近所の食堂で皿洗いをしてたんだ。洗い場が止まると、次のお客さんに皿が出ない。世界の仕組みって、自分の立ってるシンクの前にもあるんだって、そこで知った。……すずの台所を見てると、それを思い出す。

Go

……隅にも、持ち場がある。

Gaku

そう、それ。持ち場。……今の、ゴウくんのほうが一言で言えてるな。

定食が来ると、二人とも黙って食べた。食べ終えると、ゴウは自分の盆と、ガクの盆の箸の向きをそろえ、返却口へ二つまとめて運んだ。ガクがお礼を言う前に、もう戻ってきていた。

午後は、二河公園へ歩いた。呉駅から歩いて二十分ほど、二河川が山あいから町なかへ出てきてすぐのところにある公園で、大正五年に開かれたのだという。

Gaku

作中で、北條家の人たちが花見に出かける公園が、ここなんだ。戦前は、呉の桜の名所の一つだったらしい。いまは、桜の名所はもう少し川下のほうに移ってるんだって。[3]

Gaku

……あ、ごめん。今のは短かったよね。

Go

……ちょうどいい。

十一月の公園に、花見の客はいなかった。運動場のほうから、子どもたちの声が聞こえてくる。二人は人の少ない木陰のベンチに座った。そこへ、茶色い縞の猫が一匹、植えこみから出てきた。

ゴウの背中が、わずかにこわばった。しゃがみこみ、上着のポケットに手を入れる。小さな袋が、かさりと鳴った。

Gaku

ゴウくん。それ、猫のおやつ?

Go

……ああ。いつも持っている。たいてい、逃げられる。

Gaku

そうか。……でも、公園の猫には、あげないほうがいいと思う。僕の町内会でも、外の猫の餌やりはいつも話し合いになるんだ。誰かが一度あげると、その場所に猫が集まって、そこで暮らしてる人や、世話を引き受けてる人の手が回らなくなる。かわいいと思う人と、困る人が、同じ道を使ってるから。

ゴウはポケットの中の手を止めた。しばらく猫を見て、それから、袋から手を離した。

Go

……筋が通っている。ここは、この町の人の公園だ。

ゴウはしゃがむのをやめて、ベンチに座り直した。猫のほうは見ないようにして、まっすぐ前を向いた。ガクも、隣で同じようにした。

しばらく、何も起きなかった。風が、木の葉を少し落とした。運動場の声が、遠くなったり近くなったりした。

やがて、ベンチの端に、小さな重みが乗った。猫が、ゴウから人ひとりぶん離れたところに座って、前足をなめはじめていた。ゴウは、動かなかった。息をしているのかどうかも、ガクには分からなかった。

Go

……何も、渡していない。

Gaku

うん。隣に座ってるだけで、来る日もあるんだね。

ガクは、自分の声が少しかすれているのに気づいた。動物の出てくる小さな話には、昔から弱い。いまのこれは物語ではなかったが、たぶん同じ場所に効いていた。

Gaku

すずもさ、最初は何か役に立とうとして、失敗ばっかりするだろう。でも、近所の人に受け入れられていくのは、何かを差し出したからだけじゃない気がする。毎日そこにいて、同じ台所に立って、同じ道を通ったから。……っていうのは、僕の読みだけど。

Go

……居場所は、渡すものではなく、座るものか。

Gaku

今日いちばんの要約だ。ノートに書いていい?

Go

……好きにしろ。

ガクはポケットから三冊目のノートを出して、最後のページに一行だけ書いた。年表ではなかった。日付もなかった。ゴウはそれをのぞきこまなかった。猫は、前足をなめ終えると、ゴウの膝に一度だけ鼻先を近づけて、植えこみのほうへ帰っていった。

ゴウは植えこみのほうを見ていた。ガクは鞄の底から一冊目のノートを出しかけて、やめた。代わりに、「次は、ゴウくんの観たいものを先に聞くよ」と言った。ゴウは少し考えてから、「……猫の出てくる話がいい」と答えた。ガクは、それなら三本知っている、と言いかけて、一本だけにした。翌週、ゴウから感想が届いた。「……筋が通っている」。

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講述者 Go 傾心武士道與職業人信條的強面大學生 閱讀更多 Go 的文章 →

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