十月の日曜、午後四時。タカシの家の縁側には新聞紙が広げられ、湯のみの番茶の横に、青い部品のついた枠が三枚並んでいた。午前中に剪定を済ませた庭の木から、切り口の青い匂いがまだしている。
垣根の向こうで、二輪のエンジンが止まった。土手を一回りしてきたハヤテが、ヘルメットを脇に抱えて、垣根ごしに小さく頭を下げる。
ハヤテくん、お帰りなさい。土手の風は、もう冷たかったでしょう。
はい。手が少ししびれました。……タカシさん、それ、青いですね。
グフというモビルスーツです。主役の側ではなく、攻めてくる側の機体でして。よかったら、見ていきませんか。
ハヤテは垣根の切れ目から庭に入り、縁側の端に腰を下ろした。タカシは台所から客用の茶碗を一つ持ってきて、番茶を注いだ。
切った跡、もう全部ならしてありますね。
関節のところは、色を塗る前に一回仮に組んでおくと、あとで塗装が擦れません。整備でも、締める前に一度合わせてみるので。
なるほど。私はいつも、塗ってから組んで、肘の色をはがしてしまいます。
この機体、作中で数を作るときの色も、ほかの量産型に多い緑ではなく青になっています。この機体に乗っていた隊長が、開戦のころから自分の機体を青く塗っていた人なので、それにちなんだ色だと、私は読んでいます。[1]
その隊長が、ランバ・ラルです。……すみません、この人の話になると、どうも声が大きくなります。
大きくなってました。庭の向こうまで聞こえそうでした。
ハヤテくんは、ガンダムはどのあたりまで観ましたか。
最初の何話かだけです。白い機体が、初めて立ち上がるところまで。
では今日は、この人の最後のほうまで話してしまうと思います。ネタバレになりますが、よろしいですか。
はい。どこで終わるか知ってても、走り方を見るのは楽しいので。
大事なところは畳んで話します。開けるかどうかは、ハヤテくんが決めてください。
まず入口だけ。ラルは敵の軍の大尉で、年は三十五。直属の上官は、ドズル・ザビという中将です。父親は、いまの支配者の一族と対立していたダイクンという人の、古い家臣でした。[1]
私が小学五年生のころに観たときは、三十五歳というのは、ずいぶんな大人に見えました。いまでは私のほうが、十七も年上です。[4]
テレビシリーズは1979年4月〜1980年1月放送、全43話
十七、ですか。……僕とタカシさんの離れ方の、半分くらいです。
ふふ。そう言われると、急に年を取った気がします。
ハモンさんも、あの雷雲と雷を、連邦の見たことのない兵器だと思って怯えていたそうです。[2]
部下が空を見上げて怖がっている。その横で、上に立つ人がどんな顔をしているか。私は初めて観たときから、そこばかり見ていました。
雷を初めて見たら、僕も新兵器だと思います。
カートでいうと、初めての雨の日がそうでした。同じコースなのに、タイヤが急に言うことを聞かなくなって。違う乗り物に乗っているみたいでした。
見たことのないものに出会うと、人は、知っている中でいちばん怖いものの名前で呼んでしまうのかもしれませんね。
その人が、なぜ地球まで降りてきたのか。そこから先は、畳んでおきます。
中段為止中盤の展開(降りてきた理由)點擊展開
タカシ「ラルは、軍の中では出世の道から外された人でした。父親が、いまの支配者の一族とは反対の側についていたからです。本人は、軍人として国の役に立てないことを、ずっと心苦しく思っていた」
タカシ「そこへ上官のドズルから、任務が来ます。白い艦との戦いで戦死した、支配者の一族の四男の仇を討て、と。ラルにとっては、気の進まない仕事でした」
タカシ「それでも引き受ける。自分が出世すれば、部下たちと、内縁の奥さんのハモンさんの暮らしが良くなるからです。誇りのためではなく、預かっている人たちの暮らしのために。子どものころは、そこを格好いいと思っていました。いまは、少し胸が痛みます」[1]
畳んだところ、読みました。……胸が痛むほうを、聞いてもいいですか。
私も会社を始めたころ、気の進まない大きな仕事を、仲間の給料のために引き受けました。決めたのは私一人で、仲間に話したのは、判を押したあとでした。
引き受けた理由は、誰かの暮らしのためでした。ただ、その誰かに、先に聞かなかった。ラルは、自分とは違う目を持つ人を、いつも隣に置いていた人に見えるんです。
ハモンさんのことですか。
ええ。ハモンさんは正式な軍人ではありません。それでも部隊の中では、ラルと同じだけ敬われていて、艦のブリッジでは、いつもラルの隣にいます。[2]
地球に降りた最初の回では、出撃していくラルと、口づけを交わして見送っていました。[2]
隣に、もう一人乗っている感じですね。
ラリーだと、助手席に道を読む人が乗ります。僕はサーキットとカートなので、隣にはいつも誰もいませんけど。
このハモンさんが、私には一番まぶしいところがありまして。ここも畳みます。
中段為止中盤の展開(第16話のあたり)點擊展開
タカシ「補給を頼みに行く場面があります。頼む相手は、マ・クベ。ハモンさんは、その男のずる賢さを見抜いて、それを口にする」
タカシ「私がうらやましいのは、ラルがそういう目を持つ人を、いつも隣に置いていることです。上に立つ人の目は、たいてい自分が見たいものに引っぱられます。そのすぐ横に、別の目がある」
タカシ「人を見る目は、私のいちばんの弱点です。だからこの場面は、何度観ても少し悔しくなります」[2]
ピットで整備をしてくれる人に、そういう人がいます。僕が何も言わなくても、タイヤの減り方を見て、今日は調子が悪いだろうって当てました。
自分では、いつも通りに走っているつもりなのに。
本人より先に、道具のほうが本当のことを言う。……花の茎も、同じです。
タカシはピンセットを置き、湯のみを両手で持った。ハヤテは枠から外れかけた小さな部品を、黙って新聞紙の端に寄せた。
中段為止中盤の展開(第19話)點擊展開
タカシ「アムロが店で食事をとっている。そこへ、ラルが部下を連れて入ってくるんです」
タカシ「ハモンさんは、なぜかこの少年が気に入って、食事を多めに頼んでやる。アムロは、理由がないと言って、それを断ります」
タカシ「ラルのほうも、この少年に好感を持ちはじめる。そこへ、アムロを探しに来た少女のフラウ・ボゥが、外の見張りに捕まる。店の中の空気が、一気に張りつめる」
タカシ「それでもラルは、少年の勇気に敬意を払って、放してやるんです。ここで私は、毎回お茶を置きます」[3]
中段為止中盤の展開(第19話の後半)點擊展開
タカシ「ただ、ラルは甘いだけの人ではありません。放してやった少女のほうには、部下に後をつけさせて、白い艦の居場所をつかみます。敬意を払うことと、自分の仕事をすることを、同じ日のうちに両方やる」
タカシ「そのあとアムロはガンダムに乗り、ラルのグフと一対一でぶつかります。接戦の末に、グフは撃破される。ラル本人は、なんとか脱出します」
タカシ「……いま組んでいるのが、その青い機体です。私は、負けた日の機体のほうを、手元に置いておきたくなるんです」[1]
畳んだところ、二つとも読みました。……少しだけ、僕の話をしてもいいですか。
そうでしたか。
僕、人から何かをもらうのが、昔から苦手です。もらったら、そのぶん、走りが自分のものじゃなくなる気がして。
タカシは湯のみを持ったまま、しばらく動かなかった。
……ハヤテくん。もしかして、いま、私のことを話していますか。
いえ。……少しだけ、です。いつも、ありがとうございます。でも、自分で走りたいので。
ふふ。いまので、何回目になるでしょう。
途中から、数えるのをやめました。
私は何十年も、差し出す側の席からこの話を観ていました。受け取る側の顔を、今日初めて正面から見た気がします。
この人のこと、アムロの側からは、どう見えていたんでしょう。
そこから先は、畳んでおきます。監督の言葉も一緒に。
中段為止中盤の展開(第19話のあと)點擊展開
タカシ「腕前だけではなく、人としての器の大きさを見て、アムロはこの人に勝ちたいと思うようになります」
タカシ「監督の富野さんは後になって、心の中で父親のいなかったアムロにとって、ラルは父親の役だった、という意味のことを語っているそうです」[1]
ただ、畳んだ中の監督の言葉を、私は誰かに当てはめないことにしています。父親の役というのは、なりたい人がなれるものではない気がするので。
タカシさんは、何も言わずに待っていてくれる人です。表彰台に上がっても上がらなくても、帰り道に、お腹は空いていませんかって、同じことを聞くので。
あの声を思い出すと、最後のコーナーで、ラインが一本に決まるんです。
ライン。それはどういう意味ですか。
走る道筋のことです。速く曲がれる線は何本もあるように見えて、本当は一本しかない。迷うと、ブレーキが遅れます。
勝ちたい相手がいると、その一本が早く見える気がします。
勝ちたい相手が、道筋を決めてくれる。おっしゃる通りかもしれません。
そういえば、この人には『青い巨星』という呼び名があります。ところが、テレビの本編には出てこない名前なんです。映画の二作目が公開される前に、宣伝のために後から作られた呼び名だそうで。[1]
本人の知らない名前ですね。
本人は、自分の機体を青く塗っていただけです。昔の武将の異名というのも、たいていは後の世の人が、合戦の話を語り継ぐうちに……
いえ。また、そちらへ行くところでした。
続けても大丈夫です。
続けると、日が暮れてしまいます。この先の回の話は、畳んでおかせてください。私がいちばん長く考えてきたところです。
結局·真相結末(第20話)點擊展開
タカシ「ラルは部下を連れて、白い艦の中へ斬り込みます。そこで、思いもよらない人に出会う。敵の艦にいた少女のセイラは、自分の父が育てた、かつて仕えた家の娘だったんです。戦いのさなかに、自分が戦っていることを忘れてしまうほどの衝撃を受ける」
タカシ「そのあと、ラルは撃たれて傷を負います。押さえられたのは、艦の中の一部だけ。作戦は失敗した、と判断して、部下たちに撤退を命じる。それから、ハモンさんに別れの通信を送ります」
タカシ「順番を見てください。まず部下に、引き上げろと言う。次に、いちばん近い人に別れを言う。自分のことは、最後です。正直に言うと、その命令で全員が帰れたわけではありません。斬り込んだ人たちは、ラルも含めて、みな死ぬか傷つくかしてしまう。あの人はそのあと、自分で最期を選びました」
タカシ「十歳の私は、最期の場面に震えていました。五十を過ぎた私は、その手前の、撤退の命令のところで手が止まります。上に立つ人の最後の仕事は、勝つことではなく、預かった人を帰そうとすることなのだと思います。帰しきれなかったことまで含めて」[1]
……読みました。
ブレーキの位置の話みたいだと思いました。止まる場所を、先に決めておく人。
止まる場所を、先に。……勝つ場所ではなく、止まる場所から決めていた人。私はそれを決めないまま、ずいぶん長く走ってしまいました。
ハモンさんは、そのあと、どうなるんですか。
それは、また今度にさせてください。今日は、ラル大尉の日なので。
日が傾いて、縁側の新聞紙の上に、垣根の影が長く伸びてきた。タカシは肩の丸い部品を枠から切り離し、ハヤテの前にそっと置いた。
やすり、かけてもいいですか。丸いところは、目の細かいほうから順に当てて、最後に指の腹で触って段差を探すと、塗ったあとに光が均一に回るんです。うちのガレージにも、使いかけのが三種類あって……
……あ、すみません。しゃべりすぎました。
いいえ。ハヤテくんの手のほうが、私よりずっと丁寧です。
ハヤテが肩の部品に目の細かいやすりを当てはじめると、タカシはしばらく、その手元だけを見ていた。
あの人が地球に降りてくる回から、今度の金曜に居間の壁へ映しましょうか。……それとも、自分で観ますか。