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動畫·漫畫小知識

『桃太郎 海の神兵』のネガは倉庫で見つかった

戦時中に海軍省の命を受けて作られた長編アニメーション『桃太郎 海の神兵』。戦後は焼かれたと思われていたネガが、1982年に倉庫で見つかりました。作業着の社長タカシが、隣の家のハヤテに、作られた事情を順に話しました。

適合這樣的人
古いアニメ映画が、どんな時代に、どんな事情で作られたのかを知りたい人へ。作品の良し悪しより先に、作られた経緯を落ち着いて聞きたい人にも。
劇透範圍
無劇透 物語の出発点(富士山のふもとの動物の村に、海軍に出征していた猿・犬・雉・熊が休暇で帰ってくる)と、戦時中の制作の事情、戦後のフィルムの発見と再上映まで。休暇のあとの出来事と結末には触れません
發言的人
Takashi × Hayate
主張的種類: 事實 作品中的觀察 有依據的推測 解讀 喜好
目錄 共 5 節·約 5 分鐘
  1. 海軍省の命を受けた長編
  2. 70人近くが15人ほどに
  3. お金を出す人と描く人
  4. 倉庫で見つかったネガ
  5. 観る前に知っておくこと

土曜の昼。庭のバラの手入れをしていたタカシは、生け垣の向こうを通りかかったハヤテに声をかけました。「ハヤテくん、少しだけいいですか。昨夜、古い映画を観まして」。

海軍省の命を受けた長編

Hayate

こんにちは。……古い映画、ですか。どれくらいですか。

Takashi

戦時下の1945年の春に公開された映画です。今日は、良いとも悪いとも先に決めずに、どういう事情で作られたのかだけをお話ししたいと思っています。

『桃太郎 海の神兵』は、松竹動画研究所が、日本の海軍省から国策の動画映画を作るよう命を受けて、1944年に製作した長編アニメーション映画です。公開されたのは、戦争のさなかの1945年4月12日。白黒、上映時間74分、9巻のフィルムで、日本初の長編アニメ映画だと言われることもあります。演出・脚本・撮影は瀬尾光世さん、音楽は古関裕而さんです。事實[1]

1943年の漫画映画『桃太郎の海鷲』の姉妹編で、当時の日本政府が掲げていた大義を主題にした作品です。事實[1]

瀬尾さんは、その前作『桃太郎の海鷲』も、海軍省の委託で作っていました。事實[2]

物語の始まりは、富士山のふもとの動物たちの村。猿、犬、雉、熊は海軍に出征していましたが、休暇をもらって村へ帰ってきます。事實[1]

Hayate

桃太郎なのに、最初は休暇で帰ってくるところからなんですね。

Takashi

はい。私も、そこから始まるとは知りませんでした。

70人近くが15人ほどに

企画が立ち上がったのは1943年3月。スタジオは銀座にあり、歌舞伎座と隣り合うビルに入っていました。はじめは、登場するキャラクターごとに担当のアニメーターが一人ずつ付いていたといいます。その人手から、若いスタッフが徴兵や徴用で一人、また一人と抜けていきました。空襲警報が出れば、機材や動画の紙を持って地下へ下り、警報が解けてから続きを描く。そんな毎日だったそうです。事實[1]

物資も足りませんでした。動画用紙もセルも、消したり洗ったりして使い直したほどです。1944年12月に映画が仕上がったとき、残っていたアニメーターは15名ほど。始めのころは70名近くいました。事實[1]

Hayate

一つのキャラクターに一人……。カートで言うと、一台に専属のメカニックが付くようなものです。それが、だんだん一人で何台も見ることになっていく。……あ、すみません。たとえが走りのほうに寄りました。解讀

Takashi

いいえ、とても分かりやすいです。私は会社で、人が抜けたあとの仕事の振り直しを何度も間違えました。誰かが抜けるたびに、残った人の机に黙って仕事が積まれていく。消して描き直したザラ紙の話を読んで、その机の高さを思い出しました。喜好

お金を出す人と描く人

公開が翌1945年の春までずれこんだのは、海軍省から直すよう言われた場面があり、その手直しに時間をとられたからだ、と瀬尾さんは振り返っています。事實[1]

Takashi

歴史を見ていると、作られるものの形は、誰がお金を出すかでかなり決まる、と感じることがあります。この映画も、注文した側の意向で直しが入りました。……ただ、これで全部が説明できるとは思っていません。紙を消して描き直した人たちの手までは、お金の出どころだけでは説明がつかない気がするのです。解讀

Takashi

……また歴史の話にしてしまいましたね。

Hayate

いえ。スポンサーの話は、僕も少し分かります。だから、自分で走りたいって言ってるので。喜好

Takashi

はは、そうでした。何度も断られていますね。今日は言いかけないようにします。

倉庫で見つかったネガ

このフィルムは、戦後GHQに没収されて焼かれたと考えられていました。見つかったのは1982年。松竹の倉庫に、ネガが残っていたのです。その後1984年に『くもとちゅうりっぷ』と組んで一般公開され、2016年のカンヌ国際映画祭では、クラシック部門に出品されました。同じ年には、デジタル修復版の上映も始まっています。事實[1]

医学生だった手塚治虫さんも、空襲を受けたあとの大阪で、松竹座に足を運んでこの映画を観たと伝えられています。事實[2]

手塚さんは、観た映画について日記に書いています。日付は1945年4月12日で、感想は文章、ある場面の印象は絵でした。事實[1]

瀬尾さん自身は、終戦後、空襲で焼けた松竹動画研究所が解散したあと、『王様のしっぽ』を作りました。題材にアンデルセンの「裸の王様」を選んだアニメ映画ですが、一般公開されないままお蔵入りになりました。これを最後にアニメ制作から身を引いた瀬尾さんは、「瀬尾太郎」などのペンネームで絵本作家に転じています。事實[2]

Hayate

作った人が、絵本に移ったんですね。

Takashi

はい。私は、そこがいちばん胸に残りました。描く場所が変わっても、描くことはやめなかった。会社を畳んだ経営者が、別の看板で同じ仕事を続ける話と重ねてしまいます。これも、私の勝手な読み方ですが。解讀

観る前に知っておくこと

Takashi

観るなら、戦時中に国の命を受けて作られた映画だと知ったうえで観てください。そのうえで、私は作画の手間のほうを見ていました。一人のキャラクターに一人が付いていた時期の線と、人が減っていった時期の線。違いが分かるかどうかは、私には自信がありません。喜好

Hayate

人の手が減っていく中で、最後まで仕上げた人たちがいた。僕は、そこを覚えて観ます。喜好

Takashi

ありがとうございます。……ディスクは居間にあります。観たくなったら、いつでも声をかけてください。花の水やりの時間なら、たいてい庭にいますから。

『桃太郎 海の神兵』は、戦時中に海軍省の命を受けて作られた長編アニメーション。戦後は焼かれたと思われていたネガが、松竹の倉庫から見つかった。1982年のことだ。

本文中的作品

講述者 Takashi 用歷史思考的工作服社長 閱讀更多 Takashi 的文章 →

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