窓の外は小雨だった。傘立てには、似たような紺の傘が三本並んでいる。ノアが手帳を開いて、四人の名前の横に、同じ年の数字を書き入れた。誰の傘なのかは、まだ誰も気にしていなかった。窓ガラスを伝う雨のすじを、カグラが少しだけ目で追った。
やっぱり。四人とも、同じ年の生まれ。気づいたら、一回並べてみたくなって。
ほな、みんな同級生やん。給食の献立まで一緒やったかもしれへんで。
ふふ、それが違うの。私だけ三月生まれだから、学年はひとつ上。みんなが小学校に入った春、私はもう二年生。
同じ年に生まれて、一年先輩。なんだか、予告編を先に観ていた人みたいですね。
ほな今日からノア先輩や。ドリンクバー、先輩の分も取ってきましょか。
やめて。部活の一年生みたいな声、出さないで。
野球部仕込みやもん。先輩の前では帽子取って、声は一段大きく。
カオルさん、いま本当に声が一段大きくなったね。
隣の席の方が、ちょっとこちらを見ました。
……すんません。昼でも、ここはお店やったわ。
じゃあ、一人ずつ、いちばん古い一本を出してみる?
私からいいですか。初めて映画館で観たのは、ポケモンの最初の映画です。四歳の夏、家の近くの古い映画館で。[1]
『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』は1998年7月18日公開。同時上映は『ピカチュウのなつやすみ』
お話は、正直ほとんど覚えていないんです。覚えているのは、前の席の子たちの頭が、いっせいに同じほうへ動いたこと。暗くなる直前の、あのざわっとした音も。
四歳で、客席のほう見てたん? もう副支配人やん。
見てましたね。画面より、暗闇のほうが気になる子どもでした。
その映画、私も観たはずなんよ。三つかそこらで、親に抱っこされて。でも覚えてるのは、帰りに買うてもろたソフトクリームが溶けて、手がべたべたになったことだけ。
私は映画館じゃなくて、だいぶあとにテレビで観た気がする。年長のころ、幼稚園でみんなが同じ黄色いのを持ってて、私だけ持ってなくて、ちょっと格好悪い話なんだけど、いい?
どうぞ。
幼稚園で、持ってるふりをした。手のひらに何も乗ってないのに、乗ってるみたいに見せて。誰にもばれなかった。
それは、いい芝居です。客席から見ていたら、私も信じたと思います。
同じころなのに、映画館の暗闇と、ソフトクリームと、見えない黄色いのが並んでる。
どこを覚えてた?って聞くと、人によってこんなに違うんだね。
私は、おジャ魔女どれみ。幼稚園から、小学校の低学年まで、毎週。
うん。終わったのは、小学二年の冬。そのころ、近所の子と魔女見習いごっこをしてたんだけど、私はいつも、呪文を唱える役じゃなくて、それを見てる役だった。
見てる役て。ごっこ遊びに、そんな役あるん?
あったの。誰が言い出したかより、誰が言い出せなかったかを見てる役。……いま思えば、ちょっと変な子でしょう。
客席を見ている四歳と、言い出せない子を見ている小二。同じ年に生まれた二人なんですね。
……そう言われると、少しうれしい。
店員さんがスープを四つ置いていった。カオルは、自分の分より先に、三人の前にスプーンを一本ずつ並べ直した。誰も頼んでいないのに、ナプキンも一枚ずつ添えてある。ノアが、それを見て小さくうなずいた。
うちはな、ケロロ軍曹。小学四年で、少年野球から帰ってきて、泥だらけのまま観てた。
侵略しに来て居候て、いや、なんでやねん。毎週それで笑ってた。
侵略と居候。並べると、言葉のほうがもう面白いね。
せやろ。負けた試合の日もな、あれ観たら晩ごはんまでに機嫌直ってた。笑いって、肩の力抜くんよ。
カオルさんは、負けた日に笑う子だったんだね。
笑わな、次の日マウンド行かれへんもん。……スイさんは、泣く子やったやろ。
泣かない子だった。泣くのは、家に帰ってから。
私も、泣くのは帰り道でした。映画館を出て、家に着くまでの坂道で。
帰り道で泣くて、それ、いつもの決め台詞の元ちゃうん。
ふふ、ばれましたか。あの坂道があったから、帰り道まで映画だと思うようになったんです。
ノアさんの一本は?
私はね、同じ話を二回観た一本。
1作目のテレビアニメは2003年10月から2004年10月、2作目は2009年4月から2010年7月まで放送
同じ話を二回? それ、再放送とちゃうの?
違うの。一回目は、途中からアニメだけのお話になっていく作り。二回目は、原作の漫画の話にそって作り直したもの。同じ兄弟なのに、歩く道が違う。[8]
小学生の私は一回目が全部だと思ってた。高校の私は、二回目を観て、知ってるはずの兄弟が知らない道を歩いてて、一ページ分、違いを書き出した。どっちが正しい、じゃなくて。
わかります。同じ作品を、別の音、別の席でもう一回観ると、別の映画に見える日があるんです。
同じ兄弟でも、観ている自分の年のほうが違ったんだね。
ドリンクバーのグラスが、四つとも二杯目になっていた。ノアは四人の名前の横に、作品の名前をひとつずつ書き足した。四つとも、少しも重なっていない。
同じ年に生まれても、ひとりずつ、別の窓から同じ時代を見てた感じがする。
窓て。スイさん、言うことがいちいちきれいやな。うちなんか、泥だらけの窓やで。
同い年やのに、誰ともかぶってへんの、おもろいな。
近いね。でも、同じ年を生きてたのは本当。覚えてる場所が違うだけで。
今度、四人で同じ一本を観ませんか。最後列で、端から四つ。古い作品の特別な上映でも、新作でもかまいません。終わったあと、誰がどこを覚えているか、答え合わせをするんです。
ええな、それ。ほな、ポップコーンは私が持つわ。こぼさんように。
少し考えてから返すね。……行く。
会計をすませて外に出ると、雨はまだ細く降っていた。ノアは手帳を鞄にしまう前に、四つの作品名の下に、もう一行だけ書き足した。「同じ年。違う窓」。四人はそれぞれ傘立てから傘を抜いた。スイが紺の傘を開きかけて、手を止めた。
あ。それ、たぶん私のです。
早速かぶってるやん。
……ここは、かぶったね。