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『千と千尋の神隠し』を、もう一度観ました。今回は、物語の筋はもう知っている前提で、ひとつだけ決めて観ることにしました。出てくる「名前」を数える。誰がどんな名前で呼ばれて、誰が名前を失って、誰が名前を持たないのか。それだけで、知っているはずの映画が、言葉と翻訳の映画に見えてきました。展開と結末にふれるところは畳んであります。まだ観ていない人は、そこは開かないでください。
名前が多い映画だと気づいた日
スタジオジブリの作品ページによると、公開は2001年7月20日。原作・脚本・監督は宮﨑駿さん、音楽は久石譲さん、主題歌は木村弓さん。上映時間は約125分です。Fact[1]
題名の中に名前が二つある映画です。一度目に観たとき、私はそれを「主人公の名前が入った題名」くらいにしか思っていませんでした。二度目に観て、これは名前そのものの物語なのだとやっと気づいた。題名に二つの名前が並んでいるのは、同じ一人が二つの名前で生きる時間があるからです。Interpretation
それに気づいてから数え始めると、この映画には本当に名前が多い。働く人たちは呼び名で呼ばれ、神さまたちは姿や役目で呼ばれ、主人公は途中から別の名前で呼ばれる。そして、最後まで名前らしい名前を持たない者もいる。私は翻訳や言葉のことを考えるのが好きなので、二度目はほとんど、名前の帳簿をつけるように観ました。Observation from the work
ノアが名前を数えるなら、私は音を数えてみる。同じ映画を二人で観て、あとで突き合わせよう。
いいね。たぶん、数えている場面がぜんぜん違う。それが楽しみ。
後部座席のカード
冒頭、主人公は引っ越し先へ向かう車の後部座席で、すねて寝転んでいます。手には花束と、友だちからのカード。カードには彼女の名前が書いてある。一度目は、引っ越しのさみしさを伝える小道具だと思って観ていました。Observation from the work
二度目は、このカードから目が離せませんでした。この映画で最初に画面にはっきり出てくる「名前」は、ここなんです。しかも、本人が名乗るのではなく、別れていく友だちの手で書かれた名前。誰かが自分を呼んでくれた証拠が、紙一枚の形で、ずっとポケットの近くにある。Interpretation
Up to midway中盤の展開Tap to open
このカードは、あとでもう一度出てきます。湯屋で働き始めた翌朝、ハクが彼女に、もとの服を返す。そのポケットからカードが出てきて、彼女は自分の名前を読み、それが自分の名前だったことを思い出す。もう忘れかけていた。たった一晩で。一度目の私は、ここを「危なかったね」という場面として観ていました。二度目は、冒頭の後部座席の不機嫌な顔と、この場面の顔を並べたくなります。あのとき大事にしていなかった紙一枚が、自分をこの世界につなぎとめる錨になる。私は旅先で、もらった手紙やメモを捨てられなくなったのですが、たぶんこの場面のせいだと思います。Observation from the work
境目では景色が二度変わる
一度目は「知らない場所に入っていく感じ」に夢中で、行きと帰りの景色を比べる余裕がありませんでした。二度目は、トンネルを抜けたあとに家族が歩いていく草原や、乾いた石の川原が、このあとどう見えてくるかを知っている。だから行きの景色を、あとで答え合わせするつもりで目に焼きつけます。Observation from the work
Up to midway前半の展開Tap to open
行きに渡った乾いた川原は、日が暮れると水で満たされて、帰り道をふさぎます。昼に歩いて渡れたものが、夜には渡れない。ここで主人公は、自分の体が透けていくのに気づく。ハクが、この世界のものを口にしないと消えてしまう、と言って小さなものを食べさせる。二度目は、この「食べる」と、さっき両親が勝手に食べた屋台の料理が、対になっているのが見えます。許しなく食べた両親は姿を変えられ、差し出されたものを食べた彼女は、この世界にとどまれる。同じ「食べる」なのに、誰から、どう受け取ったかで意味が反対になるんです。Observation from the work
お金という共通語が通じない町
一度目、私は両親の場面を「子どもに注意しないだめな大人」としてしか観ていませんでした。二度目は、両親が何を当たり前だと思っているのかが気になりました。Preference
Up to midway序盤の展開Tap to open
誰もいない屋台に、湯気の立つ料理が並んでいる。父親は、あとで払えばいい、お金ならある、という調子で食べ始め、母親も続く。二度目に観ると、この「お金なら払える」という自信が、この町ではまったく通じないことが分かります。この町で物事を動かすのは、契約と、働くことと、名前です。お金は、どこへ行っても通じる共通語だと思われがちです。私も旅先で、言葉が通じなくてもお金があればなんとかなる、と思ったことがあります。でもこの町では、その共通語がいちばん役に立たない。両親は悪い人というより、自分の言葉が通じない場所があると想像できなかった人たちなのだと、二度目の私は受け取りました。旅の最初の失敗として、少しだけ身に覚えがあります。Interpretation
ひとつだけ覚えた言葉
湯屋で主人公が何度もくり返す言葉があります。会う人ごとに、同じ一言を頼みこむ。一度目は、ただ必死な子どもの姿として観ていました。Observation from the work
Up to midway前半の展開Tap to open
ハクに教えられたとおり、主人公は「ここで働かせてください」と言い続けます。釜爺に断られても、湯婆婆に脅されても、その一言だけを手放さない。二度目に観ると、これは知らない国でまず覚える一言に似ていると思いました。私は旅先で、その土地の言葉を何も話せないときでも、「ありがとう」と「すみません」と、もうひとつ自分の用件を言う一文だけは覚えていくようにしています。文法も発音もあやしいまま、その一文をくり返す。通じたときの、相手の顔が少しゆるむ瞬間。主人公の一言も、きれいな交渉ではなく、知らない場所で自分の居場所を開けるための、たったひとつの合言葉でした。そしてこの合言葉は、契約という形で、彼女から名前の一部を取っていく入口にもなる。働くことと名前を差し出すことが、ここでは同じ扉の表と裏になっています。Observation from the work
名前を取られる場面と翻訳
この映画でいちばん有名な場面のひとつが、湯屋の主人と契約を交わすところです。一度目に観たとき、私はただ「怖い」と思った。二度目は、翻訳のことを考えずにはいられませんでした。Preference
Up to midway前半の展開(続き)Tap to open
主人公が契約書に書いた名前から、湯婆婆が文字を指でつまみ取り、残った一文字だけを新しい名前にする。こうして彼女は「千」になる。この仕掛けは、漢字が一字ずつ意味と形を持っていることに、まるごと寄りかかっています。四文字の名前の、どの字が抜かれてどの字が残ったかが、目で見える。さらに残った一字は、読み方まで変わってしまう。私は外国語の授業で、同じ文に訳し方がいくつもあると知って驚いた子どもでしたが、この場面は、そのいくつもの訳し方のどれを選んでも、何かが落ちてしまう種類の場面だと思います。文字を持ち上げて消すという見せ方と、名前が短くなって読みが変わるという意味を、両方とも別の言葉で運ぶのは、きっととても難しい。Interpretation
ここは慎重に書いておきたいのですが、私はこの場面が各国の字幕や吹き替えでどう訳されたかを、確かめられるところまで調べきれていません。だから「この国ではこう訳された」とは書きません。言葉の違う友人にこの場面のことを聞いたとき、その人は「名前が短くされた」ことは覚えていたけれど、「字がつまみ取られた」ことは覚えていなかった。私はその違いだけで、しばらく考え込みました。同じ場面を観て、覚えているところが違う。それは訳のせいかもしれないし、その人の目の向け方のせいかもしれない。どちらか決めないまま、置いておきたいと思います。Preference
私はあの場面、音のほうを覚えてる。紙の上の文字が浮き上がるとき、部屋がすっと静かになる感じ。名前が抜けていく音って、こういう音なんだって思った。Preference
そこ、私は文字ばかり見てて聞いてなかった。名前が取られる瞬間を、目で読む人と耳で聞く人がいるんだね。
見た目で呼ばれた神さま
Up to midway中盤の展開Tap to open
ひどい匂いの客がやってきて、湯屋じゅうが大騒ぎになる場面があります。湯屋の人たちは、その姿を見て、汚れた神だと決めつけて呼ぶ。主人公が湯の中で体に刺さったものを引き抜くと、捨てられた自転車やがらくたがどっと流れ出て、正体は名のある川の主だったと分かる。二度目に名前を数えながら観ると、この場面は「見た目で呼ぶこと」と「本当の名」のずれを、はじめてはっきり見せる場面に見えます。そして主人公がここで受け取った団子が、のちに二人の相手を救うことになる。Interpretation
あの場面、途中で急に水の音が澄むんだよね。重たい音から、軽い音に。私は名前より先に、音で何かが変わったのを感じてた。Preference
役目がそのまま名前になる人たち
湯屋で働く人たちの呼び名にも、二度目は耳が向きました。ボイラー室で釜を焚く老人は「釜爺」。役目と年格好が、そのまま呼び名になっている。小さな黒いすすの粒たちも、すすの姿で呼ばれる。ここでは多くの者が、自分の名前ではなく、していることや見た目で呼ばれて暮らしています。Observation from the work
私はこれを、旅先の宿で働く人たちを「フロントの人」「朝食の係の人」と心の中で呼んでしまう自分と重ねて、少し反省しました。役目で呼ぶのは便利です。でも、その人にも、ここに来る前の名前がある。この映画を名前の帳簿で観ると、役目の呼び名の裏にある、まだ呼ばれていない名前の多さに気づかされます。Interpretation
名前を持たない者
名前を数えていて、いちばん気になったのは、名前を持たない者のことです。湯屋にふらりと入ってくる、黒い影のような者。周りの人たちは、その姿の特徴で呼ぶしかない。本人は、ほとんど言葉を話しません。Observation from the work
Up to midway中盤の展開Tap to open
カオナシは、主人公が雨の日に開けておいた戸から入ってきます。そして、湯屋の人たちが欲しがるもの(金)を出して見せ、そのたびに相手の声や欲しがり方を取り込んで、どんどん大きくなる。二度目に観ると、この者が自分の言葉を持っていないことが、すべての原因に見えます。誰かの声を借りないと話せない。誰かの欲しいものを差し出さないと近づけない。主人公だけが金を受け取らず、川の神からもらった団子を分けて、彼が飲み込んだものを吐き出させる。そのあと、カオナシはおとなしく彼女の後をついていく。名前も言葉も持たない者が、受け取ってもらえる場所を探していたのだと、私は受け取りました。私は翻訳のことをよく考えるので、この者が他人の声でしか話せないところに、どうしても「訳された言葉だけで暮らす人」の心細さを重ねてしまいます。Interpretation
カオナシの場面、二度目に観ると、湯屋のにぎやかな音がどんどん大きくなっていくのが怖かった。宴会の声、走る足音、器の音。音が増えるほど、カオナシの声だけが聞こえなくなる。Observation from the work
言葉を持たない者のまわりで、ほかの全員がしゃべり続けている。たしかに、それはそういう音の設計なのかもしれない。Grounded inference
電車の時間
後半、主人公は電車に乗って遠くへ出かけます。二度目に観ていちばん長く感じたのは、この電車の時間でした。一度目は、早く次の場面に行ってほしいと思っていたのに。Preference
Up to midway後半の展開Tap to open
釜爺は、昔の切符を長いあいだ取っておいた、と言って彼女に渡します。行きの切符です。昔は帰りの電車もあったが、いまは行きだけだ、と。電車の中には、影のように輪郭の薄い乗客たちが座っていて、途中の駅で静かに降りていく。主人公の隣には、カオナシ。誰も大きな声を出さない。私はこの場面を、旅先の夜行列車で、言葉の分からない国の駅名を読みながら眠らずにいた時間と重ねてしまいます。行き先の名前だけが頼りで、帰り方はまだ分からない。そのときの心細さと、少しの自由。Observation from the work
あの電車、台詞がほとんどない代わりに、走る音と音楽がずっと寄り添ってるんだよね。私は二度目、目を閉じて聞いてた。窓の外が水だって、音だけで分かる。Preference
作品ページにあるとおり音楽は久石譲さん。イロハに言われて、私も二度目は電車の場面だけ目を閉じてみました。景色を見ていたときには気づかなかった、車輪の音の間隔が聞こえてきます。言葉の映画として観ていた私に、言葉のない時間の長さを教えてくれたのは、この数分でした。Preference[1]
Ending and reveals終盤の展開Tap to open
電車の先で会う銭婆は、主人公を本当の名前で呼びます。いい名前だから大事にしなさい、という意味のことを言って。湯屋では誰も呼ばなかった名前を、旅の終わりに近い場所で、はじめて大人が呼んでくれる。そして銭婆は、一度あったことは忘れないものだ、思い出せないだけで、という意味のことも言います。二度目に観ると、この言葉が、このあとのハクの場面の鍵を先に渡しているのが分かります。忘れたのではなく、思い出せないだけ。名前も、記憶も、呼んでくれる誰かがいれば戻ってくる。翻訳のことを考える私にとって、この言葉は少し救いでした。訳しきれずに落ちたものも、消えたのではなく、まだどこかにある。別の誰かが、別の言葉で、いつか拾ってくれるかもしれない。Observation from the work
主人公を助けてくれる少年
主人公を助けてくれる少年、ハク。彼は最初から主人公の本当の名前を知っています。一度目は、この不思議を「そういう人なんだ」で流していました。二度目は、彼の一つひとつの台詞の聞こえ方が変わります。Observation from the work
Ending and reveals結末と正体Tap to open
ハクは途中で、自分の本当の名前は思い出せない、と打ち明けます。ハクの正体は、川の神です。主人公が小さかったころ、川に落とした靴を拾おうとして水に落ちたとき、浅いところへ運んでくれた川。その川は、いまは埋め立てられて、建物が建っている。だから帰る場所がない。竜の姿のハクの背中で、主人公がそのことを思い出し、川の名前を口にした瞬間、ハクも自分の名前を取り戻す。二度目に観ると、序盤から彼がずっと主人公に「名前を忘れるな」と言い続けていた理由が、全部ここにつながります。自分が名前を失ってどうなったかを、彼は知っていた。だから、同じことにならないように、彼女の名前を守ろうとしていた。この映画で名前を取り戻すのは、主人公ではなく、彼女が思い出してくれたことで名前が戻ったハクのほうでもあるんです。誰かに呼ばれて、はじめて名前は戻ってくる。冒頭の友だちのカードと、同じことが起きていると私は思いました。名前を数えながら観ると、湯屋に来た汚れた客の場面も、ハクの物語の小さな予告編に見えてきます。人に汚され、見た目で呼ばれていた川の神が、汚れを取り除かれて本当の姿に戻る。名前を失った川と、名前を見誤られた川。この映画には川が二つ出てくるのだと気づいたとき、私はノートに大きく丸をつけました。Observation from the work
竜の背中のあの場面、空気の音が変わるんだよ。風を切る音が、ふっと軽くなる。名前が戻ったって、私は音で分かった気がした。Preference
最後の二つの場面
結末の二つの場面は、二度目に観ると、一度目とはまったく違う緊張があります。答えを知っているのに、なぜか手に汗をかく。Preference
Ending and reveals結末(一つめ)Tap to open
湯婆婆は最後に、並んだ豚の中から両親を当ててみろ、と言います。主人公はしばらく豚たちを見て、この中にはいない、と答える。それが正解で、契約書が消える。一度目の私は、なぜ分かったのかが分からなかった。二度目は、湯屋で働いた日々の中で、彼女が「見た目ではなく相手を見る」練習をずっと積み重ねていたように見えます。名前で呼ばれない相手、言葉を持たない相手、汚れて誰も近寄りたがらない相手。その一人ひとりの前で、見た目より先に相手そのものを見ようとしてきた。最後の問いは、その練習の答え合わせなんだと思います。Interpretation
Ending and reveals結末(二つめ)Tap to open
ハクは、トンネルを出るまで振り返ってはいけない、と言って彼女を送り出します。主人公は、両親のあとについて、振り返りそうになりながら歩いていく。トンネルを抜けたとき、髪をまとめている髪留めが、一瞬だけ光る。銭婆のところで、カオナシたちが糸を紡いで作ってくれたものです。車は落ち葉とほこりをかぶっていて、両親は何も覚えていない。二度目の私は、あの光る髪留めに泣きました。名前も記憶も、向こう側の出来事は全部、こちらに持ち帰れるかどうか分からない。でも、誰かが自分のために作ってくれたものだけは、手元に残っている。冒頭の友だちのカードと、最後の髪留め。この映画は、人から贈られたものに挟まれて始まり、終わっていく。私はそう観ました。Observation from the work
そして主題歌が流れます。作品ページの表記どおり、主題歌は木村弓さん。二度目は、ここで流れる歌の聞こえ方も変わりました。Fact[1]
別の国と別の舞台で出会い直す
東宝の舞台版の公式サイトによると、この映画が中国で初めて公開されたのは2019年。日本で公開されてから18年後のことでした。Fact[2]
私はこれを読んで、同じ映画でも、出会う年が国ごとに違うのだと改めて思いました。18年あとにはじめて観た人にとって、この映画は「昔の名作」ではなく、新作として届いたのかもしれない。二度目に観る人と、はじめて観る人が、同じ年に同じ映画館に並んでいる。それを想像するだけで、感想を並べたくなります。Interpretation
舞台版の翻案と演出を手がけたのはジョン・ケアードさんで、2024年のロンドン公演は、日本人のキャストが日本語で演じる海外上演だった、と同じページにあります。Fact[3]
私はその舞台を観ていないので、どんな見せ方をしたのかは書けません。でも、あの名前をつまみ取る場面が、日本語のまま、漢字を読まない観客の前で演じられたのだとしたら、客席はそれをどう受け取ったのだろう、と想像します。字幕で、声で、俳優の手の動きで。名前が消える怖さは、文字が読めなくても届いたのかもしれない。もし届いたのなら、あの場面の芯は、文字そのものより「呼ばれなくなること」のほうにあったのだと思います。Interpretation
二度目を観る人へ
おすすめは、ひとつだけ数えるものを決めてから観ることです。私は名前を、イロハは音を数えました。食べものでも、扉でも、乗りものでもいい。全部を拾おうとしないで、ひとつの帳簿だけをつける。観終わったら、別のものを数えた人と、帳簿を突き合わせてみてください。Preference
突き合わせたら、私の帳簿はほとんど「静かになった瞬間」の一覧だった。名前が取られるとき、電車、竜の背中、トンネル。Observation from the work
私の名前の帳簿と、ほとんど同じ場所だね。名前が動くとき、この映画は静かになるのかもしれない。違う物差しで数えて、同じところで止まった。それが今回いちばんうれしかった。Interpretation
二度目は、数えるものをひとつだけ決めて観る。別のものを数えた人と帳簿を突き合わせると、同じ映画がもう一本増える。