目錄
四本目は『陰の実力者になりたくて!』。正直、この作品を語るのがいちばん恥ずかしい。理由は読めば分かる。事件の真相や結末は書かない。書くのは、決め台詞がなぜあんなに気持ちいいのかと、勘違いが物語を前に進める仕組み。
ラスボスでも主人公でもない
TVアニメ第1期の公式サイトでは、第1話の紹介文がこう書き出されています。「陰の実力者」とは何か。主人公でもなければ、ラスボスでもない。ふだんはモブとしてふるまって力を見せず、陰ながら物語に介入しては、人知れず実力を示す存在だ、と。事實[1]
……読んだ瞬間、背中に冷たい汗が出た。これ、中学の俺のノートの一ページ目とほとんど同じだ。違うのは、俺のノートには「実力」の中身が一行も書いてなかったこと。喜好
公式サイトのスタッフ欄には、原作は逢沢大介さん(KADOKAWA刊)、監督は中西和也さん、シリーズ構成は加藤還一さん、アニメーション制作はNexusとあります。事實[2]
劇場版の公式サイトには、TVアニメ第1期が2022年10月に放送を始めたことが載っています。主人公が最強で、圧倒的に中二病で、勘違いのシリアスコメディ、と作品を言い表した一文も。事實[3]
好きな理由1:決め台詞が全部「借り物」なのに本物
主人公のシドは、陰の実力者っぽい台詞を言いたくて仕方ない。で、言う。完璧なタイミングで、完璧な声の低さで。台詞そのものは、どこかで聞いたことのある型を集めたものなのに、場面の作り方が本気だから、ちゃんと決まる。借り物の言葉でも、置き場所が正しければ本物になる。脚本の授業で習ったどの理論より、これがいちばんわかりやすかった。解讀
しかも、決め台詞の直前に、たいていちゃんと「間」がある。風が止まる、音楽が引く、顔が影に入る。演出が全力で台詞の席を用意してる。ふざけてるのに、手を抜いてない。そこが好きだ。作品中的觀察
好きな理由2:勘違いが組織を育てる
シドは、ごっこ遊びのつもりで組織をつくる。設定も敵も、自分で考えた「それっぽい」もの。ところが、まわりの仲間はそれを本気で受け取って動きはじめる。言った本人がいちばん分かってないまま、組織だけがどんどん本物になっていく。解讀
俺がずっと考えてる「人はなぜ仮面の支配者についていくのか」の答えの一つが、ここにある気がする。支配者が何を考えているかより、ついていく人が何を信じたいか。言葉は、言った人より聞いた人のほうで育つ。……詩的に言ったけど、つまり勘違いは強い、ってことだ。解讀
ねえソウマ、これってギャグ? シリアス? どっちで観ればいいの、教えて?
……両方。主人公の頭の中はギャグで、まわりの世界はシリアス。その二つが同じ画面に乗ってる。どっちの席で観るかは、その日の気分で選べばいい。解讀
決めた。じゃあ今日はシリアスの席。……ソウマは?
俺は客席じゃなくて、楽屋の席だな。昔そっち側にいたから。
好きな理由3:古傷を笑ってもいいと言われる
中二病の物語って、たいてい「卒業しよう」って話になる。この作品は違う。卒業しないまま、全力で続けてる人を、真正面から描いてる。笑っていいし、かっこいいと思ってもいい。その両方を許してくれる。俺は封印したノートのことを考えながら観て、初めて、あのころの自分を少しだけ笑えた。痛いけど、嫌な痛さじゃなかった。喜好
裏方の目で観ると
裏方の目でこの作品を観ると、もう一つ面白いところがある。組織の仲間たちが、主人公の知らないところで、とんでもなく働いてる。資金を集めて、情報を集めて、人を集めて。主人公が決め台詞を言う舞台は、だいたい誰かが整えてる。解讀
俺はサークルでもバイトでも、気づけば段取りを回す側にいる。目立つのは苦手だけど、誰かがいちばんかっこいい場面に立てるように整えるのは、嫌いじゃない。この作品の仲間たちを観てると、裏方の仕事にもちゃんと物語があるんだと思える。陰の実力者になりたかった俺は、気づいたら陰の段取り係になってた。……それはそれで、悪くない。喜好
ギャグかシリアスか迷う人へ
最初の数話は、主人公がなぜこういう人になったのかを丁寧に見せる。そこで乗れなくても、組織ができるあたりまでは観てほしい。勘違いが一つ目の実をつけるところで、作品の形が見えてくる。
時間がない日は、決め台詞の場面だけ拾って観るのも、正直アリだと思う。ショート動画の切り抜きみたいな楽しみ方だけど、この作品はそれに耐える。一場面ずつが、ちゃんと一つの見せ場として組まれてるから。
ほかの5本とのつながり
『コードギアス』が中学の俺の教科書なら、『陰の実力者になりたくて!』は、その教科書に書きこんだ落書きを、愛情こめて読み上げてくれる作品だ。『中二病でも恋がしたい!』とは、同じ古傷の右と左。どっちも、触ると痛くて、少しあたたかい。喜好
借り物の台詞でも、置き場所が正しければ本物になる。昔の俺のノートにも、たぶん一行くらいは。