不動産屋の窓に、間取り図が何十枚も貼ってある。配達の自転車を止めたルカが、その前で、一枚ずつ指で押さえるようにして眺めていた。
ルカ。また見てる。
ナギ様。……はい、見ております。借りると決めたわけではないのですが、間取り図は、眺めているだけで少し落ち着くのです。
うん。私も、この台所なら何を置こうって考えちゃう。
ガラス戸が開いて、店主が顔を出した。ちょうどルカの隣に、道着の袋を肩にかけた金髪の女の子が立ち止まったところだった。「ご兄妹でお部屋探しですか」。ルカと女の子は、同時に首を横に振った。
違います! ……あ、ルカさん、こんにちは。また言われたね。
エマ様。これで何度目でしょう。
数えてない。髪の色しか合ってないのにね。
そこへ、花の入ったバケツを両手に提げた作業着の男が、向かいの花屋から出てきた。
ルカさん。ナギさんも。……お知り合いでしたか。
タカシさん。配達ですか。
ええ、この店の週末の分です。今日は、これで終わりです。
休憩所の自販機で、ナギは温かいほうじ茶、エマはりんごジュース、タカシは缶の緑茶を買った。ルカはミルクティーを、開けずに両手で包んでいる。
さっきの間取り図の続きなんだけど。もし、作品の中に引っ越せるとしたら、どこにする?
Nice! それ、真剣に考えたい。
真剣に、ですか。では、私は仕事のつもりで考えます。住む場所を選ぶなら、まず水、それから食べもの、仕事、隣の人。この順番です。
私は、まず、今夜眠れる場所でございます。
なるほど。では順番を一つ直しましょう。眠れる場所が、いちばん先です。
タトゥイーン。地面のほとんどが砂漠で、空に太陽が二つある。夕日が二つ沈むのが、幼い私にはうらやましくて。[7]
夕日が二つ! 描きたい。影も二本になるの?
そこまでは、確かめておりません。
水は、どうなさるのでしょう。
そこです。あの星には、空気の中から水を集めて作物を育てる農場があります。大人になって観直したら、そこばかり目に入りました。[8]
城を築く場所は、昔から井戸で決まりました。水を外から運ぶしかない町は、長くはもたない。籠城の記録を読むと――
いまの、何の話?
……水の話です。失礼しました。つまり、うちの会社の花は、あの星では育たないということです。
ふふ。社長の目で見てる。
その星の方々は、どこで眠っていたのでしょう。
……それも、確かめておりません。次に観るときは、寝床を見ておきます。いまの私なら選びませんが、子どもの私があの星を選んだことは、覚えておきたいのです。
私は、よつばと!の町。
最初は、よつばと、とーちゃんが、新しい町に引っ越してくるの。お隣は綾瀬さんの家で、三姉妹が住んでる。[3]
住みたいのは、町っていうより、お隣がいる暮らしのほう。一人の日は好きなんだけど、窓を開けたら、隣から晩ごはんのにおいがしてくるくらいの距離。
それ! 私も引っ越すたびに、最初にお隣さんの顔を覚えてた。
お隣、ですか。私の家の隣にも、高校生の方が住んでいます。庭の花ごしに、ときどき声をかけるくらいですが。
それ、いいお隣さんだと思います。
そうでしょうか。かけすぎていないか、ときどき気になります。
お隣から、晩ごはんのにおい。……私は、においより先に、壁の厚さを考えてしまいます。
ルカは、隣の音が気になるほう?
いえ、自分の音のほうです。夜ふけに本をめくる音が、お隣のご迷惑にならないかと。
ページの音まで? そこまで気をつかう人、初めて見た。
次、私ね。ハウルの動く城!
城を動かしてるのは、暖炉にいる火の悪魔のカルシファー。ソフィーは掃除係になるって言って、そのまま住みついちゃう。[1]
家賃の代わりに、掃除を。……それは、とても誠実な住まい方です。
でしょ? でも私がいちばん欲しいのは、家のほうが動くところ。
子どものころから、親の仕事で国をまたいで引っ越してきたの。荷ほどきして、学校に慣れたころに、また箱詰め。家のほうが歩いてくれたら、窓の外だけ変わって、部屋はずっと同じでいられる。
部屋はずっと同じ、かあ。
住んだ街ごとに、細いネックレスを一本ずつ買ってたの。動く城なら、一本で済むかも。
日本の分は、もう。
……まだ。日本の一本は、まだ買ってないの。
エマはそれだけ言って、りんごジュースの缶を両手で回した。誰も、理由を聞かなかった。
では、私の番ですね。少し長くなりますが、よろしいでしょうか。
うん。待ってる。
牧場物語の、ミネラルタウンです。主人公は幼いころ、両親と訪ねた田舎町で、牧場のおじいさんのところにしばらく泊めていただきます。帰ってからも手紙を続けていたのに、ある日、返事が来なくなる。[5]
『牧場物語 再会のミネラルタウン』は、『牧場物語 ミネラルタウンのなかまたち』を Nintendo Switch 向けに作り直したもの
訪ねてみると、おじいさんはもういらっしゃらず、牧場は荒れたまま。そこで主人公は、その牧場を自分の手で立て直すことにするのです。[6]
仕事と寝床が、一度に見つかる町ですね。
はい。朝は畑の水やり、昼は町の雑貨屋さんへ買いものに歩いて、夜は早めに眠る。荒れた畑を一枚ずつ起こしていくのが、私の性に合うのです。
一枚ずつ。……ルカさんっぽい。メモしたい。
それに、畑なら、土を傷めないやり方を自分で選べますので。
初めの資金は、どうなさるおつもりですか。
……そこは、タカシ様にお任せいたします。
私に任されても、ゲームの中には入れません。
ルカは背筋をすっと伸ばし、唇を結んだ。肩がかすかに揺れている。エマが横から顔をのぞきこんだ。
ルカさん、いま笑ってる?
いえ。少し、姿勢を直しただけでございます。
ナギは、ほうじ茶の缶を膝に置いて、指を一本ずつ折った。水、寝床、お隣さん、家ごと動く城。四つ折っても、同じ作品は一つも出てこなかった。
四つの条件がそろう作品は、まだ見つかりませんね。宿題にしましょうか。
宿題、苦手。でも、これはやる。
私は、こういう宿題なら好き。寝る前に一本ずつ、ここに住めるかなって考えてみる。
解散する前に、ルカはもう一度だけ、不動産屋の窓の前に立った。ナギが隣に並んだ。
どれが気になってたの?
日当たりのよい、小さな台所のある部屋でした。……考えておきます。