公民館のロビーには、味噌と焼きそばのにおいが混ざっていた。豚汁の大鍋の前では、柿色のエプロンのシズカがお玉を持ち、ホマレが割り箸の束を運び、イトは紙コップを十個ずつ数えて並べている。
掲示板には、中学の文化祭のポスターが貼ってあった。夕方の空の色が、上から下へ少しずつ変わっていく一枚。その前で、黒い上着にカメラの鞄を下げた、髪の長い人が足を止めていた。顔を近づけたり離したりして、紙の端から端まで、ずいぶん長く見ている。
それ、姉ちゃんのクラスのポスター。AIで作ったやつ!
それ、今言わなくていいやつ。
空、四段で色が切り替わってる。いちばん下の橙、境目が見えない。きれい。
ありがとうございます。作ったの、私じゃないですけど。
よろしければ、お豚汁をあちらの席でどうぞ。子どもたちが騒がしくて、すみません。
いえ。一杯ください。……レイです。友だちが着替えてるあいだ、待ってるだけなので。
長机の端に、四人の紙コップが並んだ。ホマレはレイの鞄のカメラを、さっきからちらちら見ている。
レイさん、カメラの人? なに撮るの?
衣装。人は撮らない。今日は海の前で、友だちの衣装を撮りに来た。
人じゃなくて服だけ? それ、ほんと?
ほんと。縫い目のほうが、顔より正直だから。
ふうん。おれね、分かんないこと、うちのタブレットのAIに聞くんだ。で、父ちゃんにも聞く。
二回聞くの、正しい。私、仕事でAIに指示を書いてる。作る側の仕事。
作る人! じゃあさ、AIってうそつく?
つく。本人は、うそのつもりじゃない。だから、出てきたものは私が確かめる。
父ちゃんもつくよ。うそのとき、父ちゃん、声でかい。
……まあ。それは、おうちの中だけのお話にしておきましょうね。
でもさ、AIってドラえもんみたいじゃん。何聞いても、すぐ出てくる。
未来から来たネコ型ロボットでしたね。上の子たちのころから、うちでもずっと観ています。[1]
藤子・F・不二雄の漫画。22世紀から来たネコ型ロボットのドラえもんが、勉強もスポーツも苦手な小学生・野比のび太を助ける
でも、道具を使いすぎると、のび太、だいたいひどい目にあってない?
あってる。ポケットから出した道具に調子に乗って、しっぺ返しが来る話が多い。……ここからは、私の見方。ドラえもんの仕事は、道具を出すことより、出したあとも隣にいることに見える。[1]
一話完結の話の多くは、ひみつ道具でいったん困りごとが片づくが、使い続けたせいで、しっぺ返しを受ける形
隣にいる……。タブレットは、隣にいないもんね。充電かごに入ってる。
イトが小さく笑いかけて、紙コップで口元を隠した。レイはそれを見ないふりをして、掲示板のほうへ顎を向けた。
あのポスター。あなたの案も、あった?
ありました。手で描いたの。いまは、美術部のロッカーに入ってます。
AIの案、ほんとにきれいだったんです。絵が苦手な子も、あれなら自分も案を出せるって言ってた。それはいいことだと思う。作った子も、色を一個ずつ選んでたし。
でも私、描いてて迷ってる時間が好きで。どの花を後ろに置くか、線をどっちに曲げるか。AIの絵は、迷う前のコマがなくて、いきなり最後のコマから始まってる感じがする。……見てた? って、聞けない感じ。
迷う前のコマ。……分かる。
カードを集めに行く主人公が着るのは、知世が作った衣装。あれがAIで出てきても、たぶんきれい。でも、小さい私が見てたのは服より、作ってる子の顔だった。[3]
作ってる子の顔。そこ、私も見ると思う。
私、家の四コマを描いてるんです。それは、たぶんAIには頼まない。父ちゃんの泣き顔、毎回ちょっとずつ違うから。
父ちゃん、四コマだと毎回泣いてるよ。ほんとは泣いてない日も。
泣いていない日も、泣きそうな顔はしていますからね。よく見ているんです、この子は。
毎回ちがう泣き顔。それは、どこにも記録が残らない。描いた人のノートにしか。
おれもAIに頼んだことある。ベイブレードの話つくってって。すぐ出てきた。おれが勝つ話。
どうだった。
つまんなかった。おれ、一回も負けないんだもん。負けないと、もう一回!って言えないじゃん。
……それ、メモしていい。負けない話は、もう一回がない。
でも、宿題の分かんないとこは、AIがいい。父ちゃんに聞くと、すぐ海の話になるから。
それはそう。
私なら、答えより途中を見る。間違いがいちばん混ざりやすいのは、途中だから。
途中……。丸つけのときの姉ちゃんと、同じこと言う。
言ってない。言ったかも。
私は、どうしても台所の目で見てしまうんです。私の好きな漫画に、料理のできないお父さんが、小さな娘さんのためにごはんを作りはじめるお話があります。[5]
雨隠ギドの漫画『甘々と稲妻』。『good!アフタヌーン』で2013年から2018年まで連載。主人公の高校教師・犬塚公平は、ひとりで幼い娘のつむぎを育てていて、教え子の飯田小鳥と料理をするようになる
お店のお弁当でも、おなかはふくれます。それでも、お父さんが自分で作りはじめてから、娘さんの顔が変わっていく。手間って、作った人の顔ごと届くものなのかしらと……。
母ちゃん、それだと、AIの案が負けたみたいになる。いい話にしないで。
あら、そうですね。選んだ人の顔があるなら、同じことでした。いまのは、取り消します。
私も、手順書の下書きはAIに頼みます。速いし、私より正確な夜もある。でも、報告の最後の一行だけは、消して自分で書く。
なんで?
……そこは、仕事じゃないから。うまく説明できない。
あと一つだけ。AIで作った、って書いてあれば、私は気にしない。書いてないのに、手で描いたって言うのは違う。作り方を隠すのと、作り方を選ぶのは、分けて考えたい。
黙って手柄にするのは、筋が通りません。そこは、私も同じです。
レイさんは、AI、好き? きらい?
両方。使うところと、使わないところがある。答え、二つ書いといて。
ノートに書く! 父ちゃんのとこの隣に。
レイの鞄の中で電話が震えた。着替え終わった、の一言だけらしい。レイは紙コップを捨てに行き、戻ってきて、掲示板のポスターをもう一度だけ見た。
ごちそうさまでした。……あなたの案も、いつか見たい。ロッカーから出たら。
お気をつけて。海の風は、午後から冷えますから。
レイが出ていくと、大鍋の湯気がまたロビーに広がった。シズカはお玉を持ち直し、ホマレはノートを取りに家へ走ろうとして、割り箸の束を思い出して戻ってきた。
さあ、お昼にしましょう。売り切れる前に、あなたたちの分もよそっておきますからね。
……来週、ロッカーから出してくる。私の案。四コマのノートに貼っとく。