新しい仕事を任された日に、カグラが最初に電話をかける相手がシズカです。この日は、カグラの休みの昼。電話の向こうでは、鍋の蓋が小さく鳴っていました。話はやがて、カグラがこれまでくわしく話したことのなかった、映画館が長く閉まった春のことになりました。
毎朝ひとりで鍵を開けて
カグラちゃんから電話をもらうと、まず声の高さを聞いてしまうの。今日は、落ち着いた声ですね。
休みなので。……シズカさん、前に一度、電話でうまく話せなかった春がありましたよね。あのときのこと、今日はちゃんと話してもいいですか。
ええ。お鍋を弱火にしますね。どうぞ。
映画館が長く閉まった春です。上映はひとつもないのに、私は毎朝出勤していました。鍵を開けて、空調を入れて、十二の場内を順番に見て回る。それが、あのころの仕事のほとんどでした。
お客さんのいない映画館を、毎日。
はい。座席を一列ずつ見て、非常灯が切れていないかを確かめて、スクリーンの前で一度だけ手をたたいて、響き方を聞く。胸ポケットの赤い懐中電灯で、足元を照らしながら。いつもならお客さんが入ってくる時間になっても、扉はずっと閉まったままでした。
まあ。……広いところにひとりでは、心細かったでしょう。
こたえたのは、音でした。座席に人がいると、声も足音も吸いこまれて、少しやわらかくなるんです。誰もいないと、自分の足音がそのまま壁から返ってくる。それを毎朝聞いているうちに、だんだん、自分の足音が苦手になっていきました。
言えなかったこと
見回りが終わると、点検の表に印をつけて帰る。何も起きなかった一日を、きちんと記録するのが仕事でした。そのうち、よくないことを考えるようになって。
どんなこと?
劇場は、もう要らないのかもしれない、って。家でも映画は観られるし、誰も困っていないように見えました。私が毎朝確かめているものを、待っている人はいないのかもしれない。……あの夜、シズカさんに電話したときも、それが言えませんでした。
言えなかったのは、覚えていますよ。黙っている時間が長かったから、私はそのまま、お鍋の音をさせていました。
聞こえてました、ほんとに。ことこといっているのが。何も聞かれないのが、あのときはいちばんありがたかったです。
夜の小さなテレビで
その春に、映画は観ていたの?
観ていました。家の小さなテレビで、明かりを落として。劇場の人間が家で観るのか、と自分でも思いましたけど。選んだのは『この世界の片隅に』でした。学生のころ、客として何度も通った映画です。
『この世界の片隅に』は、こうの史代さんの同じ題名の漫画をもとにした長編アニメーション映画です。監督と脚本は片渕須直さん、アニメーションの制作はMAPPA。Fact[1]
物語は、十八歳のすずが、広島から軍港のある町・呉の北條家へお嫁に行くところから始まります。戦争の時代で、暮らしに要る物はだんだん手に入りにくくなっていく。そのなかで、すずはあれこれ工夫をして、毎日の暮らしを回していきます。Fact[2]
戦争の時代のお話ね。観ていて、つらくはなかった?
比べられるようなことじゃないのは、分かっていました。あの春の私と、すずさんの毎日は、ぜんぜん違います。だから、お話の重さに寄りかかったわけではなくて。私が見ていたのは、すずさんの手でした。Preference
手。
物が足りなくなっても、ごはんの支度をやめない手です。あるもので何とかして、また明日の分を考える。大きなことは何ひとつ変えられないのに、手は毎日ちゃんと動いている。その手つきを見ていたら、朝の見回りも同じなんだと思えました。お客さんが来なくても、今日の分の点検はある。今日の分を済ませたら、それでちゃんと一日になる。Interpretation
あら。それは、台所の考え方ですよ。
はい。シズカさんの台所の考え方です。
献立ノートをもう一度
それで、次の休みに、献立ノートを引っぱり出してきました。学生のころ、シズカさんの台所で皿を洗わせてもらった春に、書き方を教わったノートです。
まあ、まだ持っていたの。
働きはじめてから、しばらくさぼっていました。遅番が続くと、帰りに買ったもので済ませてしまって。あの春に、週の初めに一週間ぶんを書く、というのを、もう一度やり直しました。冷蔵庫にあるもので、なるべく無駄を出さないように。すずさんの工夫には、とても及びませんけど。
及ばなくていいのよ。自分の台所を自分で回せたら、それがいちばんですから。……三食、ちゃんと?
二食の日もありました。正直に言うと。
正直でよろしい。
いちばんよく作ったのは、具の多いお味噌汁でした。冷蔵庫の残りを全部入れて、ご飯と一緒に食べれば一食になる。見回りから帰って鍋に火をつけると、部屋の音が少し戻ってくる気がしたんです。
お味噌汁は、台所の見回りみたいなものですからね。冷蔵庫に何が残っているか、全部わかります。
朝は見回り、夜はノート。その二つで、一日がちゃんと終わるようになりました。映画に元気をもらった、というのとは少し違って。映画を観て、自分の手を動かす順番を思い出した、という感じでした。Interpretation
順番を思い出す。……それなら、私も覚えがあります。子どもたちが小さかったころ、何もかも手が回らない日は、まずお米をとぐところからやり直していましたから。
再開の日の顔
劇場がまた開いた日のことは、覚えている?
覚えています。最初の回が終わって出口に立っていたら、ひとりで来ていたお客さんが、私の前で立ち止まって「ありがとう」と言って帰っていきました。何に対してのお礼だったのか、聞きそびれてしまって。
聞かなくていいんです、そういうのは。
そうですね。……あの顔を見て、毎朝確かめていたものを、待っていてくれた人がいたんだと思いました。お礼を言いたかったのは、私のほうでした。
ええ。お互いさまですね。
あの日の帰り、久しぶりに自分の足音が気になりませんでした。ロビーにまだ人の声が残っていたので。
いまも一度だけ座る席
いまも、閉館後の見回りの最後に、いちばん大きいスクリーンの最後列に一度だけ座ります。非常灯だけがついていて、誰もいない。あの春にはこわかった静けさが、いまは一日の終わりの合図のようになりました。
座って、何を考えているの?
今日の客席を思い出しています。どこで笑い声が出たか、どこでみんなが静かになったか。それから立ち上がって、明かりを確かめて、帰ります。
それで、帰ったら、ごはん。
……はい。ノートに書いてあるとおりに。
まずは、ごはんにしましょう。今日のお話の続きは、そのあとでまた聞かせてくださいね。
大きなことは何も変えられない日にも、今日の分の手は動かせる。誰もいない場内を見回った春、それを思い出させてくれたのは、物の足りない時代に毎日の支度を続ける人の手でした。