木曜の夜、駅前の喫茶店。方眼ノートを閉じたレンが、ふと聞きました。「ユウリくんは、最初から顔を二つ持って暮らしてたの?」。返ってきたのは、大道芸の教室をのぞく少し前、大学院の冬の話でした。
補題の中の補題
休日の顔ができたのは、いつごろ?
大学院の途中からです。その少し前の冬、僕はたぶん、いちばん暗い所にいました。
研究で?
はい。ある証明が、どうしても閉じませんでした。足りない所を埋めるために小さな補題を立てる。その補題を示すために、また別の補題を立てる。気がつくと、ノートの上で五段ほど下まで降りていました。
下まで降りると、上で何をしてたか、忘れる。
まさにそれです。いま書いている式が何のためのものか、分からなくなる。研究室の窓の外が暗くなって、また白んでくる。そのあいだ、同じ段で同じ式を書き直していました。指導の先生にも、研究室の人たちにも、聞かれれば「順調です」と答えていた。分からないと口にしたら、積んできた段が全部崩れる気がしたのです。……崩れたほうがよかった段も、あったのですが。
それは、どれくらい続いた?
ひと冬です。秋の終わりに取りかかった証明が、年が明けても閉じなかった。年末も年始も、守衛室へ研究室の鍵を借りに行っていました。帰り道に見上げる星の並びまで、式の記号に見えてくるような冬でした。
終電を逃した研究室で
そのころは、何も観ていませんでした。最後に声を出して笑ったのがいつか、思い出せないくらいで。冬の研究室は夜遅くに暖房が止まるので、コートを着たまま、自販機の缶のお茶で手を温めながら式を書いていました。ある晩、終電を逃して研究室に残ったとき、気晴らしにノートパソコンで映画を一本だけ流しました。中学生のころ劇場で観た『インセプション』です。Fact[2]
2010年の映画。脚本・監督はクリストファー・ノーラン
夢の中に、また夢を重ねる映画だ。
主人公は、眠っている人の夢に忍び込んで秘密を抜き取る仕事をしています。その彼が反対に、ある考えを相手の心に植え付ける仕事を引き受ける。そこから物語が動きます。Fact[1]
中学生の僕は、筋を追うので精いっぱいでした。ところがあの晩は、目に入ってくるものがまるで違いました。
何が違って見えた?
一度目は、仕掛けの見事さに見とれる映画でした。あの晩は、登場人物たちが深く降りる前に、どうやって戻ってくるかを先に決めていることばかりが気になった。僕の補題には、戻り方がどこにも書いてありませんでした。Interpretation
自分では起きられない
作中では、眠っている人を夢から目覚めさせるのに「キック」と呼ばれる衝撃を使います。仲間が深い段へ降りていくとき、上の段にも一人が残って、その合図を受け持つ。Fact[2]
中で考えて出てくるんじゃなくて、外から起こされる。Observation from the work
そこでした。夢の中の人は、どれほど頭を使っても、それだけでは上の段へ戻れない。僕はそれまで、もっと考えれば出られると信じていました。補題をもう一つ立てれば、もう一晩粘れば、と。けれど、あの映画の決まりでは、深く降りた人を起こすのは中の理屈ではなく、外から届く揺れです。画面の前で、僕にはキックが要る、と声に出していました。Interpretation
声に出した。夜中の研究室で。
誰もいない時間でしたから。……たぶん、誰も。
もう一つ目が止まったのは、建築を学ぶ学生が誘われて、夢の中の街を設計する役を任される所です。Fact[2]
中学生のときは、腕の立つ大人たちばかり見ていました。院生になって観ると、目が行くのはその学生のほうでした。分からないことを分からないまま尋ねて、手を動かしながら覚えていく。僕は誰かに習うことを、いつのまにかやめていた。Interpretation
……そうか。ユウリくんは、教わる側に戻りたかったのかな。Grounded inference
レンさんに言われると、そうだった気がしてきます。
駅の反対側の掲示板
それで、キックは見つかった?
探しに出ました。次の土曜、研究室へは行かずに、駅の反対側へ歩いてみた。数学と関係のない場所なら、どこでもよかった。改札を出て、いつもと逆の出口へ。商店街を抜けた先の古い区の施設の掲示板に、大道芸の教室の貼り紙がありました。色あせた紙に、トランプとボールの絵が手描きで添えてあって、その絵だけが妙に楽しそうだった。気分転換のつもりで、のぞくことにしたのです。
そこで、師匠に会う。
ええ。最初の日に渡されたのは、布のボールを三つだけでした。投げて、落として、拾って、また投げる。落とすたびに、体がびくっとする。段の底で固まっていた頭が、その揺れで少しずつ浮いてくるのが分かりました。
ボールが落ちる音が、合図だった。Grounded inference
そう呼んでいいのなら。
教室の人たちは、ユウリくんが数学をやってるって知ってたの?
誰も知りませんでした。聞かれもしなかった。そこでの僕は、ボールをよく落とす、ただの初心者です。落としたら「落としました」と言って拾う。それだけのことが、研究室では一度もできていなかった。
落としたって言える場所が、先にできた。
ええ。土曜ごとに何十回も「落としました」と言っているうちに、ある月曜、研究室で先生に「ここが分かりません」と一度だけ言えました。先生は少し驚いた顔をして、それから黒板の前で、僕と一緒に一段ずつ上まで戻ってくれた。
……その先生も、上の段に残ってた人だね。Grounded inference
言われてみれば。下にいた僕が、気づいていなかっただけで。
証明は、すぐには閉じませんでした。ただ、自分がいまどの段にいるのかは見失わなくなった。土曜にボールを落として、月曜に式の前に座る。その往復が、僕の上の段と下の段になりました。
手の甲の小さな印
その往復は、いまも続いてる?
続いています。休日の道化は、平日の僕にとって、上の段に残ってくれている人のようなものです。それと、学会で発表する前には、手の甲に小さなダイヤの印を描いてから出ていきます。メイクで頬に描くのと同じ形を、誰にも見えない所に。
自分にだけ届く合図だね。
はい。どれだけ深く降りても、これを見れば上へ戻る道があると思い出せる。それだけの印です。
休日は、同じ形を頬に描くんだよね。
ええ。休日は大きく、頬に。平日は小さく、手の甲に。同じ形なのに、描く場所で役目が入れ替わる。順番と置き場所にこだわるのは、たぶん数学の癖です。
僕は止まったとき、ノートの順番を並べ直すことしかしてこなかった。外から揺らしてもらうって考えは、持ってなかった。
並べ直すのも、立派な揺らし方だと思います。……レンさん、今度僕が黙りこんでいたら、肩を一回だけたたいてもらえますか。
一回で足りる?
足ります。強くなくていいので。
考えこむほど深みにはまる夜は、もう一段考えるより、外から一度だけ揺らしてもらう。僕の場合、それは布のボールが床に落ちる音でした。