テーブルの天板がゲーム機になっていたころから続く喫茶店で、竜山はクリームソーダを、タカシはブレンドを頼んだ。タカシの鞄からは、付箋だらけの神話の本がのぞいている。大河ドラマの話をすると、二人はいつも資料と語りで張り合う。今日は、竜山のほうに話したいことがあった。
社長。今日は大河の話はせん。漫画映画の話じゃ。
漫画映画、ですか。竜山さんからアニメのお話とは、珍しいですね。
『わんぱく王子の大蛇退治』。知っとるか。
題名だけは、資料で見たことがあります。観たことはありません。
だろう。俺の周りで観たと言うやつに、六十年会うとらん。
東映の。……そのころの竜山さんは、おいくつでしたか。
二十歳を過ぎたばかりの職人じゃ。子ども向けの漫画映画を、大の男がひとりで観に行った。周りは親子連ればかりでのう。俺だけ、膝を抱えて観とった。
どうしてまた、おひとりで。
看板の絵が、見たことのない絵じゃったからよ。それだけじゃ。
私が子どものころは、夏休みの朝に、テレビで古い漫画映画をやっていました。母と並んで観た覚えがあります。題名は、もう思い出せませんが。
そのどれかが、これじゃったかもしれん。
どんなお話なんでしょう。
主人公はスサノオ。元気がよすぎる男の子でな。母さんがおらんようになって、どうしても会いに行くと言うて、海へ漕ぎ出す。[2]
お供は、ウサギのアカハナと、火の国から加わるタイタン坊。行く先々で、いろんなもんと出くわす。[2]
旅の途中で、仲間が一人ずつ増えていくのですか。最初はウサギと二人で舟を出して、行く先で手を貸してくれる者が加わる。会社も、最初はそういうものでした。
社長は、すぐ会社の話にするのう。
失礼しました。……続けてください。
スサノオと、大蛇……。題のとおり、八岐大蛇の神話が下敷きですね。[1]
そうじゃ。社長の鞄の本にも、書いてあるじゃろう。
ええ。私の読んでいる神話のスサノオは、もっと荒々しい神さまという印象でした。男の子のスサノオ、というのは、それはどういう意味ですか。
ええところに引っかかるのう。荒ぶる神を、母さんを恋しがる子どもとして描いとる。資料の上では乱暴者でも、語りの上では、まだ泣き虫の坊主なんじゃ。
資料と語りで、同じ人物の顔が違う。……私たちの、いつもの言い合いですね。
ははは。そういうことじゃ。
竜山はストローでソーダの泡をつぶしながら、テーブルの上に指で四角い線を描いた。
絵がまた、ええ。丸っこい絵やのうて、平たくて、角ばっとる。色の塗り分けがくっきりしとってな。俺には、型紙で切り抜いたように見えた。[2]
切り抜いたような。……当時としては、新しい絵だったのでしょうか。
新しかった。あの日の帰り道、町の景色まで角ばって見えたわい。
それに、音じゃ。音楽は伊福部昭。腹に来る音じゃった。[2]
伊福部昭さん。……その名前を、アニメの資料で見るとは思いませんでした。
社長も知っとる名前じゃな。音の鳴らし方が、ほかの漫画映画とまるで違うた。その晩は道場で型を打ちながら、頭の中でずっとあの音が鳴っとった。
資料を一つ、出してもよろしいですか。
出しなされ。社長はそれがないと落ち着かんじゃろう。
演出の助手に、高畑勲さんの名前があります。絵を描いた人の中には、大塚康生さんや小田部羊一さんも。[2]
ほう。そりゃあ知らなんだ。俺は看板の絵しか覚えとらん。
映画の賞もいくつか受けていて、アメリカでも題名を変えて公開されたそうです。[1]
第18回毎日映画コンクール大藤信郎賞、ヴェネツィア国際映画祭での受賞。アメリカでは1964年に『The Little Prince and the Eight-Headed Dragon』の題で公開
アメリカでもか。……あの泣き虫の坊主が、海を渡ったか。
竜山さんは、どの場面がいちばんお好きなんですか。
それは言わん。社長は、最後の大蛇の場面から観たがるが、俺は順番どおりがええと思う。坊主が旅のあいだに何を拾うてきたか、それが分からんと、最後が軽うなる。
……おっしゃる通りです。私は、いつも結論の章から読んでしまいますので。
知っとる。大河でも、関ヶ原の回から観とるくせに。
それは、歴史の話になってしまいますね。
ほれ、もうなっとる。
タカシは苦笑して、手帳に題名を書き込んだ。竜山はその字を逆さまからのぞき込んで、一つうなずいた。
どこで観られるでしょう。
円盤が出とるはずじゃ。俺は町の図書館で借りて、久しぶりに観直した。[2]
観直して驚いたのはな、坊主の顔は覚えとったのに、ウサギのことはすっかり忘れとった。あれだけ横におったのに。
記憶と記録が、食い違ったわけですね。
記憶は語りじゃ。社長の資料には負ける。じゃが、語りのほうが、泣ける。
では、私も探してみます。観たら、資料を持ってご報告に上がります。
資料はいらん。坊主の顔を、覚えて帰ってくりゃええ。今度はうちのテレビで、もう一回、一緒に観ようぞ。