この文章は映画『風立ちぬ』を最後まで観た人のための二周目の案内じゃ。まだの人はここで閉じてくれ。結末を知らずに観る一周目の静けさは、一度しか味わえん。終わり方に触れるところは押さんと読めん箱に入れ、箱の外には書かん。
一周目は飛行機を観ていた
公開は2013年7月20日。原作・脚本・監督は宮﨑駿で、上映時間は約126分、主題歌は荒井由実じゃ。事實[1]
一周目の俺は、空を飛ぶ場面ばかり観とった。宇宙の話と同じで、飛ぶものの話になると俺は早口になる。じゃが観終わって湯呑みを置いたとき、飛行機の形より、帽子が飛ぶ場面のほうが先に浮かんだ。それで二周目は、飛ばんほうの物を追うことにした。喜好
竜山さん、主人公の堀越二郎は実在の航空技術者ですから、私はつい史料と比べてしまいまして……あ、いまは映画の話でしたね。
タカシの言うとおりじゃ。題材の柱は二本あって、一本は航空技術者・堀越二郎の半生、もう一本は作家・堀辰雄の小説の中身じゃ。宮崎監督は、この二人をごちゃまぜにして主人公を一人こしらえ、1930年代の青春を、まったくのフィクションとして描くと言うとる。事實[2]
史実はそうでも、この二郎はこう生きた、でええんじゃ。二周目は資料を脇に置いて、語りのほうに乗ってみい。喜好
……資料を脇に置くのは、私にはいちばん難しい稽古ですね。やってみます。
冒頭の一行
題名の出どころは堀辰雄の小説で、そのまたもとをたどると、ポール・ヴァレリーというフランスの詩人の詩の一節に行きつく。堀辰雄はこれを「風立ちぬ、いざ生きめやも」と訳した。本篇の冒頭には、ヴァレリーの原詩と堀の訳が出てくる。事實[3]
一周目は、題名の由来の飾りとして読み流した。二周目は、この一行が映画ぜんたいの約束に見える。風が吹く。だから生きようとせねばならん。風はいつも、良いものと悪いものを両方運んでくる。二周目は、画面で風が吹くたびに、それが何を運んできて、何を持っていったかを数えてみなされ。解讀
風に運ばれるもの
菜穂子と出会うのは、東京へ向かう汽車の中じゃ。風にさらわれた二郎の帽子を、菜穂子が受け止めた。その直後に関東大震災が来て、汽車は脱線する。侍女のお絹が足を折り、二郎は自分の計算尺を添え木として当てる。2年がたって、お絹はシャツと計算尺を返すつもりで大学を訪ねる。二郎はちょうどおらんで、計算尺は大学の職員の手を経て二郎に戻る。事實[4]
一周目は、震災の場面の迫力に気を取られて、この計算尺のことを忘れとった。二周目は、二郎が机で計算尺を手にするたびに、これがいっぺん人の脚を支えた道具だということを思い出してしまう。設計の道具が、人を助けた道具でもある。そして名乗らずに去った青年のところへ、名前も知らん人の手で戻ってくる。風に飛ばされた帽子と同じで、この映画では、手を離れた物がちゃんと誰かのところへ届く。解讀
中段為止中盤の展開(軽井沢の場面)點擊展開
十年がたち、所は軽井沢。今度は菜穂子のパラソルが風に飛ばされ、通りがかった二郎がたまたまそれを受け止める。汽車の帽子とあべこべの形じゃ。受け止める番が、二郎に回ってきた。それから二人は、紙飛行機のやりとりで想いを深めていく。帽子、パラソル、紙飛行機と、二人のあいだを行き来するのは、決まって風に乗る軽い物じゃ。二周目にここを観ると、最初の汽車の場面がここでもう一度繰り返されとると分かる。解讀[5]
人の声でできた音
耳で楽しむ仕掛けもある。プロペラの音、蒸気機関車が吐く蒸気、自動車のエンジン、関東大震災の地響き。この映画では、そうした音のあれこれを人の声でこしらえとる。音響もステレオやサラウンドは使わず、昔ながらのモノラル録音じゃ。事實[6]
一周目、震災の地響きが妙に生き物のように聞こえて、背中がぞくりとした。二周目にそれが人の声だと知って観ると、地面も汽車も飛行機も、みな息をしとるように聞こえる。目をつぶって、音だけで一場面を聴いてみなされ。モノラルは音が一か所から出る。左右がない分、近い音と遠い音の差がよう分かる。解讀
人の声で飛行機の音を出すというのは、子どもが紙の飛行機を持って走り回るときの声を思い出しますね。私も小さいころ、やっていました。喜好
夢の中の師匠
カプローニ伯爵というイタリアの飛行機設計家が夢に現れ、少年の二郎を励ます。それで二郎は設計の道を志す。力を尽くしているか、とカプローニは何度も二郎に声をかける。宮崎監督はそこに触れて、どんな状況でも力を尽くしてやるほうがいいと思う、と語っとる。夢の中のカプローニは、ピラミッドのある世界とない世界、どちらが好きかとも二郎に尋ねる。事實[7]
俺は、師匠や年寄りが若い者に何を渡すかを、いつも身を乗り出して観る。俺の胸に残ったのは、カプローニの技術の話より、問いのほうじゃった。力を尽くしとるか。ピラミッドのある世界とない世界の、どちらが好きか。どちらも、答えはカプローニの口からは出てこん。二周目は、カプローニが出てくるたびに、二郎の年がいくつになっとるか、問いがどう変わるかを追ってみなされ。俺には、夢の中の師匠も弟子と一緒に年をとっていくように見える。解讀
答えを言わない上司というのは、現実の職場だと少し困りますが……問いだけ渡して、あとは弟子に任せる。竜山さんの道場のやり方に近いかもしれません。解讀
結局·真相結末點擊展開
飛行機ができあがり、いよいよ試験飛行の朝が来る。菜穂子は出かける二郎を見送ったあと、置き手紙を残して、ひそかに療養所へ戻っていく。二郎の妹の加代は追いかけようとするが、黒川夫人が止める。菜穂子の気持ちを汲んでのことじゃ。試験場では、飛行機が過去最高の速度を出して皆が喜ぶ。じゃが二郎だけは心ここにあらずで、遠い山のほうを見つめとる。
カプローニがもう一度夢に現れ、二郎の飛行機を褒める。二郎のほうは、一機も戻って来なかったと打ちひしがれとる。そこで再会した菜穂子が、生きて、と声をかける。この台詞は絵コンテの段階では「来て」じゃった。最後に一文字足されて「生きて」になったという経緯がある。
二周目は、冒頭の一行を思い出してから、この場面を観てほしい。風が吹いた、だから生きようとせねばならん。題名から最後の一言まで、同じ約束が通っとる。そして黒川夫人が加代を止める場面。若い者の気持ちを汲んで、追わせん。年上の者が若い者に渡せるものには、止めることも入っとるんじゃと、俺はここで知った。解讀[8]
二周目は、冒頭の汽車で帽子が飛ぶ場面で一度止めて、誰の手がそれを受け止めたかを見ておきなされ。この映画の風は、そこから最後まで吹いとる。