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三人對談

コンテンツと娯楽 祭りから配信まで

コンテンツはいつから「作品」の呼び名になったのか。法律はそれをどう定義したのか。祭り、芝居、寄席、映画館、テレビ、ゲーム、配信へ。タカシとノアが娯楽の長い歴史をたどり、それが消費で終わるか栄養になるかを話しました。

適合這樣的人
アニメや漫画やゲームを毎日楽しんでいて、ふと「これは自分にとって何なんだろう」と思ったことのある人へ。コンテンツという言葉の意味と、祭りから配信までの娯楽の歴史をたどります。
劇透範圍
無劇透 取り上げる作品は公式の紹介や事典にある設定・成り立ちだけに触れます。展開や結末には触れません
發言的人
Takashi × Noa
主張的種類: 事實 作品中的觀察 有依據的推測 解讀 喜好
目錄 共 7 節·約 17 分鐘
  1. コンテンツという言葉の中身
  2. 法律が決めたコンテンツ
  3. 娯楽は祭りのそばで生まれた
  4. 寄席は毎日の娯楽だった
  5. 暗い部屋と電波と家庭のテレビ
  6. 作り手と受け手のあいだ
  7. 消費になるか栄養になるか

シオルの今日の質問は「人間界の人がよく言う『コンテンツ』って、物語のことですか?」。答えは、半分そうで半分ちがいます。言葉の成り立ちと法律の定義から始めて、娯楽が神さまのそばから家の中へ、そして手のひらへ移ってきた道をたどります。作品の展開や結末には触れません。

コンテンツという言葉の中身

Shioru

人間界の人は、アニメも漫画も歌も、まとめて「コンテンツ」と呼びますよね。シオルは一度聞いた言葉は忘れないんですが、意味がまだつかめなくて。

Noa

言葉の話なら、私から。もとの英語は、すごく素っ気ない言葉なんだよ。

「中身」――コンテンツという言葉のもともとの意味はそれです。英語に置きかえると、入れ物であるコンテナ(container)に収まっているもの、それがコンテント(content)にあたります。事實[1]

CD-ROMが普及しだした1990年前後に始まり、1990年代前半には情報スーパーハイウェイ構想で勢いづいたのが、マルチメディアブームです。今の意味でのコンテンツという言葉は、そのブームが終わりに近づいたころから使われるようになりました。やがて著作物というニュアンスを帯びて広まり、1996年10月1日には「マルチメディアコンテンツ振興協会」が誕生しています。事實[1]

Noa

つまり、最初は機械の側から見た呼び名だったの。CDやパソコンという「入れ物」があって、そこに入る「中身」。作品の名前じゃなくて、器から見た名前なんだよね。解讀

Shioru

宝箱の「中身」と同じですか? 剣が入っていても、手紙が入っていても、中身は中身。

Noa

そう、かなり近い。だから便利なんだけど、剣と手紙の違いが見えにくくなる。そこを心配している人もいるの。解讀

朝日新聞の記事で、大阪市立大学の増田聡教授(ポピュラー文化論)はこう語っています。文化芸術作品は、以前なら経済の物差しだけでは測りきれない、さまざまな価値の軸で見られていた。ところが今は「それで稼げるかどうか」の一つきりの基準で測られがちになった、と。何でもかんでも「コンテンツ」と呼んでいると、本来は消費の対象にすべきでない尊厳めいたものまで経済の下に置くことになりかねない――教授はそう危惧したとされます。事實[1]

Takashi

会社を預かる身としては、耳の痛い話です。稼げるかどうかで測ること自体は、私は悪いと思いません。社員の給料はそこから出ますから。ただ、物差しが一本しかなくなると、測れないものを最初から作らなくなる。それは組織にとっても損だと思います。解讀

法律が決めたコンテンツ

Takashi

日本には、コンテンツを定義した法律があります。私が三十になったころにできた、少し長い名前の法律です。

2004年の法律

法律にも定義があります。「コンテンツの創造、保護及び活用の促進に関する法律」(平成十六年法律第八十一号)の第二条です。そこでは映画、音楽、演劇、文芸、写真、そして漫画やアニメーション、コンピュータゲームなどが挙げられ、文字・図形・色彩・音声・動作・映像のどれか、あるいはその組み合わせでできたもの(電子計算機で届けるためのプログラムも含む)とされています。そのうち、人の創造的な活動から生まれ、「教養又は娯楽の範囲」に入るものがコンテンツだ、という定め方です。事實[2]

法律の目的として第一条が掲げるのは、国民生活の向上と、国民経済が健やかに発展することへの寄与です。第三条の基本理念を読むと、コンテンツは国民の暮らしに豊かさと潤いをもたらすもので、海外の人が日本の文化を理解する助けにもなる、という趣旨の一文が入っています。事實[2]

法案の制定に関わったのは、当時、内閣官房で知的財産戦略推進事務局の局長を務めていた荒井寿光です。荒井によれば、バブルがはじけたあと重厚長大産業は低迷を続け、それに替わる新しい産業が探し求められていました。その流れのなかで、特許や著作物などの知的財産に光が当たった、というのがこの法律の生まれた経緯だそうです。事實[1]

Takashi

同じ条文の中に「潤い」と「経済」が並んでいる。私はここが正直でいいと思います。娯楽は人の心を潤すものであり、同時に国が食べていくための産業でもある。どちらか片方だけを言う法律より、両方を書いた法律のほうが、実態に近い。解讀

Noa

私が面白いと思ったのは並べ方。映画から始まって、音楽、演劇、文芸、写真、漫画と続いて、アニメーションとコンピュータゲームで締めくくられる。古い順とも新しい順とも言えなくて、どれも一つの文の中にまとめて入ってる。紙芝居の子孫もゲームも、法律の上では同じ棚に置かれてるんだね。解讀

Noa

あと、翻訳する人の目で見ると、日本語の「コンテンツ」は英語の content より少し意味が狭い気がする。英語だとウェブページの文章も説明書の中身も content だけど、日本語で「コンテンツ」と言うと、たいてい楽しむためのものを指してる。法律が「教養又は娯楽」と範囲を切ったのも、その感覚に近いのかもしれない。解讀

Takashi

なるほど、外来語は日本に来るときに、意味の一部だけを連れてくるのですね。私の会社でも、横文字の役職名を入れたら、社員がそれぞれ違う意味で受け取っていたことがあります。……話がそれました。喜好

娯楽は祭りのそばで生まれた

Takashi

では、言葉ができる前の娯楽はどこにあったのか。多くの文化で、最初の舞台は神さまのそばでした。有依據的推測

「まつり」は動詞「まつる」を名詞にした形で、もともとはカミを祀ること、あるいはそのための儀式のことです。神社神道の祭祀では、神霊をその場へお招きしてもてなし、心を慰めて、人間を守ってくれるよう願います。目を海外に向けると、古代ギリシャで悲劇が演じられたのも祭りの場で、それがディオニューシア祭でした。ディオニュソスのための祭です。事實[4]

Noa

神さまをもてなすための歌や踊りを、人間もいっしょに楽しんでた。客席の最前列に、見えないお客さまが座ってたんだと思う。解讀

Shioru

ふるさとの王都の祭りでも、最初の歌は星の女神さまに捧げます。人間界でも、最初のお客さまは神さまだったんですね。

日本の芝居も、大きな流れをさかのぼると祭りや信仰の場のそばにたどり着きます。慶長8年(1603年)、「クニ」と呼ばれる人物が「かぶき踊」を始めたと見られています。最初は京の四条河原に建てた仮設の小屋が興行の場でしたが、のちには北野天満宮に定舞台を持つまでになりました。今の歌舞伎は、このかぶき踊りが移り変わっていった末にできたものとされます。阿国の芸も人柄も誰よりよく理解し、力のある後ろ盾になったのは、北野天満宮の祠官である松梅院の僧、禅昌でした。事實[5]

Takashi

私はこの「庇護者」という言葉に目がいきます。新しい芸が河原から定舞台へ上がるとき、その芸をよく分かって支える人がいた。新しい娯楽は、最初は誰にも評価されない。だから、最初に価値を認める一人がいるかどうかで、その後がまるで違ってくるのです。若い起業家の相談に乗るとき、私はいつもこの話を思い出します。解讀

江戸時代の見世物には、いまなら動物園、美術館、サーカス、パフォーマーに当たるような要素がまとめて入っていました。文明開化のあとになると、撃剣、パノラマ、迷路、そして初期の映画など、新しいものも次々に取り込んでいきます。事實[6]

Takashi

河原の仮設小屋から始まった芸が、やがて定舞台を持つ。娯楽の歴史は、仮の場所が常設になっていく歴史でもあります。常設になると、毎日来てくれる客と、毎日食べていく芸人が生まれる。ここから先は、もう産業の話です。解讀

寄席は毎日の娯楽だった

寛政10年(1798年)、専門の寄席が江戸で初めて開かれました。場所は下谷神社の境内、開いたのは初代・三笑亭可楽とされています。入場料に当たる木戸銭は歌舞伎のおよそ3分の1から4分の1で済み、かかる時間も3時間ほど。歌舞伎の筋をかいつまんだ「芝居噺」を、噺家が一人きりで何役も演じ分けます。気軽に歌舞伎の気分を味わいたい庶民には、これがうってつけでした。事實[7]

文化・文政年間(1804〜1830年)は、江戸落語が娯楽として最も盛り上がった時期です。文政も終わりに近づくころには、江戸の寄席は125軒にのぼったと伝えられています。事實[8]

Noa

三時間で、安くて、近所にある。いまの言葉でいえば「短尺で手軽」。本物の歌舞伎の要約版を、一人の噺家が全部の役で見せてくれる。今の切り抜き動画や総集編の感覚に、ちょっと似てると思わない?解讀

Takashi

似ていますね。ただ、寄席の噺家は要約しながら、自分の芸を足していました。値段の安さだけで客が通ったのではなく、その人の語りを聞きに来た。安さと手軽さは入口で、通い続ける理由は別にある。商売の基本です。解讀

アニメでは『昭和元禄落語心中』(原作・雲田はるこ、アニメーション制作・スタジオディーン)が2016年と2017年に放送されました。物語の入口「与太郎放浪篇」は昭和50年代ごろの話です。テレビや漫才ブームに押されて、落語の盛りはもう過ぎていました。主人公は刑務所を出たばかりの元チンピラ。慰問で八代目有楽亭八雲の落語を聞いて心を動かされ、寄席まで押しかけて弟子にしてくれと頼みこむところから話が始まります。事實[9]

Takashi

主役は娯楽の王座から降りかけた芸です。新しい娯楽に押される側から娯楽の歴史を描いている。勝った側だけで歴史を語らない作品は、私は信用できます。解讀

落語の気配は、ほかのアニメの中にも漂っています。『映像研には手を出すな!』(原作・大童澄瞳、監督・湯浅政明、制作はサイエンスSARU、2020年放送)には、元ネタが落語の台詞や用語が出てきます。たとえば芝浜高校は『芝浜』、富久書店は『富久』から来ています。事實[10]

Noa

アニメを作る高校生の物語の住所が、落語の演目でできてる。娯楽が次の娯楽の地図に、こっそり名前を残してるのが好き。喜好

暗い部屋と電波と家庭のテレビ

1903年10月1日、東京・浅草公園六区で電気館が開業しました。吉沢商店が開いたこの館は、日本で初めての常設の活動専門館でした。事實[11]

NHKラジオ第1放送の歴史をさかのぼると、社団法人東京放送局に行き着きます。東京放送局は1925年3月1日、まず仮の放送所から電波を出しました。愛宕山の送信所に移って本放送を始めたのは、同じ年の7月12日です。事實[12]

テレビは、NHK総合テレビジョンの開局日が1953年2月1日です。事實[20]

紙芝居は路上の娯楽でした。1935年に東京市が調べたところ、市内で紙芝居を商売にする業者はおよそ二千人いたそうです。テレビは出てきたばかりのころ「電気紙芝居」とからかわれました。それでも、音も動きもたっぷりの映像を小遣いを使わずに見られるのですから、人々の目はテレビに向き、子どもたちも紙芝居から離れていきました。事實[13]

家庭用ゲーム機では、1983年7月15日に任天堂がファミリーコンピュータを売り出しています。事實[14]

Takashi

ここで、私がいちばん大きいと思う変化が起きています。娯楽が、出かけていく場所から、家に来るものに変わった。祭りも芝居も寄席も映画館も、人が集まる場所でした。ラジオとテレビとゲーム機は、場所のほうが人のところへ来る。解讀

Takashi

私は子どものころ、大きな映画館で宇宙の戦争の映画を観て、帰り道に父とパンフレットを分け合って読みました。暗い部屋で知らない人たちと同じ場面に息をのむ、あの感じは、家のテレビでは味わえなかった。逆に、家のテレビでは、夕飯を食べながら家族で同じものを観て、あれこれ言い合えた。場所が変わると、娯楽の中身より先に、誰と観るかが変わるのです。喜好

Noa

ゲーム機はさらに一歩進んで、観るだけじゃなくて、テレビの画面に手を出せるようになった。物語の中に入れる娯楽が、居間に来たんだよね。解讀

Noa

そのぶん、隣の席の知らない人と笑う、っていう体験は減ったよね。東京だけで二千人もの紙芝居屋が路地ごとに子どもを集めていた風景は、テレビの前の家族に置き換わった。解讀

Shioru

遠くの景色を家で見られるなんて、魔法の鏡みたいです。ふるさとでは、魔法の鏡は王さまの部屋にしかありません。

Noa

人間界の鏡は、だんだん持ち主が増えていったの。王さまの部屋から居間へ、居間から一人ひとりの手のひらへ。鏡がだんだん小さく、近くなっていったんだね。解讀

作り手と受け手のあいだ

「娯楽」を英語でいう entertain について、オックスフォード英語辞典は語源をこう示しています。「inter」(間)と「tenir」(保持する)が合わさり、「互いに保持する」「絡み合って保持する」という意味から派生した、と。さらに、相手の注意や考え、時間を引きつけて離さない、つまり「占有し続ける」「魅了する」といった意味合いも挙げられています。事實[3]

Noa

エンターテインメントは、語源をたどると「あいだで持つ」。作り手と受け手が、両側から一つのものを支えてる絵が浮かぶ。……でも同じ語源に「時間を占有し続ける」もある。支え合いにもなるし、奪い合いにもなる言葉なんだね。解讀

受け手だった人が作り手になる場も、日本では早くから育っています。コミックマーケットの初開催は1975年12月21日で、企画・主催はまんが批評集団「迷宮'75」。同人誌即売会として、旧日本消防会館の会議室を借りて開かれました。出展したのは32サークル、集まった参加者は約700人です。事實[15]

インターネットでは、YouTubeが2005年2月14日に開設されました。事實[21]

2006年12月12日に始まったニコニコ動画は、動画を引用してその画面にコメントを重ねる仕組みを、最初のバージョンから持っていました。事實[16]

Noa

画面の上を、ほかの人の「笑った」「いまの!」が流れていく。家の中に来て一人きりになった娯楽に、客席がもう一度帰ってきた感じがした。寄席の客席のざわめきを、文字で再現したみたいに。解讀

Takashi

ひとりで観ていても、誰かと観ている。家に来た娯楽が、もう一度人を集め始めた。娯楽の歴史は、集まると散らばるを繰り返しているのかもしれませんね。解讀

受け手が描くことを最初から見込んで、作り手が設計する例もあります。『ぼっち・ざ・ろっく!』の原作者はまじあきは、デザインを込み入らせすぎると、ファンアートを誰も描いてくれなくなるのでは、と考えました。キャラクターの線がシンプルで、それでも一人ひとり描き分けられているのは、その判断の結果だそうです。事實[17]

Noa

受け手が描きたくなることまで、最初の設計に入ってる。作品が完成したところで終わるんじゃなくて、受け手の手で続いていくことを、作り手が待ってるんだと思う。解讀

作り手の現場そのものが舞台のアニメもあります。『SHIROBAKO』(監督・水島努、制作はP.A.WORKS、2014〜2015年放送)の主人公は、アニメーション制作会社に入って制作進行を務めます。作画、演出、背景、撮影、仕上、音響など、パートごとのスタッフと手を携えて進んでいく物語です。事實[18]

芸能界を舞台にした漫画『【推しの子】』(原作・赤坂アカ、作画・横槍メンゴ)。原作の赤坂が描こうとしているのは、芸能界の実情です。業界にからみつくしがらみや慣習のせいで、人々がどれだけ奮闘しても、それが幸せな形で実らない。作り手と受け手のあいだのディスコミュニケーション。それを描くことで、その溝を少しでも埋める漫画にしたい、というのが赤坂の目指すところだそうです。事實[22]

Noa

作り手と受け手のあいだには、いつも見えない壁がある。受け手は舞台の上しか見えないし、作り手は客席の顔を一人ずつは見られない。その壁を物語で少し薄くしようとする作品が、2010年代からとくに増えた気がする。解讀

Takashi

受け手が作り手の苦労を知りすぎるのも、それはそれで難しいのですけれどね。客が楽屋の事情を気にしはじめると、純粋に楽しめなくなる。舞台裏の物語は、舞台への敬意を深めるためにあるのだと私は思っています。解讀

Takashi

温故知新アトラスに、創造は需要構造の産物であり、誰が金を払うかが作られるものの形を決める、という法則があります。教会と宮廷が締め切りを課したから傑作が量産され、市民が買い手になったから主題が日常へ移った、という見立てです。アトラスはこの法則の例に、紫式部やシェイクスピアや近松門左衛門の名前も挙げています。解讀

Takashi

寄席の木戸銭、貸元の紙芝居、テレビの広告、ゲーム機のソフト、配信の広告や投げ銭。お金の流れ方が変わるたびに、作品の長さや形も変わってきました。三時間の寄席、一話三十分のテレビアニメ、数分の動画。ただし、この法則にも反例があります。需要と切り離された資金で長く活動できる作り手は、この型に縛られません。解讀

Noa

お金の流れだけじゃなくて、届け方の器も形を決めるよね。でも、器や財布が同じでも、作り手の「これを作りたい」で形が決まる作品もある。私はそういう作品に出会うと、法則の外側に立ってる人を見つけたみたいで、うれしくなる。解讀

消費になるか栄養になるか

娯楽を警戒する声は、ずっと昔からありました。「パンとサーカス」は、ユウェナリスという詩人(西暦60年〜130年)が詩篇の中で使った言い回しで、古代ローマの世相を批判したものです。ローマ市民は、権力者が無償でくれる「パン(食糧)」と「サーカス(娯楽)」で満ち足りてしまい、政治に目を向けなくなっている――ユウェナリスはそう指摘したのです。事實[19]

Takashi

二千年前から、娯楽は人をだめにする、と言われ続けてきたわけです。私も若いころは、仕事以外の時間を娯楽に使うのは贅沢だと思っていました。……それで、家族と過ごす時間まで削った。今は、あれが間違いだったと分かっています。喜好

Noa

私は「消費」と「栄養」の違いは、作品の側じゃなくて、受け取ったあとの側にあると思ってる。同じアニメでも、観終わって何も残らない日もあるし、何年も経ってからふいに思い出して、自分を支えてくれる日もある。解讀

Noa

私は落ちこんだ夜、本が読めなくなって同じ行を何度もなぞることがある。そういう夜には、新しい作品より、前に観たことのあるアニメの一話だけを観る。知ってる話のほうが、体に入ってくるの。二周目のほうが栄養になる作品って、あると思う。喜好

Takashi

私の場合は、つらかった時期に、眠れない夜に聞いていた配信がありました。中身はほとんど覚えていません。でも、あの声があったから朝まで持ちこたえられた。あれは消費だったのか、栄養だったのか。私には、栄養だったとしか言えません。喜好

Noa

それに、栄養には噛む時間がいる気がする。一気に流しこむと、味も何も分からないまま次へ行っちゃう。観たあとに誰かと話したり、一人で少し思い返したりする時間が、消化の時間なのかも。解讀

Takashi

寄席の客も、帰り道に噺を思い返しながら歩いたのでしょう。娯楽の歴史は、届け方が速く便利になる歴史でしたが、噛む時間だけは、いつの時代も受け手が自分で作るしかなかったのかもしれません。解讀

Takashi

私はいま、夜に観るのは一本だけと決めています。戦記ものではなく、青春ものや恋愛ものを、静かに一本。観終わったら、すぐ次を押さずに、少し部屋の明かりを落としたまま座っている。年をとって分かったのは、娯楽は量を増やすより、余白を足したほうが体に残るということでした。喜好

Noa

その「すぐ次を押さない」が、たぶん一番むずかしいんだよね。今の配信は、次の一話が勝手に始まるようにできてるから。器のほうが、噛む時間を削る方向に進化してる。だから受け手の側で、わざと止まる工夫がいるんだと思う。解讀

Shioru

シオルは聞いたものを全部覚えてしまうので、噛まないまま飲みこんでいたのかもしれません。今日の話は、帰りにゆっくり噛んでみます。

今日観た一本を、寝る前に一つだけ思い返してみてください。どの場面が残っていたか。その一つが、消費と栄養の分かれ目になります。

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