これは、映画『思い出のマーニー』を最後まで観た人のための、二周目の案内です。まだ観ていない人は、ここで閉じてください。あの夏を初めて過ごす時間は、一度しかないから。展開と結末に触れるところは、押すまで開かない箱に入れました。
一周目の私は答えを探していた
一周目、私はずっと謎を解こうとしていました。あの屋敷の少女は何者なのか。二周目はもう答えを知っています。だから、杏奈が黙っている時間のほうへ、目が向くようになりました。喜好
観直す前に知っておきたいこと
Wikipediaによると、この映画はジョーン・G・ロビンソンの児童文学を原作に、スタジオジブリが制作し、米林宏昌さんが監督して2014年7月19日に公開されました。上映時間は103分。原作の舞台を現代の日本に置き換え、北海道の湿地を舞台にしています。事實[1]
舞台を移すと、何を残して何を変えたかが手がかりになる。主人公の名前は変えて、マーニーの見た目はそのまま残している。事實[1]
うん。変えたところと変えなかったところ、両方を気にしながら観てみる。
杏奈のスケッチブック
杏奈は絵を描くことが好きで、いつもノートを持ち歩いて風景をスケッチしています。ただ、人物はほとんど描かないし、描くのは白黒の鉛筆画ばかり。それが、マーニーに会ってからは変わります。彼女の姿を描くようになり、色も塗りはじめる。事實[1]
二周目は、杏奈がノートを開くたびに、何が描かれていて何が描かれていないかを見てください。風景だけを描く人は、そこに人がいることを、まだ自分に許していないのかもしれない。私はそう受け取りました。色が入る瞬間は、杏奈が誰かを好きになったことを、言葉より先にノートが白状する場面です。解讀
中段為止中盤までの事情點擊展開
杏奈がなぜ白黒でしか描かないのかも、物語が進むにつれて少しずつ分かってきます。養母の頼子が、杏奈のための給付金を自治体から受け取っていて、そのことを杏奈に隠していた。杏奈はそれを偶然知ってしまいます。そのあと、何も知らずに、頼子は色鉛筆を買ってきたのです。だから杏奈は、色を使わない。
二周目にこれを知っていると、白黒の鉛筆画そのものが、口に出さなかった返事に見えてきます。もらった色鉛筆を使わないことでしか、杏奈は気持ちを言えなかった。
おばちゃんという呼び方
杏奈は、ある出来事があってから、自分を育ててくれている頼子を「おばちゃん」と呼ぶようになり、感情も表に出さなくなりました。七夕祭りの短冊には、毎日をふつうに過ごせるように、と書いています。事實[1]
呼び方は、距離のいちばん正直なものさしです。二周目は、杏奈が誰かの名前を呼ぶたびに、その声の温度を聞き比べてみてください。頼子への呼びかけ、信子への言葉、マーニーの名前。同じ口から出ているとは思えないほど、温度が違います。解讀
七夕祭りの二人
七夕祭りで、信子は杏奈の短冊の「普通」の意味をしつこく聞き、目の色についても聞いてきます。杏奈はそれに腹を立て、思わずひどい言葉を叫んでしまう。事實[1]
信子は十三歳で、学校では委員長。ぽっちゃりした体つきで、面倒見がよく気さくな子だけれど、そのぶん少し強引になってしまうこともある、と紹介されています。事實[1]
一周目の私は、信子の無遠慮さに腹を立てて観ていました。二周目は、信子の側に座ってこの場面を観てみてください。親元を離れて来た年下の子に、委員長として何か声をかけなければと思った。でも距離の詰め方を間違えた。言われた側の痛みと、言った側の不器用さが、同じ場面に並んでいます。解讀
中段為止信子とのその後點擊展開
終盤、杏奈は信子に謝ります。返ってきたのは、つっけんどんな一言でした。「来年はゴミ拾いしなさいね」。
仲直りの言葉としては、ずいぶんそっけない。でも私は、ここがとても好きです。許すとも言わず、仲良くしようとも言わない。来年もこの町に来ていい、と言っているだけ。距離を詰めすぎた人が、今度は詰めすぎずに返事をしている。
無口な人の一言
この町には十一という老人がいて、十年に一度しか口をきかない、と噂されています。言葉がとても少なく、近所の子どもたちにはからかわれている。満潮の屋敷で動けなくなった杏奈を、ボートに乗せて岸まで送ってくれるのが彼です。事實[1]
中段為止十一が口にすること點擊展開
十一は、マーニーのことも知っていました。十一の口から出たのは、青い窓に閉じ込められていたかわいそうな少女、という言葉です。
十年に一度しか喋らない人の、数少ない言葉がこれです。黙っている人ほど、昔のことをよく覚えている。二周目は、十一がボートを漕ぐ背中を、屋敷の窓と一緒に見てください。
結局·真相結末點擊展開
サイロに二人で向かったのは嵐の日。そこでマーニーは、杏奈を「和彦」と呼びはじめます。マーニーの幼馴染で、のちに夫になる人の名前です。マーニーの生涯を杏奈に聞かせるのは、画家の老婦人・久子。迎えに来た頼子が給付金のことを打ち明けて、二人は解り合います。頼子が渡した古い写真には、「私の大好きな家 マーニー」という裏書き。マーニーは自分の実の祖母だった、と杏奈はそこで気づきます。そのあと杏奈は、頼子を母だと久子に紹介する。
二周目は、ここまでの「呼び方」の線を一本につなげてみてください。サイロでマーニーが杏奈を別の名前で呼ぶとき、マーニーもまた、目の前の人ではなく、記憶の中の誰かに話している。そして最後に、杏奈は頼子を「母」として人に紹介する。呼び方が変わることで、関係が言い直されています。
目の色も、二周目にはもう一度見直したくなります。人物紹介では、杏奈の瞳は青みがかった黒とされています。最初に信子に聞かれたとき、杏奈は怒るしかなかった。でも、その色はずっと、誰かから受け取ったものとしてそこにあった。
もう一つ、耳で気づける仕掛けがあります。晩年のマーニーを演じているのは森山良子さんで、劇中の曲「思い出のマーニー」のハミングも森山良子さんです。一周目は気づかずに聞いていたハミングが、二周目は、誰かが子守唄のように覚えていた声に聞こえました。
二周目の私の見方
謎解きの映画として観ると、答えが出た時点で終わる。でも二周目は、呼び方と絵の線をたどると、最初のほうから手がかりが置いてあったと分かる。解讀
私は、杏奈が黙っていた時間を急がせない映画だと思いました。答えを知ってから観ると、杏奈のぶっきらぼうな一言一言が、まだ言葉にできない気持ちの、精一杯の代わりに聞こえます。解讀
二周目は、杏奈がノートを開くたびに、何が描かれていないかを見てみて。描かない人がいることも、気持ちの一部だから。